運動についてのインペトス理論

 「運動しているどんなものも何かによって動かされなければならない(『自然学』VII.1)」と考えたアリストテレスは、運動を続けさせるには力を与え続けなければならず、どんな対象の自然状態も力が働いていない「静止」であると信じていました。アリストテレスの説明では、自然な状態が静止、不自然な状態が運動であり、その運動は外的な起動力の直接的で、連続的な作用を必要とします。常に外から力を直接に働かせてやらなければ、不自然な運動は持続できません。ですから、遠隔作用といったものはなく、起動力が働かなくなると、運動は止まってしまいます。この考えが問題なのは、ボールを投げるといった日常的な事柄をうまく説明できないだけでなく、それと矛盾する点です。ボールが手から離れると、それはすぐに止まらなければなりません(なぜ?)。でも、実際にはボールは地面に落ちるまで飛び続けます。これを説明するためにアリストテレスは空気や水のような媒体を使いました。そして、彼はこれらが不自然な力を助けると考えました。ボールの周囲の媒体(普通は空気)が飛んでいるボールの後ろを占め、ボールを押すのです。でも、なぜボールは最後には止まってしまうのでしょうか。アリストテレスの答えは、運動している物体、つまり、ボールは媒体である空気に不自然な力を与え、それによって空気は運動を助けるのと同じように運動に反対する、というものでした。この説明は到底満足できるものではなく、別の説明が追求されることになりました。

 ビュリダン(John Buridan [Iohannes Buridanus], 1295/1305-1358/61)は当時の学者の常識的な経歴とは違って、生涯を通じて宗教的な関わりをもたず、彼の著作のほとんどはアリストテレスの注釈でした。彼の自然哲学はアリストテレス的コスモスの終焉をもたらすのに大きな役割を演じました。その力学は投げられた物体の運動を物体に加えられた力を使って説明するインペトス理論(impetus theory)です。アリストテレスは投げられた物が運動を続けるのは近くの(空気のような)外的な原因にあるとしましたが、彼はこれを退け、運動を起こすものから投げられた物体に伝えられる内的な力こそが運動の持続を説明できると考えました。インペトス理論はビュリダンが最初ではありませんが、その説明はアリストテレスの欠点をカバーしていました。

 インペトスは可変の量でその力は速度と物質の量で決められます(速度と質量の積が運動量)。ですから、落体の加速度はインペトスの単位の蓄積によって理解できます。でも、その革命的な意味にもかかわらず、ビュリダンはインぺトスの概念を使って力学を再構成しませんでした。彼にとって運動と静止は物体の反対の状態であり、世界は有限だったのです。このように考えたビュリダンはガリレオの先駆者にはなれず、アリストテレス主義者に止まったのです。

 ベネディッティ(Giovanni Benedetti, 1530-1590)はガリレオの同時代人ですが、アリストテレスに反対し、媒体は運動を助けるのではなく、妨害すると主張し、インペトスの考えを採用しました。インペトスは物体を運動させるために物体に移された量です。物体は長くこのインペトスにさらされれば、よりたくさんのインペトスを獲得します。ガリレオはこのインペトスの考えをより整合的なものにしていくのです。ガリレオは熱に喩えてインペトスを説明します。物体を熱すると、熱が物体に移り、熱が冷めるまで物体は温かい。これと同じように、媒体が抵抗して、インペトスを散逸させるまで運動は続くのです。例えば、投手がボールを投げると、ボールは投手が与えたインペトスによって飛んでいき、抵抗よりインペトスが強い間は飛び続けるのです。さらに、抵抗が何もなければ、無限に飛び続けることになります。