異常で異様な世界の経験

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 SF作家ジョン・ヴァーリイの描く世界では、クローン技術によって自由に変更可能な身体を持った人類が登場し、異星環境に適応する身体と脳内データの転移によって保存可能な精神とが重なり、不死が実現されている。これは今のSF作品では新奇な設定ではなくなったが、当時とすれば実に新鮮な設定だった。今ではその実現さえ具体的に語られ出している。だから、彼の世界は新奇ではなく、当たり前のSF世界なのだ。
 身体は精神の入れ物であり、その身体は交換可能、そして精神は情報、データの収集と処理の装置でしかないとなれば、正に心身一元論、人間機械論が成り立つということになる。哲学なら、それが正しいかどうかの議論が続くのだが、そんなことに無頓着なのがSFの真骨頂で、なんでもありという風に、哲学的にはニヒリスティックで、反体制的なメッセージがふんだんに溢れている。身体が交換でき、性別も変えられるとなれば、もはやセックスもジェンダーも意味はなく、人格の同一性もすっかりその意味を変えている。
 結局、ヴァーリイは人間とその社会という概念を全部否定するところから物語をスタートさせたのである。つまり、彼は心身関係の未来モデルの一つを設定し、その中での人々の物語を描いてみせた。それまでの人間観を棄て、「新しい人間の在り方」を描きたかった彼は、古いままの「愛」を新旧の世界をつなぐ唯一の絆にしたのである。
 性転換、クローン、人工知能などのSFではごく当たり前のアイデアが、ヴァーリイの世界では新たな光を当てられ、そこから、今の私たちの世界とは極めて異質なもう一つの世界が作り上げられている。その世界では同じ人間が何度も死んだり、男が女になったり、と私たちの関心を惹きつける異様な事態が山盛りなのである。あるいは、万能コンピューターとの対話、異星人の情報ホットラインから無制限に新技術を手に入れ、地球以外のどの惑星にも適応した人類の集団がいる。身体改造がごく当たり前に行われ、クローンや記憶移植がなんの抵抗もなく受容されているといった設定の底には、人間を情報に還元して捉えるという考え方が横たわっている。ヴァーリイの作品では性転換が日常化しているが、このような反倫理的な設定も相当なものなのである。
 ヴァーリイの世界では、現在の様々な人間的な問題、例えば性の問題が一応解決したものとして設定されている。大きな社会的、心理的変革によって、現在私たちが直面しているリアルな問題は、既に解決された過去の遺物に過ぎないものとして扱われている。どのように解決されたかが示されておらず、それゆえ、その限りで単なる夢に過ぎなく、非現実的で、不真面目だと非難されてきた。ヴァーリイ世界の日常生活は、私たちの現実の日常生活と乖離している。ヴァーリイ世界の登場人物たちが抱え、悩む様々な問題は、私たちが素直に感情移入できるものではない。それは、現実と無縁なファンタジイの世界での、ヴァーチャルな悩みや問題なのであり、愛が唯一の理解の鍵になっている。
 では、ヴァーリイは現実の問題から逃避しているのだろうか。確かに哲学のように正面きってぶつかってはいない。ヴァーリイは現実に無関心などころか、一見楽天的で心地よい世界の中で、彼なりにシビアな認識の変革を迫っている。だが、私たちを取りまく環境はもはや自然のものだけではなく、進化は様々な人工的な断絶の上に成り立っていることを強調するなら、彼の小説を下敷きにして、その世界やそこで生きる人間について物語の面白さを味わうだけでなく、物語の内容について哲学することも同じように心躍る(仮想の)経験の筈である。異常で異様な世界の中で、それらの経験の意義を探ることがSFと哲学の交錯する経験となるだろう。

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