二つの自然:樹々の種類を通じて

 妙高に住んでいた頃に見慣れていた樹々がそのまま今の東京でも見られるかというと、これはまず不可能で、特別な植物園にでも行かないと駄目なのである。「街中で桐や柿の木を見るか」と問われれば、Noと答えるしかない筈である。私が妙高を離れてまだ半世紀ほどしか経っていないのだから、状況が大きく違っている理由は人為的なもので、人が変えたものだということになるのではないか。実際、その通りで、そこには人の都合、思惑をはっきり感じ取ることができる。樹々をどれだけ利用できるか、どれだけ搾取できるかという観点が強く出ていたのがかつての私のふるさとで、それに対して、東京では樹々をどれだけ復元できるか、どれだけ壊さずに鑑賞できるかという観点がもっぱら目立つのである。つまり、樹々の存在理由がかつての妙高と今の東京でははっきり異なっていて、そのことが自然と私たちの関係の違いを見事に表しているのである。
 生物多様性や自然保護といった概念が希薄だった終戦直後の私のふるさとには役に立つ樹々が目立った。桐、杉、柿、栗、梅、桃、柘榴といった樹々があちこちに植えられていた。今それらの樹々を東京の公園で探してもまず見つからない。また、どれも街路樹にもなっていない。確かにそれらの樹々が公共の場にあると、厄介な問題が起こりそうなのである。というのも、それら樹々が産み出す恵みの実はかつてとても魅力的だったからである。だが、銀杏や柑橘類は例外で、それらは今でも公園に植えられている。桃や梅もあるが、それらは花桃、花梅であり、ふるさととは違ってどれも鑑賞用なのである。
 ふるさとの樹々の数量は東京より遥かに多かった。だが、樹々の種類となると東京も負けていない。今の公園にはふるさとの田畑や庭の樹々よりずっと多くの種類の樹々が植えられていて、人々を日々和ませている。ふるさとの樹々の方が野菜や果物に近く、公園の観賞用の樹々とは違って、身体的な生きる糧になっていた。それに対して、今の公園の樹々は精神的な生きる糧に過ぎない。田畑と繋がった庭の樹々は穀物と並ぶ食料を供給し、役用だったのである。公園の樹々の風景とふるさと妙高の樹々の風景は、まずはこのような意味で根本的に異なっている。
 だが、それだけではなく、里山からさらに高山に向かって登っていくと、まるで別の風景が見えてくる。そこには人の都合や思惑が入っていない、自然そのものの風景が広がっている。人が関与して手を加えた自然ではなく、人が単なる傍観者でしかない、純粋な自然の風景が見えてくる。人を寄せつけない自然の存在はそこで育った人にも謎を含んで危険な存在なのである。人の手の加わった、わかる自然を直観的に感じ取っている人には文字通りの自然が怖いものであることを即座に理解できる。道に迷うのに似て、純粋の自然には素直に畏敬の念をもつべきであることがわかるのである。それは知悉した公園の人工的な自然とはまるで違う自然なのである。
 ふるさとも東京も自然を感じ取れるのだが、それは私たちが関与した自然であり、文字通りの自然とは似ても似つかぬ自然なのである。本物の自然はふるさとにも東京にもない。ただ、ふるさとは東京より本物の自然に近いところにある。それは確かなのだが、その距離の差は大した差ではなく、似たりよったりに過ぎないというのは言い過ぎだろうか。