私が生きる世界(7)

 8 意味、情報、知識
 因果的な物理世界と違って、意味の世界は因果的ではないと考えがちである。だが、よく考えてみると何かを解釈し、有意味なものとみなすには、意味が因果的であることが必要である。生活世界の変化が意味のある変化であることを示そうとすれば、それは因果的な内容をもつことになることを忘れてはならない。つまり、因果的であることと有意味であることはほぼ同義なのである。個々の意味の間の関係、つまり、意味の違いは因果的ではない。言い換えれば、辞書に載っている単語間の関係は因果的ではない。単語間の関係は意味論的規則に従って考えられているが、個々の単語の個々の意味は因果的内容をもっている。
 「情報」という言葉が生活世界に入り込んで来たのは20世紀であるが、今では情報概念なしには生活を考えることができないほどに多用され、重宝されている。情報は現代生活を支える重要な要素であることは疑いない事実となっている。情報概念を陰で支えているのは前節で述べた確率・統計である。物体の物理量のように、情報の情報量が考えられて、物理量や統計量と並んで、世界を知るための重要な指標となっている。情報は私たちが使う知識のことであり、その本性上プラグマティックなものである。Xの内容を問うことをしないで、そのXを使って仕事をするということは、Xを知識として探求することではなく、Xを情報として使うことである。「Xとは何か」ではなく、「Xで何ができるか、何をするか」が情報としてのXの意味なのである。
 こうして、情報と知識の違いは次のようになるだろう。使う知識が物理的対象としての情報であり、探求される知識が認識論の対象となる知識である。この区別を徹底的に明らかにすることによって、情報についての認識論が如何に無視されてきたが明らかになるだろう。私たちが何かに気づき、知る、わかる際の「知る、わかる」は探求だけでなく、「使う」ためでもある。使われる名辞や命題が情報をもち、探求される名辞や命題が知識となっていく。