雪の中の鮭、鰤、鱈

 日本海側が大雪だと聞くといつも連想されるのは鮭(さけ)、鰤(ぶり)、鱈(たら)という冬の魚トリオ。それらが魚屋の雪の上に並べられている姿が浮かび上がってくる。鰤と鱈は一尾丸ごと、鮭は切り身で並んでいた。まだバナナが貴重品だった頃で、新潟の新井(現妙高市)に住んでいた私には冬の魚として記憶に残っているのが塩引きとふくらげ(鰤の手前の呼び名)、そして鱈だった。どの魚も雪の中がよく似合っていた。
 鱈はスケトウダラ(介宗鱈、スケソウダラ(助惣鱈)とも呼ばれる)で、真鱈ではない。上京するまで真鱈を食べたことがなかった私にはその味が新鮮で、鱈ちりの鱈は真鱈だと納得したものである。そして、スケトウダラの身は蒲鉾に、卵巣は鱈子になり、スケトウダラ自体は東京では滅多に食べないことを知るのである。一方、鰤は子供の私には未知の魚で、本物の鰤も東京で初めて食べたのかも知れない。だが、「ふくらげ」となれば冬に馴染の魚で、刺身も煮つけも美味く、私が大好きな魚だった。
 新巻鮭という言葉を田舎では聞いた記憶がなく、塩引きという単語だけが耳にこびりついている。塩蔵のサケを保存し、運ぶ際に、荒縄、菰等で包んだり、吊るしたりしたので「稲巻」、「わら巻き」と呼ばれ、それがいつの間にか「アラマキ」になったと言われている。だが、この説明は新井にいた頃の子供の私にはチンプンカンプンで、「新巻鮭」は私には未知の単語だった。
 塩引きとは鱗に逆らって、その間に塩をすり込む動作から名づけられたとされている。新巻鮭は生の鮭を箱に並べ、塩と一緒に冷凍庫に入れてつくられる。それに対し、塩引きは新鮮な鮭の内臓を取り除き、一匹一匹全体に満遍なく塩を擦り込み、表裏を返しながら約1週間ほど塩を馴染ませる。歯痒いことに、私にはどちらの鮭を弁当のおかずにしていたのかさえはっきりした記憶はなく、塩サケを食べていたとしか言えないのである。憶えているのは「今日もしょっぱい塩引きか」という独り言とその塩味だけである。
 いずれにしろ、子供の私には鮭は塩引き、鰤はふくらげ、鱈は助惣鱈のことだった。単に呼び名の違いだけではなく、加工の仕方の違い、地域ごとの呼び名の意味等が絡み合っていて、食文化圏の違いの一端が透けて見えてくるようである。