リヤカーやソリ

 「リヤカーカブ屋台」という名前をFacebookでみたが、まだリヤカーが活用されていることに驚くとともに、妙に懐かしい気持ちになる。確かにあちこちの屋台には今でも使われている。リヤカーを引き金にして、ソリ、かんじき、藁沓、シャベル(ショベル)、一輪車、さらには耕運機など、子供時代には不可欠の生活用品が次々と脳裏に浮かんでくる。特に、冬のソリ、春、夏、秋のリヤカーが私には鮮明に蘇ってくる。昭和30年頃まではまだ車社会ではなく、輸送手段はもっぱら人力だった。だから、我が家でも重い味噌樽を運ぶのに使っていたのはリヤカーとソリだった。
 リヤカーの前は荷車で、大八車も私は微かに憶えている。大型の「大八車」は人夫8人分に匹敵する運搬ができることからその名前が付けられたらしい。大正時代に自転車の後引車として、我が国で運搬具として発明されたのがリヤカー。リヤカーの出現によって、荷車の利用は減っていく。鉄のパイプと空気入りのタイヤからなる2輪の荷車がリヤカーである。人や自転車、オートバイによって牽引して使われる。「リヤカー」という不思議な名前は和製英語で、後に(Rear)つける車(Car)の意味からリヤカー(リアカー)と命名された。英語ならカート(Cart)だろう。
 ソリは「輴」、「雪車」などとも書くが、「橇」の字は「そり」とも「かんじき」とも読まれる。一般には雪や氷の上を滑らせ、人または荷物を運搬するのに用いる。スキー、かんじき類の雪の上の道具も橇の範囲にいれることが多い。ソリは代表的な雪上の運搬具である。英語だとソリのサイズに応じて「sled」、「sleigh」、「sledge」と呼び分けている。私の記憶に残るソリは荷橇と箱橇で、前者は大きな荷物の運搬用、後者は多目的で、遊びにも使っていた。

 リヤカーもソリも今ではすっかり目立たなくなってしまった。社会が車中心に変わり、リヤカーもソリも運搬の主人公ではなくなって久しい。現在性能のいい車を快適に運転することと坂道をリヤカーを引いて上ることを比べ、いずれを選ぶかと問われるなら、軍配は最初からわかっている。リヤカーやソリが活躍する社会と車が中心の社会の違いはどこにあり、その違いが私たちの生活をどのように変えたのか、じっくり考えてもいい時期に来ていると言われ続けながら、じっくり考える機会を逃してきた。便利な車が私たちの社会や自然をどのように変えてしまったのか、利便性の代価は何なのか、じっくり考えなくても、すぐに深刻な答えが予想できるのである。車に代表されるエネルギーの使用は、今では予想だけではなく、地球を実際に蝕んでいることがわかっている。それでも、私たちは車を棄て、人力のリヤカーやソリに戻ろうとは決断しない。