国や故郷

 与謝野晶子は1904(明治37)年9月、日露戦争の旅順攻囲戦に従軍した弟を嘆いて「君死にたまふことなかれ」を『明星』に発表した。その一部を以下に載せておく。
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
 この反戦詩とその後の晶子の詩や短歌を比べると、「反戦詩人の変節」と批判されても仕方がない作品が目につく。晶子は第二次大戦開戦の約半年後に亡くなるが、開戦直後に短歌雑誌に寄稿した歌の一つが次のもの。
水軍の大尉となりて我が四郎み軍(いくさ)にゆくたけく戦へ
 日露戦争に出征した弟に「君死にたまふことなかれ」と呼びかけた晶子が、その37年後の最晩年に、海軍大尉として戦地に赴く我が子に「たけく戦へ」と歌っている。

 明治32年に赤倉を訪れた尾崎紅葉が宿泊したのが香嶽楼。宿を絶賛したことでその名が広まり、数々の文人が訪れた。与謝野晶子と夫の鉄幹もその中の二人。特に、与謝野晶子は無類の温泉好きで、赤倉だけでなく日本各地の温泉を訪ねている。赤倉はそんな彼女のお気に入りの温泉だった。「君死にたまふことなかれ」と詠んだとき、人々はその大胆さにビックリ仰天した。そんな愛国心を否定する勇気に似た勇気となれば、故郷の否定になるのではないのか。愛国心より基本的なのが故郷愛、郷土愛だということに反対する人は少ない筈である。国より故郷の方が身近で、生活に直結しているからであり、さらに家族愛、最後は自己愛と繋がっている。
 明治に入り、政治、経済、科学の知識が西欧から輸入され、伝統文化、芸術、宗教はそれまでの歴史を守る形で推移する。前者の代表的思想家が福澤諭吉とすれば、後者のそれは岡倉天心である。二人の思想の違いは「脱亜」と「興亜」という標語によって対照的に表現され、その謂い回しから二人は正反対の思想家と受け取られがちである。脱亜と興亜とを対にすると、水と油、陰と陽の思想だと受け取られ、丸山真男はじめ多くの論客が好んで議論してきた。その二人の主張を垣間見ておこう。
福澤諭吉『脱亜論』より>
されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予(ゆうよ)あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬ)かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
岡倉天心『アジアの覚醒』より>
われわれの父祖の地は、大いなる苦難のもとにある。今や、東洋は衰退の同義語になり、その民は奴隷を意味している。たたえられているわれわれの温順さは、礼儀をよそおった異国人の卑怯なあざげりにほかならない。われわれは、商業の名のもとに好戦の徒を歓迎し、文明の名のもとに帝国主義者を抱擁し、キリスト教の名のもとに残酷のまえにひれふしてきた。国際法の光は、白い羊皮紙の上に輝いているが、完全な不正は有色の皮膚に黒い影をおとしている。
 福澤諭吉は先進的な西洋の法制度を取り入れて近代化を図らねばならないと考えたわけである。また、福澤諭吉儒学先行者である中国と朝鮮も近代化が必要であると考え、その協力も惜しまなかった。しかし、頑迷な中国と朝鮮の近代化を待っていたのでは、日本は欧米列強と対抗できないという現実的な認識も彼は持っていた。一方、岡倉天心は日本の伝統美術を積極的に欧米に紹介した。それも福澤諭吉と方法論は全く異なるけれども、日本を欧米列強と文化的に対抗できる国にするためだった。『日本の目覚め』(The Awakening of Japan)は、1903年日露戦争前夜に出版されたため、『茶の本』と比べると、政治的色合いが濃く、過激な内容になっている。『東洋の理想』(The Ideals of the East)は、西洋の読者に向けて書かれた作品。その中の「アジアは一つ」という言葉はのちに一人歩きし、汎アジア主義者天心と言われることになった著作である。
 現在、脱亜、興亜のいずれが正しいかなどと問うこと自体が的外れになっている。この「脱亜」と「興亜」の対概念をヒントにあれこれ思案して、故郷を出て東京に行ったのは「脱妙」であり、「入東」であるとしたところで、当然今の若者はそんな風には考えない。状況はすっかり変わり、集団就職もなくなり、脱亜と同じように脱妙を捉える人はいなくなったと思いたいのだが、故郷という概念はなかなかしぶとい。故郷が教育によって植えつけられる概念ならば、脱亜や入欧と同じように考えればいいのだが、それがうまくいかないのが故郷概念、そして家族概念なのである。
 家族、親族、故郷、地域、国、自然へと範囲が広がるにつれ、私たちの愛憎の感情は変わっていく。それはとても微妙で、地域から自然までは概念が勝り、家族から故郷までは感情が勝るようなのである。感情と概念が人によって異なる仕方で混じり合うことによって、与謝野晶子のように家族への愛が国への忠誠に勝ることがあり、その場合にはグローバリズムが如何に席巻して、興亜や脱亜が無意味になっても、故郷への関わりには影響が及ばないのである。それにしてもわからないのは身近なものへの愛情で、これが学習から逸脱している限り、郷土愛や故郷愛は何とも得体の知れないままなのである。それでも、その正体不明なものに頼るのが私たち人間で、「君ふるさとをおもひたまうことなかれ」と言われれと、大いに反発するのである。