我流の哲学史雑感(3)

ヘラクレイトス:万物流転の思想>
 ヘラクレイトスイオニアの都市エペソスに生まれ、紀元前500年頃に活躍した。彼はミレトス派とは異なる独特の思想をつくり上げた。「万物の根源は火である」というのが彼の哲学の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」と説いた。ヘラクレイトスの言葉は非常に難解で晦渋なものとして知られているが、その人柄も学説を裏返したように気難しかったようである。彼の別名は「暗い人」、あるいは「謎をかける人」。もともとエペソスの王家の末裔だったと言われ、気位の高さはその生まれから来ているのかも知れない。彼はピタゴラスやクセノパネスを痛烈にこき下ろし、あのホメロスでさえ尊敬しようとはしなかった。ヘラクレイトスにはこのように変わったところがあったが、ついには人間嫌いが嵩じて、人里離れた山の中で暮らすようになった。そして草の葉や木の実を食べて暮らしているうちに、水腫にかかって死んだと伝えられている。これは、火を尊び、水を卑しんだ哲学者にとっては、皮肉な最期だった。このヘラクレイトスの基本思想を、火に結び付けて集約したのが、外ならぬアリストテレスである。アリストテレスは『形而上学』の中で、ヘラクレイトスの説をミレトス派の延長上で論じ、次のように述べている。

「メタポンティオンのヒッパソスやエペソスのヘラクレイトスは、火を「真にもとのもの(原理)」であるとしている。」

アリストテレスヘラクレイトスイオニアの哲学者たちが探求したアルケーの思索者として位置づけたが、師のプラトンの評価は違っていた。プラトンヘラクレイトスの複雑な思想の中から、その核心をなすものとして「万物流転」を取り上げた。プラトンによれば、ヘラクレイトスは、この世界に存在するすべてのものは、一瞬たりとも静止していることはなく、絶えず生成と消滅を繰り返えすと主張した。「諸君は同じ川に2度足を踏み入れることはできない。なぜなら新しい川水が、絶え間なく諸君に押し寄せてくるからだ。」とヘラクレイトスは言って、この世界に恒常的なものは何もないことを強調した。恐らくピタゴラスを通じて不変のイデアという観念に到達したプラトンにとっては、ヘラクレイトスの思想は乗り越えなくてはならないものだった。そこで、プラトンヘラクレイトスのこの思想を自分の哲学の中に巧妙に取り込んだのである。つまり、「感覚知覚できる世界には永遠不変のものは何も存在しない」ということの証拠として万物流転の思想を利用しながら、「感覚を超えた知性的な存在としてのイデア」の普遍性、不変性を対照的に主張したのである。
 プラトンアリストテレスが後世に与えた影響があまりにも大きかったので、ヘラクレイトスの思想もその枠内で理解されることが多かったが、彼の思想は決してそのようにこじんまりしたものではなかった。例えば、火についても、アリストテレスが要約したような静的な原理には留まらない。火は始原的な要素であり、万物がそこから生じた元のものではあるが、それ自身が不変の実体といったものではなく、絶えず燃えながら変化しているものである。「火は空気の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」といった具合に、すべてが相互回帰的に循環しながら、流動している。そこには、戦いのイメージがある。「戦いがすべてのものに共通して見られ、闘争が正義であることをわれわれは知らねばならぬ。」この戦いのイメージは、戦いを通じての統一のイメージとも結びついている。「対立物の統一」の思想である。闘争において対立物は調和であるところの一つの運動を生み出すべく結合する。「万物から一が生じ、一から万物が生ずる」という言葉は、この絶え間ない運動の過程を象徴したものである。ヘラクレイトスにとっては世界とは、万物がせめぎあいつつ、その動的なプロセスのなかから調和したものや一なるものが生成される、と考えられていた。統合する対立物というヘラクレイトスのこの思想は、やがてヘーゲルによって血肉化され、弁証法的な思考へと発展していくことになる。つまり、アリストテレス風の合理的で静的な世界観とは反対の動的でロマンティックな世界観の持ち主がヘラクレイトスだったのである。
 ところで、弁証法となれば、かつての熱狂はどこに行ってしまったのだろうか。熱狂が醒め過ぎたためか、誰も弁証法について何も言わなくなってしまった。戦後の弁証法唯物論の流行を理論的に支えていた弁証法とは一体何だったのか。
 それはまとめの図式であり、整理のための表現だった。論理規則のように一般的に見えるが、因果法則にも見えて、ヘラクレイトス以来の万物流転のパターンによく似ている。だが、弁証法を使っただけでは予測や予言ができない。ところが、弁証法は説明ができる。「予測できないが、説明できる」とは奇妙な表現であるが、未来はわからないが過去はわかるということとほぼ同じ意味である。これは考えてみるまでもなく、とても不合理なことである。「過去はわかるが、未来はわからない」と主張することと同じで、これは至極当然のことではないのか。
 負のスパイラルという謂い回しは最近よく聞くが、それは法則ではなく、説明だと考えられている。だが、実際は現象の叙述のようななものに過ぎない。そして、それによく似ているのが弁証法である。弁証法が一挙に説明しようとした歴史をつくる因果的変化の一般的パターンは、断片的な個々の領域の因果的変化の総合であり、ビッグデータをもとにした情報の総合によって次第に実現してきており、地球の気象、自然の変化についての信頼できる知識が生まれつつある。