不可能な対象

 エッシャーの絵画に登場するような図形、あるいは物体が描かれているのを見たことがある筈です。それらにつけられた名前は「impossible object」。これらの図形が2次元上の対象であれば、実際に2次元の平面に描かれているので、その存在は可能どころか、実際に実現しています。これは改めて証明する必要のない事実です。その理由は、図形が端的に紙の上に描かれて「ある」からです。つまり、それら図形は実在します。
 一方、これらが物理的な物体を描いた画だとすると、描かれた物体がありえないというのが大方の答えになります。もっともらしい答えに思えますが、「ありえない」という理由は何でしょうか。恐らく、物理世界は3次元空間で、その中で物体が存在するには3次元空間の制約に従わなければなりません。でも、これらの図形はその制約に従っていません。というのも、前後、左右、上下の(組み合わせの)秩序が守られていないからです。2次元の世界では存在できるものが、3次元では存在できないというのがこれらの例なのです。
 でも、3次元の世界には2次元の世界が含まれています。二次元の表面をもつ紙は3次元の世界に存在します。その紙に描かれた図形は、紙が3次元の世界に存在するゆえに、書かれた絵としても存在します。ですから、これらの図形は3次元の世界に存在すると結論できます。
 さて、二つの異なる結論が得られてしまいましたが、どのような意味で「ありえない」かは明らかになったと思います。物理的な物体としてはありえないのです。でも、紙に書かれたこれらの図形を切り抜いたものも物理的な物体です。3次元世界に存在するこの切り抜きは紙の一断片としての物理的な物体ですが、紙に描かれた指示対象としての3次元の物体としてではありません。
 これまでの話は、紙に書かれた「丸い三角形」は存在するが、丸い三角形は存在しない、ということと基本的には同じことです。紙の上に「丸い三角形」と文字を使って書くことができますが、物理(あるいは意識)世界に丸い三角形は存在しません。ですから、だまし絵のようなものが存在し、人々を楽しませることができるのです。
 紙に描かれたこれら図形は物理的な物体というだけではなく、情報でもあります。描かれている普通の立方体は立方体そのものではなく、立方体の情報であり、その描かれた立方体の指示する対象が3次元の立方体なのです。これまで「記号系列とその指示対象」と捉えられてきた関係を、これらの場合は「情報とその情報の(意味)内容」と捉えることもできるのではないでしょうか。