サンガ、布施、釈迦の教え

 釈迦が亡くなったすぐ後に、弟子たちが記憶した釈迦の教えを確認し、それをまとめた結果が初期経典で、どれも口伝です。後に経典は「如是我聞(私はこう聞きました)」という言葉で始めるという約束ができ、口伝形式の経典は物語形式をもった書物になっていきます。
 口伝で教義を伝えるということは、釈迦が権威をもつ場合に弟子たちがその権威を独占できるのですが、釈迦以外の考え方が教義に紛れ込むことが可能で、玉石混淆になりかねません。伝言ゲームが正しく伝わらないのと同様に、誤った教えが紛れ込むことになりかねません。
 キリスト教イスラム教などでは、皆で同じ教えを信じるために教義を一つにまとめる話し合いや論争が何度も繰り返されてきました。でも、仏教では一度もこのような教義の整理整頓が行われませんでした。その結果、「如是我聞」で始めれば何を言っても仏教のお経として認められることになりました。ですから、仏教の経典は莫大な数になり、諸説が乱立する可能性が最初からあったのです。
 異質な考えが混入した証拠が現在の仏教に幾つも残っています。初期仏教の段階からバラモン教の神様が多数紛れ込んでいます。例えば、四国の金毘羅様の正体はガンジス河のワニです。そのほかにも弁財天、帝釈天、水天宮などの「天」のつく仏様の正体はすべてバラモン教の神様です。これにはそれなりの理由があります。新興の仏教教団がバラモン教などの既存の教団からいじめられ、それと妥協した結果、このような神様も認めてしまったのです。
 仏教が生まれる前からインドにあったのがバラモン教。このバラモン教の教義によって厳しい身分差別制度(カースト制度)がインド社会に定着していました。やがてこのバラモン教を受け入れない人々が現れ、バラモン教が説く生き方では満足できないと主張し始めます。彼らは、当時の社会通念であったバラモン教の世界観から解放されなければ良い生き方ができないと考え、バラモン教の社会から離脱します。それが「出家」です。出家は、「世を捨てること」ではなく、その時代の常識的,俗世的な価値観から別の価値観へ転向したいと願う人たちの具体的な行動だったのです。ですから、出家はパラダイムシフトであり、バラモン教に抵抗する集団行動だったのです。
 僧侶になるということは一人で出家すると考えがちですが、本来の出家とは、一般社会から離脱して特定の価値観で生きようと願う人たちが集まって別の組織をつくることにあります。仏教の場合、その出家集団をサンガ(仏法を学び実践するための集団、僧伽)と呼びます。「僧」は、このサンガを意味しています。
 サンガ社会では、皆が同じ価値観を共有して生きています。でも、世俗の一般社会は、本質的に物質的繁栄や富の蓄積を目的にして、生産効率を上げ、より豊かになろうとします。それに対して、そこから離脱したサンガ社会の人々は、物質的豊かさではない、別の生き方を目指しますから、その生産効率は自ずと一般社会より低くなります。つまり、サンガ社会それ自体は物質的豊かさを求めませんから、食べていくことが困難な社会になります。サンガ社会が独自の価値観を徹底的に追求しようとすればするほど、生産性は低下し、極端な場合、自分たちで生計を立てることができなくなります。修行を目的とする仏教のサンガは、まさに生産能力ゼロに近いサンガ社会なのです。
 どのような方策、手段で食べていくかは、そのサンガ社会のリーダーが決めます。ですから、リーダーの資質によって、その社会の生き方が決まることになります。釈迦は「布施」という生き方を取り入れましたが、それは実に見事な選択でした。その証拠に釈迦のつくったサンガという組織は、その後2500年経っても、滅びることなく今も続いています。その社会は一般社会からの厚意に完全に依存して生きることになります。しかし、社会の厚意に対してお返しがなければ、人々は何も施してくれません。それで、彼らは「誠実に修行をしているという聖者の姿」を社会に示すのです。それによって、一般の人々は「こんな修行者にお布施をすれば、きっと自分たちにその果報が戻ってくる筈だ」と考え、お布施をすることになるのです。
