我流の哲学史雑感(9)

ウィリアム・オッカム実在論唯名論
 ウィリアム・オッカムオッカムのウィリアム William of Occam 1290?-1349?)は、ドゥンス・スコトゥスと並んでスコラ哲学の最後の世代を代表する神学者で、オッカムはイングランドの地名。当時、聖職者の名をその出身地によって呼ぶことが広く行なわれていて、トマス・アクィナスも父親の知行地アクィノが自分の姓になっている。ウィリアム・オッカムフランチェスコ会神学者でありながら、人間の論理的思考を神学や形而上学から切り離し、科学的な分析を重視した。
 オッカムとなれば、「オッカムの剃刀(Occam’s Razor)」。それは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に実体を増やしてはならない」と主張する。例えば、物体の運動に関して次のような説明があるとする。「外から力が加えられない限り、物体は神によって永遠に等速直進運動をさせられる。」これは慣性の法則だが、オッカムはこの中から神を持ち出すことは余計だとして、次のように言い換える。「物体は外からの力が加わらない限り、永遠に等速直線運動をする。」このように、事柄の説明はそれに必要な最低限のもので済ますべきであって、形而上学的な説明原理を付け加えるのは科学的ではないというのがオッカムの剃刀の意味である。
 オッカムは論理学を神学や形而上学から独立したものと捉え、人間の精神的な働き、つまり思考の仕組みを扱う学問と考えた。科学は事物を対象とするが、論理学はそうではない。事物は個別的なものだが、それを表わす名辞(term、文法的には名詞のこと)には、固有名詞の他に普遍を表わす一般名詞もある。論理学が扱うのはこの普遍的な一般名詞である。固有名詞をオッカムは「第一次指向の名辞」と呼んだ。経験世界では、ある事物についての特定の経験を持たないものにとっては、その事物を表わす名辞は具体的な表象を呼び起こさない。ある石を見たことがないと、その石について具体的な表象をもてない。これに対して論理学が扱う名辞は、固有名詞を超えた一般名詞とその相互の関係を扱う。それは人間の思考の反映である。オッカムはこのような名辞を「第二次指向の名辞」と呼んだ。普遍を表わす名辞は、「第二次指向の名辞」として、いわば思考の働きを表わす符号のようなもので、個別的な事物そのものを直接表わすわけではない。オッカムのこのような主張は、スコラ哲学の中の普遍論争に大きな影響を与えた。実在論者(realist)はプラトンイデア論に端を発し、普遍的な概念に実在性を付与した。それに対して唯名論者(nominalist)は、普遍的な概念は人間が論理的な思考のために作り出した名前に過ぎず、それは人間の思考の中にあるのみで、実在性は持たないと主張した。オッカムの主張は、この普遍論争に一定の決着をもたらした。
 オッカムは、神学や形而上学の言葉を持ち出すことなく、論理学や人間の知識を研究することができると主張した。スコラ哲学はトマス・アクィナスの巨大な影響の下で、人間は神から出る無限の光に導かれて、事物の本来のあり方を認識できるようになると考えられてきた。これに対してオッカムは、人間は神の助けなしに科学的な思考が可能だということを主張した。だが、彼は本来フランチェスコ会神学者であり宗教家であった。宗教家としてのオッカムは、アヴィニョンにいた法王と対立し、当時法王と対立関係にあったドイツ皇帝に近づいた。オッカムはパドヴァのマルシグリオの主張を推し進め、宗教における個人的な信念の重要性を擁護した。中世を通じて教会の権威は巨大であり、それが末期においては法王の権威として受け継がれていたのだが、その権威よりも個人の宗教的な信条が優先される場合もあるとした。こうした思想はやがてルターによって受け継がれ、プロテスタントによる宗教革命へとつながっていく。

