過去と未来:存在と認識(1)

 「言明は真か偽のいずれかの値をもつ」というのが二値性の原理(the principle of bivalence)。この原理のもつ存在論的な主張を使うと、次のようなことが言えます。

(1)未来は変えられないが、過去は変えられる

 これは「過去は変えられないが、未来は変えられる」という常套文句に反していますから、訝しく思う人がほとんどの筈です。「過去は既に決まったことであり、まだ決まっていないのは未来である」というのが私たちの常識で、日常生活、政治、経済のどんな議論でもこの常識が使われています。ですから、(1)の主張は常識に反する非常識のものということになります。そこで、(1)については大いに吟味が必要ということになります。
 二値性の原理がなりたっているため、未来のどんな言明も真か偽かのいずれかの値をもっています。それは私が勝手に変えられるものではありません。でも、過去の言明については、既にその真偽がいずれかに決まっています。そして、その真偽の決定は私たちがしたのであり、それゆえ、その判断は誤っていることがしばしば起こることになります。誤っている場合、それを是正すると、過去はそれまでとは違うものに変わることになります。
 この議論は一応もっともらしく見えるのですが、これを成り立たせているポイントは、「未来は変えられない」の「変えられない」は存在論的であり、「過去は変えられる」の「変えられる」は認識論的であるところにあります。未来のある事態の真偽は決まっていて、恣意的に変えられるものではないのですが、過去のある事態の真偽決定は私たちがしたのであり、それは誤っている可能性が否定できないという訳です。こうして、「変える」ことの二つの意味の違いにそのトリックがあることがわかります。
 存在論と認識論の違いといえば、それまでなのですが、丁寧に見直すと、どこにどのように存在論と認識論を適用するかの違いが見えてきます。過去に認識論、未来に存在論を適用すると、上記の(1)になりました。でも、この適用に仕方は(1)だけではなく、他にも考えることができます。過去にも未来にも一様に適用する、異なったように適用することが考えられますから、四通りあることになります。

(2)過去は変えられないが、未来も変えられない(存在論だけの適用)
(3)過去は変えられ、未来も変えられる(認識論だけの適用)
(4)過去は変えられないが、未来は変えられる((1)とは異なる両方の適用)

それぞれの主張を既存の思想や世界観と照らし合わせてみると、(2)は古典的決定論の主張そのもの、(4)は自由意志の存在と行為論への適用、(3)はロマン主義的世界観ということになりそうです。
 まずは、この発見の一報。