記憶の中のケヤキ

 妙高の鳥「オオルリ」も妙高の花「シラネアオイ」もなかったわけではないが、私の子供時代の生活の中には登場しなかった。だが、ケヤキは身近な樹木だった。子供の頃のケヤキの記憶を信じ、それを辿りながら、考えてみよう。
 子供の私には妙高市の木であるブナはよそ者で、雑木の一つに過ぎなかった。旧新井市の市の木はケヤキだったが、私の育った家にはケヤキの大木が二本あった。当時はどの家の庭木も総じて大きかったが、この二本は本当に太く、大きかった。ケヤキたちは家を守るために競い合うかのように枝を伸ばし合い、屋敷の守護神そのものといった風情が漂っていた。夏になってもケヤキの木の下は涼しかった。秋には落葉で庭が埋まった。我が家のケヤキは威厳に満ち、周りの木々を悠々と従えていた。いつ抱きついても、脂(やに)の多いマツやスギと違って、その肌はなめらかで私を拒むことはなかった。夏から秋にかけて薪をつくるのが10代の頃の私の役目だったのだが、スギやキリと違ってケヤキは切るのも割るのも桁違いに難しく、ケヤキの一途な堅牢さを実感した。
 私がブナを賞賛して述べるのに躊躇するのはなぜだろうか。近年、ブナは森林の王様の如くに扱われ、ブナ林は観光の目玉になっている。ブナに恨みなどないのだが、私の記憶の中ではブナの木は雑木に過ぎない。雑木とは薪か炭の材料でしかないという意味である。スギやヒノキのような材木ではないのである。ブナ一本は雑木に過ぎなくても、ブナ林は山を守り、維持する生態システムの主役として実に有用なのだといったことに気づくのはずっと後になってからのことだった。子供の私にとってブナは雑木、スギやヒノキは役木、ケヤキは友木だった。
 ブナは雑木だという子供時代の私の記憶は消えない。つまり、今の私にはブナの一本の木についての記憶とブナの林や森についての認識は違ったものになっているのである。ケヤキにはこんな不思議なことはない。ケヤキは一本でも並木でも同じように役に立つ。つまり、少々雑に謂い切れば、私はケヤキの一本の木を愛せるが、ブナは林か森でしか愛せないという訳である。私は切られてしまった我が家のケヤキが今でも好きである。そのケヤキに固有名詞をつけて呼んでもいいと思っている。だから、今の私にとって、ケヤキは先輩の友だちのようなものだが、ブナは牛や羊の群れのようなものでしかないのである。
 確かに、家の庭の木は皆固有名詞で呼んでもいいものばかりだった。柿の木、グミの木、サクランボウの木、イチジクの木、クリの木、そしてウメの木と、私と共に生きる、実に多くの木々が周りにあった。それらはいずれも私が触り、登り、その実を食べる木だった。それらは人と共に生きる木であり、山の木々とは随分と違っていた。我が家のケヤキは私と共に生きる木だったが、ブナは見知らぬ山の木だった。
 子供時代の記憶だけを頼りに話すと、このように偏った内容になってしまう。このような半ば感覚的な記憶がケヤキとブナの無意識的な評価につながっているようだ。子供時代の記憶が邪魔をして、私は今でも公平にはなれないようなのである。