憶えて、忘れて、何を夢みるのか

 憶えること、忘れることのいずれも努力が必要で、それが脳に負担になるかどうかはわからないが、時に心には負担となってきた。日常生活のほぼすべてにわたり、知識や技術の学習が求められ、その基本は憶えることだった。そこでは憶えることは当然大切なのだが、忘れないだけでなく、忘れることもそれと同じくらい重要な意味をもってくる。もしすべてのことが忘れられなくなったなら、過去に縛られた生活に支配されるだろう。例えば、友人と喧嘩をした記憶が正確であるなら、喧嘩の詳細な記憶は友人との人間関係の修復を妨げるだろう。
 人の人たる所以は脳の存在。人の行動、思考、感情、そして人格はすべて脳によって決められる。だから、「心の個性」は「脳の個性」である。このように心とは脳のことだと主張するのが心脳同一説。そこまで極端でなくても、私たち自身を知りたければ、「脳」を知ることであり、「脳」を知ることは、私たち自身を知ることになる。ところで、夢は記憶が変形したもの。「夢は儚い」とは至言である。この表現は、夢(願望)は叶わないという意味で使われる場合もあるが、元来は眠るときに見る夢が目が覚めると手のひらから滑り落ちていく砂のように消え去ることを意味している。ここには夢の二つの有り様が出ている。憶えたり、忘れたりする記憶を夢として見る場合、未来の出来事や自らの欲求を夢としてみる場合、これら二つの場合の夢は何が同じで、何が異なるのか、それこそが私のもつ疑問であり、その解明が私の夢なのである。とはいえ、それを正面から解明する力のない私には周辺を徘徊することくらいしかできない。そのため、以後は記憶と夢をもっぱら扱うことにする。
 夢をみても、その一部しか思い出せないケースが少なくない。忘れた夢は二度と思い出せない。その夢は現実とまったく無関係ではなく、現実とどこかで結びついている。事実、夢に登場する人物や風景は自分自身や知人だったり、かつて眺めた光景だったりする。脳科学では、夢は脳に刻まれた記憶をまぜ合わせて合成され、またそこに想像を加えたものだとされている。つまり、現実の世界が脳の回路を通って記憶され、その記憶が変形して夢として甦るのである。
 楽しい夢だけではなく、思わず目が覚めてしまうような怖い夢もある。そこには恐怖、不安、願望などが混在しているが、それは現実の恐怖や不安や願望を何らかの形で反映している。夢が現実を反映しているとしても、なぜ、夢は記憶に残らないのか。もし夢が記憶の再生であれば、確実に記憶に刻まれてもよさそうなものである。しかし、人間は夢のほんの一部しか憶えていない。どうしてなのか。人間は生きているからこそ、あらゆるものを記憶しようとするし、記憶は未来のガイドとして役に立つ。つまり、記憶は人間が生きるためにある。
 誰もが交通信号の赤は危険の警告だと知り、それを憶えている。それは自身を守るための記憶であり、生きるために記憶が必要なことを物語っている。一方、夢は直接的な行動に結びつかない。現実の世界でなかなか告白できない気弱な男性でも、夢の中では意中の女性を口説くことができる。しかし、それが現実の行動に結びつくかといえば、それは別問題。記憶は人間が生きるために存在しているのだが、夢の中の現象や行動は現実の生とかけ離れている。そのため、目が覚めるとほとんど夢を記憶していないのである。夢は確かに現実を反映している。反映しているが、それが現実に貢献することはまずない。
 私たちは「寝ている間」ずっと夢を見ている。どうして私たちは、夢を見るのか。はたまた、夢とはどのような現象で、どんな役割があるのか。私たちは眠っている間、「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」をそれぞれ一夜に4回ずつ繰り返しているが、夢に関しては「レム睡眠のときに夢を見る」と言われてきた。「起きたときに覚えている夢」というのは、通常目が覚める直前に見ていた夢になる。普通、人が目覚めるときは浅いノンレム睡眠レム睡眠のタイミングであり、その「最後のレム睡眠のときに見ていた夢を鮮明に覚えている」ことから「レム睡眠=夢を見る」とされていた。1950年代に「レム睡眠中に鮮明な夢を見る」ことが発見されたが、その後の夢の実験中、深いノンレム睡眠中に起こしてみても、頻度は低いが、夢を見ていることが判明した。ノンレム睡眠中にも夢を見るという事実は、「夢見るレム睡眠」の発見と同様に睡眠研究に衝撃を与えた。この結果から、私たちは眠っている限り常に夢をみていることがわかった。
 夢の内容報告から、レム睡眠中は実体験に近い夢、ストーリーのある夢で、ノンレム睡眠中は荒唐無稽で辻褄が合わない夢が多いことがわかった。身体は寝ているが、脳は起きているというレム睡眠中は、覚醒時のように大脳皮質が活性化していて、夢の中での自分の動きに呼応するように大脳の運動野で手足の運動をつかさどる神経細胞が活性化する。つまり、脳の中では視覚や身体の動きを感知して、現実であるかのように夢をみているので、具体的で現実的な夢を見ることが多いのである。このような夢によって大脳を活性化させておくため、明け方のレム睡眠で自然と目覚めたときに寝ぼけを回避する確率が高まる。つまり、レム睡眠時に見る合理的な夢は、起きるための準備という役割をもっているのである。
 一方、脳も身体も眠っている深いノンレム睡眠中は、夢を見ても運動野の細胞は活性化することはなく、大脳の各部位の連携もよくない。だから、夢を見ていても、深いノンレム睡眠で急に起こされると、大脳は働いておらず、いわゆる寝ぼけ状態になってしまう。それゆえ、起きた直後に抽象的でよくわからない夢を記憶しているときは、ノンレム睡眠で目が覚めたと考えられる。
 憶えることも忘れることも重要で、夢をみるのが人の脳の特徴だということはわかったのだが、夢が記憶にどのように関わっているのかとなると、まだわからないことだらけだと実感してしまう。となると、夢と未来、あるいは夢と欲望の関係はさらに未知の領域ということになる。