 布施の利用は釈迦が最初ではありませんが、「布施」はインド世界全般の根底にあるものです。釈迦はその布施の考えを自分の教義に取り入れたのです。釈迦は、道ばたで物を拾って食べるとか、自分で農作物をつくって自給自足する、などというのではなく、布施に完全に依存したのです。弟子たちに布施に完全依存せよ、と釈迦は言いました。なぜなら、布施に完全依存して初めて一般の人々はその人を聖者として認めるからです。布施だけで暮らしながら、独自の価値観にしたがって誠実に修行に打ち込んでいる姿を見せることこそが大切なのです。日本の仏教文化の中には、「布施だけに依存して暮らすサンガ」が存在しません。釈迦が考えた出家生活を実現するための組織は日本にはなかったのです。
 仏教の開祖は釈迦。釈迦はインドのシャカ族の王子で、その名はゴーダマ・シッダルタ。出家し、菩提樹の下でこの世の真理に目覚めました。釈迦は弟子たちから「釈尊」、「ブッダ」と呼ばれていました。「ブッダ」とは「目覚めた人、真理を悟った人」という意味です。釈迦が悟った真理は永遠不変の真理ですから、釈迦が出現する以前にも「仏(真理を悟った人)」はいるはずで、また釈迦以後でも仏が出現する可能性があります。釈迦は仏の一人にすぎず、仏教(仏陀の教え)とは、諸仏の教えなのです。
 古代インド人は現世を六つの世界に分類し、全ての世界は苦痛であるとしました。そして、この六つの世界を「六道」と呼び、人はこの六道を生まれ変わり、死に変わりして輪廻転生を続け、永遠に苦しみ続けなければならない存在だと考えられていました。そこで仏教はこのような輪廻転生の世界から永遠に脱出することを目指したのです。この輪廻の世界への執着を断ち切って、この世から完全に脱出することを釈迦は教えました。その脱出を「解脱」と呼び、解脱した状態を「涅槃」と呼びました。
 釈迦は「霊魂はあるのか、死後の世界はあるのか」という経験することも論証することもできない問題は、「無記」(善とも悪とも言えないこと)として退けました。有名な「毒矢の喩え」があります。毒矢に射られた人が、矢を射た者はどこの種族か、名前は、弓や弦の種類は、矢鏃(やじり)、羽はどんな種類か、それがわからない間は毒矢を抜かずにいるとしたら、毒が体中にまわって死んでしまいます。彼にとっては、まず毒矢を抜くことが生命を維持するのに必要なことです。霊魂の有無の問題を考えるよりも、先に解決すべき問題は人の生きるべき真実の道を明らかにすることである、と釈迦は教えたのです。
 仏教には「仏陀の教え」と「仏陀になるための教え」という二つの教えがあります。つまり、仏教は仏陀の教えを学び、それを実践し、私たち自身も仏になることが期待されます。では、釈迦が悟った真理とは何でしょうか。釈迦が菩提樹の下で悟ったのは「縁起」の理法とされます。釈迦はこの世の真理について次のように分析しました。
諸行無常諸法無我涅槃寂静一切皆苦
 釈迦は「人生は苦である」ことの原因は、すべてが「縁」によって起こることにあると捉え、縁起の法を「四諦(したい)」として説きました。「四諦」とは「苦諦(くたい)」、「集諦(じったい)」、「滅諦(めったい)」、「道諦(どうたい)」の四つ。「苦諦」とは「苦」に関する真理で、人生とは本質的に苦であると説きます。第二の「集諦」は「原因」に関する真理で、苦の原因を明らかにします。第三の「滅諦」は、原因の消滅に関する真理で、苦の原因である煩悩の消滅が苦の消滅である、と説かれます。そして最後の「道諦」は、「実践(修行)」に関する真理で、いかにすれば苦の原因を取り除けるか、を説いています。
 さらに、釈迦は苦を消滅させるために八つの正しい道「八正道(はっしょうどう)」を教示しています。このような修行を積むことによって煩悩を克服し、その結果として「苦」を克服することができる、というのが釈迦の基本的な教えです。