公園て何だろう:二つの公園(1)

 都市には幾つも公園があり、それが当たり前の気がします。では、江戸時代に公園はあったのでしょうか。小さな村となると、公園はあるのでしょうか。どう見ても里山には公園は少なそうですし、さらに山に入っていったら、当然公園などないと断言したくなります。でも、その断言は裏切られ、山奥には公園が幾つもあります。大抵それらは国立(定)公園と呼ばれる公園です。街には公園があり、山奥にも公園があるとなると、二つの公園は同じ役割をもっているとはとても思えません。というのも、街と山奥では環境がまるで異なるからです。
 妙高市にも街があり、公園があります。例えば、少し前までお花見場所になっていた経塚山公園です。それと同時に、妙高市には妙高戸隠連山国立公園があります。つまり、妙高市は街と山奥に二つの違った役割をもつ公園をもっていることになります。そこで、タイトルの「公園て何だろう:二つの公園」という問題に直面する訳です。この答えは案外子供たちが学校で習って知っているのかも知れません。何回かに分けて述べてみましょう。

都市の公園、自然の公園
公園という概念
 公園は一定の区域で自然の景観を保全育成し、人々の野外レクリエーションに使われるようにつくられた公共的な土地というのが通り相場の理解です。国や公共団体が設定し、管理することになっています。公園を意味するパーク(park)はイギリスの王侯貴族が独占的に使用していた狩猟場や大庭園を指していましたが、封建制度が崩壊するとともに、市民の要求によって一般に開放され、パブリック・パーク(public park)が生まれました。ボストンには、ボストン・コモン(Boston Common)と呼ばれる公園があります。一風変わった名前ですが、ボストン市の中心にあり、アメリカ最古の都市公園です。もともとこの土地はウィリアム・ブラックストンが所有していて、市に買い上げられ、独立戦争まではイギリス軍のキャンプとして利用されていました。独立戦争の始まりであるレキシントン・コンコードの戦いは、ここから出発したイギリス兵によって火蓋が切られたという歴史的な場所でもあります。
公園の歴史
 公園は都市の施設として生まれ、都市とともに発達してきました。人々の共同の広場として生まれた公園は、都市の発達とともに成長し、重要な公共施設として多様な目的に応じて様々な形態がみられるようになり、防災、避難などの保安機能も持つようになってきました。20世紀に入り、都市計画や造園の立場から公園の類型化が行われるようになりました。1915年ドイツの都市計画学者マルティンワーグナーが、都市の自由空地論のなかで、(1)砂遊び場、(2)腰掛け場、(3)学校遊戯場、(4)野遊び場、(5)運動場、(6)遊歩道、(7)大公園、(8)都市林、の8つに都市の自由空地を分類し、市街地近郊にある都市林に都市計画上の施設として自然公園的な役割をもたせました。さらに、翌1916年にはアメリカの造園学者ジョン・ノーレンもその著書City Planningにおいて同じような公園の分類を行っています。1928年にはウェアーが名著Parksのなかで、アメリカの公園の体系的分類を試みていますが、これはいまだに公園に関する基本的指針を示すものと考えられています。
 大都市がつくられ、都市にある公園のもつ意義、役割が重要になる一方、野外レクリエーションに対する市民の要求によって、都市近郊の自然風景地に公園的機能をもたせるようになります。その典型的な例は、19世紀末からアメリカで始まる大都市地域計画に伴う大都市地域公園体系(metropolitan park system)の考えです。ボストン、ニューヨークなどで、都市地域内の色々な公園とともに、都市近郊の自然地域に設定される郡立公園(county park)などを一つの公園体系のなかに組み込んだのです。その後、都市近郊の優れた自然風景地を含めて都市公園体系を計画する考え方が定着していきます。ワシントン、ロンドン、アムステルダム、パリ、ボン、キャンベラなどの欧米大都市には豊かな公園緑地が設定され、美しい快適な都市環境をつくりあげています。ロンドンのハイド・パーク(146ヘクタール)、パリのブローニュの森(800ヘクタール)、ワシントンのロック・クリークパーク(2000ヘクタール)など、大規模な公園が市街地の内外に設けられ、都市公園としての機能を十分に発揮しています。
 都市の公園とは独立に、自然公園が生まれる契機がありました。産業の発達によって天然資源の消費が増え、その結果、自然の姿が急速に姿を消して行きました。それに抗して、18世紀からヨーロッパに芽生えた自然保護や郷土保護の思想から、残り少なくなった自然地域を画して、人為的な改変から守り、それを市民の野外レクリエーションの場として確保するような考えが生まれてきました。自然風景地をそのまま公園にする新しい考えが生まれ、自然公園として世界的にほぼ統一された概念が確立されるのです。1872年アメリカで初めて設置されたイエローストーン国立公園は、国の設置する90万ヘクタールに及ぶ大自然公園という新しい範を示し、世界的な国立公園運動のスタートとなりました。アメリカはじめ世界各国の国立公園はほとんどが自然公園のタイプです。
 古くから狭い国土の中で土地を多目的に利用してきた日本では、アメリカやオーストラリアなどのように国立公園の地域を公園専用に限定することができず、土地の所有にかかわらず公園を指定できる地域制自然公園制度を採用しています。これはイギリスや韓国も同様です。ですから、日本の国立公園内には国有地と私有地が混在することになります。