無痛と痛みのクオリア

 アイオワ州に住むアイザック・ブラウン君の疾患は、痛みを感じない「先天性無痛無汗症」。痛みを感じることの大切さと痛みを感じないことの大変さをアイザック君は教えてくれる。「先天性無痛無汗症」は、遺伝的要因により神経障害を含む先天的な疾患群。現在まだ解明されておらず、根本的な治療方法もわからない。痛みを感じないアイザック君は、幼少期から顔面を地面やテーブルにぶつけ、落ちることが楽しいことだと思っていたといい、体が傷つくことを気にしなかった。バーナーの炎に手を入れたり、マグカップの破片で手を切ったりもした。

 先天性無痛無汗症は遺伝性感覚・自律神経ニューロパチー(HSAN)に属する疾患で、このうち4型を先天性無痛無汗症と呼んでいる。4型は、全身の温度や痛みの感覚が消失し、また発汗が低下。温度や痛みの感覚が消失するため、骨折・脱臼などの外傷、熱傷や凍傷を繰り返し、骨折がうまく治らなかったり脱臼を繰り返す。発汗の低下は温度の感覚障害とも相まって体温のコントロールに影響を及ぼし、高体温からけいれん、脳症を引き起こすこともある。また、環境温度が低い時は、低体温になることもある。
 先天性無痛無汗症は、症状のレベルには個人差があり、痛みや熱さ、冷たさの感覚が全く無い人から少しは感じる人もいる。ただ患者は感覚がないために、知らぬ間に自分を傷つけてしまう。先天的な症状であるため、それらの危険を学習することが難しい。軽度、あるいは境界線上程度の知的障害を併発することも多く、それがさらに危険認知を難しくしている。さらに、発汗性が無く体温調節ができず、直ぐに体温が上昇してしまい、常に気をつける必要がある。そのため、健常者並みの基礎的な運動能力はあっても体温上昇のため運動は不可能、プールでの水泳のような体温の上昇を伴わない運動しかできない。

 痛みだけでなく汗をかかないことでアイザック君は悩まされている。夏場には、体温が上がらないように涼しい部屋で過ごすこと、冷却ベストを装着することが必要になる。しかし、これらの対処の大切さについて、アイザック君は感覚的にはわからない。「痛いことは嫌なこと」というのは、多くの人が生まれたときから当たり前のように感じているが、この感覚がなければ恐ろしいケガをしても気づかないということになる。

 「痛み」の感覚がもつ意味は遺伝的な病気から明白である。痛みの感覚内容が主観的なクオリア(qualia)だとしても、適応としての痛みがもつ機能は進化的、臨床的な文脈の中では明瞭である。この機能的な痛みはクオリアとしての痛みと何がどのように異なるのだろうかアイザック君はクオリアとしての痛みを体験できない。しかし、彼はチューリングテストに合格できる程度の「痛みについての学習」はできるだろう。アイザック君が痛みを学習できたとしても、それは私たちの痛みと異なる。痛みのクオリアは痛みについてのプラグマティックな知識に過ぎないとは誰も思っていない。痛みのクオリアと痛みの機能とは同じではないが、密接に結びついている。

クオリアラテン語の複数形qualia)は、私たちが意識的、主観的に感じる感覚的な「質」のことで、それゆえ、日本語では「感覚質」と呼ばれ、「痛み」はその感覚質の一つ。