コペルニクスの宇宙
 コペルニクス(1473-1543)の地動説は「コペルニクス的転回」の結果であり、それが科学の発展に及ぼした影響は計り知れない。だが、コペルニクスはそれを仮説として提出しただけで、命をかけて守るべき信念とは考えていなかった。地動説を説明した書物『天体の回転について』が出版されたのは、彼の死後だった。地動説を唱えた学者はコペルニクスが初めてではない。ギリシャ時代にアリスタルコスがコペルニクスと同じような主張をしていたし、14世紀にはパリ大学のオッカム派の学者ニコラスが地球の自転説を唱えていた。コペルニクスが画期的だったのは、プトレマイオスの宇宙観では説明できない事柄を実証的なデータに基づいて説明したことだった。彼は伝統的な説明のあり方に満足せず、それらを堅固な実証的データに基づいて証明しようとした。だが、彼はピタゴラス的、新プラトン主義的な気質も持ち、その世界観は過去を引きずっていた。
 コペルニクスの時代まで支配的だったプトレマイオスの宇宙像を振り返っておこう。まず宇宙は恒星天で限られた有限な球体であり、第五元素たるエーテルによって構成されていて、そこに諸々の恒星が嵌め込まれている。次に、この有限な宇宙の中心に地球があって、恒星天はこの地球の周りを一日に一度回転している。さらに、地球と恒星天との間には遊星天がある。これは地球から見ると、月、水星、金星、太陽、火星、木星土星の順に、地球の周りを円を描いて回転している。このシステムを説明するために、プトレマイオスの理論では数多くの円が使われている。例えば、火星が地球に近づいたり遠ざかったりする現象を説明するために、火星の軌道の中心が地球の中心から外れたところにあり、火星はその軌道沿いに運動するために複雑な動きをするのだと説明された。これが「離心円」。次に、遊星が時たま立ち止まったり逆行したりする現象を説明するために、遊星の軌道の中心が円周を描いており、遊星はこの軌道にそって回転するために複雑な動きをするのだと説明した。これが「周天円」。こうしてプトレマイオスが動員した円の数は80にもなり、宇宙の動きを説明するためには、非常に複雑な手続きが必要になった。
 これに対して、コペルニクスは恒星天の回転を地球の自転によって説明した。見かけ上一日に一度恒星天が回転するのは、地球が自転していることの結果だと主張した。次に遊星は太陽を中心に公転しており、地球もその遊星の一つだと主張した。こうして、コペルニクスの説ではプトレマイオス説よりはるかに単純に宇宙の動きを説明できることになった。プトレマイオスが必要とした円の数も30に減らすことができた。だが、コペルニクスは依然として、天体が有限で、神によって作られたと考えていた。彼は天体学者である以上に、敬虔な神学者であった。コペルニクスの説には、早くから二つの難点が指摘されていた。一つは、地球が公転するのであれば、その位置によって恒星には視差というべき現象が生ずるはずであるのに、それが認められないということだった。コペルニクスは恒星が地球よりもあまりにも離れているために、人間の目には視差が映らないのだと主張した。今日では観測機器が飛躍的に発展し、この恒星視差も観測されるようになっている。二つ目は物体の落下をめぐっての問題だった。もし地球が自転しているのなら、落下した物体はまっすぐ下にではなく、少し離れたところに落ちるはずなのに、実際はそうではない。ルターはこのことをからかって、「コペルニクスは、馬車を走らせながら大地のほうが走っているのだと信ずるようなばか者」と罵った。後にガリレオはこの難問を慣性の法則を使って理路整然と説明した。

フランシス・ベーコン帰納法と経験的知識
 フランシス・ベーコン(Francis Bacon 1561-1622)は、近代的な帰納法(induction)の創始者として知られている。また、学問を確固たる実証の手続きによって基礎づけようとした点で、近代科学の精神を体現した最初の思想家だった。ベーコンはシェイクスピアとほぼ同時代人で、イギリスルネサンスの最後の世代に属する。エリザベス女王には好かれなかったが、ジェイムズ王の時代になるとその愛顧を受けて、1618年には大法官にまで出世する。しかし、収賄事件に巻き込まれて有罪の判決を受け、公職から退かざるを得なかった。晩年の数年間は、もっぱら実験や著作をして過ごしたが、或る時鶏に雪を詰めて冷凍技術の実験をしているうちに発熱し、それがもとで亡くなった。いかにも実験科学者ベーコンらしい死に方である。
 彼の重要な著作は、『学問の進歩』(1605) と『ノヴム・オルガヌム』(1620)である。『学問の進歩』の中で、ベーコンは学問について批判的な検討を行なった。その目的は、アリストテレス以来支配的だった目的論とその説明を廃し、あくまでも経験的な知識を重視する点にあった。この経験的な知識を生み出すルールが、個々の事物から普遍的な法則を導き出す帰納法(induction)である。その詳細についての議論が『ノヴム・オルガヌム』の中で展開されている。
 ベーコンは人間の知識の中で合理的な知識を扱う哲学について、それを神学、自然哲学、人間哲学に分類し、その中で神学と自然哲学との関係についてかなり立ち入って考察している。彼は神の存在は理性によって証明できると考えていたが、神学における他のすべての部分は啓示によってしか説明できないと考えた。これに対して自然哲学は啓示とは無縁の学問であり、あくまでも理性に基づくと考えた。
 このように、彼は神学と自然哲学との混交を廃し、両者の領分を厳しく分離した。その上で自然哲学、つまり自然科学を、理性とその根拠となる経験に基づかせようとしたのである。ベーコンの学説の中で最も重要なのは、帰納法にかかわるものと、「イドラ」と彼が呼んだ人間の認識を曇らせる偏見である。彼はこれらを『ノヴム・オルガヌム』の中で詳細に議論している。ベーコンは「知は力なり」と言ったが、それは知によって人間は自然を征服し、世界の主人になれるという意味をもっていた。人間は空虚な議論によってではなく、科学的な発見や発明を通じて視野を拡大し、自然を征服する手段を身につけていく。この発見や発明を可能にするのが経験的な知識である。
 ベーコン以前の帰納法の議論では、「単純枚挙による」帰納法のみが知られていた。だが、これでは確実な法則は得られないとベーコンは考えた。単に事実を枚挙するだけでは法則の普遍性の保証ができないからである。ベーコンはもろもろの事象からまず一次的な法則を立て、それらを相互に結びつけることで高次の法則へと進み、さらにその法則を事実に適用することによって、その確実性を実証する手続きを考え出した。だが、ベーコンは帰納法を重視するあまり、演繹法(deduction)の持つ意義については重視しなかった。