似ている、似ていない(4)

 夏休みの早朝、畑にキュウリを採りに行き、朝露の中のツユクサに眼が惹きつけられ、意識の中に直接に色が飛び込んできて、すっかり目が覚めたような経験をしたのを今でも憶えている。確か小学校の3年生の頃か。そのためなのだろう、今でもツユクサが眼に入ると、つい見入ってしまう。3枚の花弁の内で大きな2枚が青色、6つある雄しべの先が黄色いのだ。青色と黄色の対比が私を惹きつけたのだ。これと似たような知覚経験は秋の紅葉かも知れない。紅葉の赤は緑があるともっと目立つ。赤と緑は似ていない色であり、補色関係にある。葉に葉緑素ではなく、葉青紫素があれば、秋の色の主役はイチョウの葉になっていたかもしれない。確かに、ツユクサの青色と黄色は補色そのものではないが、互いに似ていない色であり、私の視覚を強烈に惹きつける経験の原因は補色の効果のためではないか、というのが私の仮説。

 補色どうしを混色すると無彩色になる。これが物理補色。理論上は黒になるが、絵具を混色すると、灰色になる。補色の関係にある色どうしを並べて置くと、より彩度が高くなったように、色の鮮やかさが強調されることになるが、これが補色対比。つまり、ツユクサや紅葉の鮮やかさは共にこの補色対比のせいではないか。むろん、そんな理屈がなくても、ツユクサも紅葉も理屈抜きで鮮やかである。

 ところで、紫には京紫と江戸紫があり、江戸時代には青紫を指す江戸紫が江戸の人々に好まれた。この江戸紫の補色が黄色である。今あちこちで花をつけているアジサイの中にはこの青紫の色が多い。梅雨の中でそれを見ながら、周りの黄色の花を見て補色対比を楽しむのも一興ではないだろうか。

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