忘却の功罪

(1)忘却の代表となれば認知症。その認知症の中核をなす症状が忘却という記憶障害。普通の物忘れと違って、認知症の記憶障害の特徴は、「記銘力低下」、「全体記憶の障害」、「記憶の逆行性喪失(現在から過去に向けて記憶を失っていく)」である。肝心な点は「記憶になければその人にとって事実ではない」ということで、他の人には真実であっても、本人は忘れているために真実ではなく、認知症では日常的にこの忘却が起こっている。
・記銘力低下
 今見たこと、聞いたこと、話したことを直後に忘れる、つまり「憶えられない=ひどいもの忘れ」が記憶障害の最初の特徴。同じ話を何回も繰り返し話すのは、その度に忘れてしまい、毎回初めてのつもりで話し始める。
・全体記憶の障害
 普通の人は細かいことは忘れても、重要だと思うことや体験したことを忘れることはないが、認知症では出来事そのものをすっかり忘れてしまう。これが「全体記憶の障害の特徴」である。訪ねてきた人が帰った直後に、そんな人は来ていないと主張するのは、この特徴からくる症状である。認知症の人は、ある時期、異常な食欲を示すことがある。そのような過食の時期は一人分を食べても空腹感が残っていて、しかも細かい献立の内容を忘れるだけではなく、「食べたこと」自体を忘れる。
・記憶の逆行性喪失
 認知症の記憶障害の第三の特徴が「記憶の逆行性喪失」。記憶を過去にさかのぼって失っていき、最後に残った記憶の世界が本人にとって現在の世界となる。「いまから会社へ行く」と言って、背広を着てカバンを持って出掛けようとしたり、年齢を尋ねると「18歳」と真面目な顔で答えたり、数十年連れ添った配偶者の顔が分からなくなるのも昔の世界に戻ってしまったと考えれば説明がつく。
 認知症患者は、いつも世話してくれている最も身近な介護者に対しては辛辣で、時々会う人や目上の人には寛容である。また、自分にとって不利なことは一切認めず、素早く言い返してくる。しかし、言い訳の内容には明らかな誤りや矛盾があるため、「都合のよいことばかり言うずるい人」、「平気で嘘を言う人」などと評価される。さらに、正常な部分と認知症として理解すべき部分とが混在し、これは初期から末期まで通してみられる。言ったり、聞いたりしたことはすぐ忘れるが、感情はしっかり残っていて、認知症高齢者がそのとき抱いた感情は相当時間続く。また、ある一つのことに集中すると、そこから抜け出せず、周囲が説得したり、否定したりすればするほど、逆にこだわり続けるという特徴がある。さらに、認知症高齢者の老化の速度は非常に速く、認知症でない高齢者の約三倍のスピードで進行する。

(2)次は記憶喪失性貝毒の話。モンゴメリ原作の『赤毛のアン』の舞台となったカナダ東海岸プリンス・エドワード島周辺で、1987年に養殖ムラ サキイガイ(ムール貝)を食べた人たちの間に食中毒が発生した。消化器障害(悪心・嘔吐、腹痛、下痢)と神経障害(頭痛、食欲減退)が主な症状だったが、重症患者には見当識障害、記憶障害、痙攣、昏睡等が現れ、患者107人のうち4人が死亡、12人に記憶障害の後遺症が残った。死亡した4人には、主に脳内の海馬(学習・記憶に関与する部位)に神経細胞の破壊が認められた。ムラサキイガイからアミノ酸の一種である「ドウモイ酸」が検出され、これが原因物質だった。そして、記憶喪失という症状から、ドウモイ酸は「記憶喪失性貝毒」と呼ばれることになった。
 ドウモイ酸が記憶障害を引き起こすのは、その化学構造に原因があり、その一部にグルタミン酸の構造を含む。グルタミン酸は脳の中で興奮性の神経伝達物質として働いている。特に海馬では、グルタミン酸が学習・記憶の形成に重要な役割を担っている。ドウモイ酸はグルタミン酸とは違って、ヒトの体内には本来存在しない。だが、有毒化した貝を食し体内に取り込まれた場合、ドウモイ酸はグルタミン酸が作用する部位(受容体)に結合して受容体を活性化し、神経細胞を過度に興奮させる。ドウモイ酸の作用は、グルタミン酸よりもはるかに強力で、その受容体が高密度に分布している海馬の特定の領域の神経細胞を選択的に破壊する。そして、これが記憶障害を引き起こす原因となる。
 カナダでの記憶喪失性貝毒の原因生物は、当時湾内で赤潮を起こしていた珪藻類だった。麻痺性貝毒や下痢性貝毒の原因は渦鞭毛藻で、これまで珪藻から貝毒が検出された例はなかったことから、一躍脚光を浴びた。その後、数種類の他の珪藻類でもドウモイ酸が産生されることがわかり、その幾つかの種類は日本沿岸でも確認された。カナダでの事例以後、世界各地でモニタリング調査が行われ、北米、ニュージーランドなどで、イガイ、ホタテガイ、カキ、マテガイ等に同様の有毒化が報告された。

(3)これまでの二例は忘却の否定的側面だったが、次は肯定的な側面の例を挙げよう。それは忘却がもたらす効果である。運動学習プロセスにおける「軽微な忘却」には、運動指令を最適化するという予想外の効果があることがわかってきた。脳における最適化計算の実態は謎に包まれていたが、脳に生得的に備わっている忘却という機能がその役割を担っている可能性が示された。適度な休息(=忘却)を取り入れた効率的な練習スケジュールの開発など、スポーツやリハビリテーションへ応用されることが期待できる。忘却というと、記憶を阻害するものとして悪いイメージがあり、その二例を今まで述べてきた。だが、運動を学習する場合、その記憶を「少し忘れる」ことは、むしろ、運動制御の指令を最適化する効果があることが理論的に証明された。また、個々の記憶素子に軽微な忘却が起こることを仮定してニューラルネットワークモデルをつくると、霊長類の一次運動野神経細胞で観察されるのとほぼ同じ神経活動パターンを再現できることが明らかになった。これらの結果は、脳の運動学習プロセスにおける軽微な忘却が、運動指令の最適化に貢献していることを示唆している。
 私たちの歩行や動作は制御工学の観点からみると非常に洗練されている。筋活動パターンを詳しく調べた研究によれば、目的の動作を実現しうる筋活動パターンは無数に存在するにもかかわらず、その中で最も効率の良いパターンが選択されている。無数にある解の中から、一つの解を選ばなくてはならない問題(冗長性問題)は、非常に多くの筋、関節、神経細胞が関わる身体運動制御を理解する上で重要な問題。これまでは、脳はある基準に照らし合わせて最適な解を選び出すことによってこの問題を解決していると考えられてきた。だが、制御工学から出てくる評価基準は数学的に非常に複雑で、実際の脳でそんな計算がどのように行われているのかは不明で、脳がそれほど複雑な計算を行っているとは考えにくく、最適化計算の実態は謎に包まれたままだった。
 そこで出てきた仮説が、工学的な最適化計算と同等のことを脳は複雑な評価基準を計算せずに生得的な機能だけで行うことができる、というもの。肝心な点は「忘却」。忘却は、古くよりニューラルネットワークの分野で、ネットワーク性能を高める効果があることが知られている。忘却が運動制御系において有効に機能し得るかどうかを調べた結果、幾つかの条件が揃えば、ニューラルネットワークは必ず最適な状態に達し、最も効率のよい神経活動パターンを出力できるようになることが明らかになってきた。一方、忘却が全くないと、学習に伴って運動誤差は減少するものの、神経活動レベルは減少せず、最適な状態に達する前に学習が終了することがわかった。また、忘却が大き過ぎても、必要以上に神経活動レベルが低下して運動課題の遂行ができなくなることがわかった。つまり、「軽微な忘却」がある時のみ、ネットワークは最適な状態に達することができる。
 極限のパフォーマンスを目指すスポーツ選手や音楽家は、パフォーマンス低下を恐れるがあまり、過度の練習を行い、心身に様々な問題を起こすケースが目につく。だが、軽微な忘却であれば、それはむしろ効率のよい動作に導いてくれる可能性がある。

 適度に忘れることが生存に役立ち、忘れ過ぎが生存を脅かすことが上記のことからある程度はわかるのではないか。正に忘却の功罪である。「嘘も方便」のように「忘却も方便」ということか。だが、何を憶え、何を忘れるかの選択はどうも意識的にはできないようである。