我流の哲学史雑感(2)

タレス:最初の数学者、哲学者>
 タレスは紀元前7世紀末から6世紀の前半にかけて、小アジアイオニア地方の植民都市ミレトスで活躍した。その学説の詳細は不明だが、世界最初の哲学者たる名誉に輝いているのはアリストテレスの注釈のお蔭である。アリストテレスは『形而上学』の中で、哲学とは知識を愛することであるが、知識の中でも、ものごとの始まり、つまり「アルケー」に関する知識こそが根源的なのだと述べ、最初に「アルケー」について思索したのはタレスだと書いた(「タレスは、あの智恵の愛求(哲学)の始祖であるが、水がそれ(アルケー)であるといっている。(それゆえに大地も水の上にあると唱えた)そして、彼がこの見解を抱くに至ったのは、おそらく、すべてのものの養分が水気のあるものであり、熱そのものさえもこれから生じまたこれによって生存しているのを見てであろう。しかるに、すべてのものがそれから生成するところのそれこそは、すべてのものの原理(アルケー、始まり・もと)だから、というのであろう。」(出隆訳、岩波文庫版))。
 アリストテレスタレスこそが智恵の愛求(哲学)の始祖であると述べているが、智恵とは何か。往昔のギリシャ人たちにとっては、「世界の根源とは何か」についての智恵こそが真の智恵だった。タレスアルケーについて初めて真剣に考えた人である。さらに、タレスはエジプトに旅行したことがあり、その地で幾何学を学び、ギリシャに持ち帰った。そして、測量技術に近かったエジプトの幾何学的知識はタレスによって数学理論としてまとめられた。タレスは数学者として論証や証明(inference, argument, proof)に精通していた。タレスはまた、天文学にも造詣が深かった。彼は哲学者として知られていたが、貧乏であったので、人びとから哲学などは何の役にも立たないと揶揄されていた。それに対して、金儲けがいかにたやすいことであるかを証明するために、天文学の知識を利用した。ある年、星の観察によって翌年はオリーブの豊作になることを予見した彼は、オリーブ油を作る機械を買い占めることによって、大儲けをしたのである。
 タレスについてのこのような説明の中で注目すべきは、数学の証明についてのタレスの貢献である。論証や証明は、論理的な説明であり、仮定から結論までの文の集まりからなっている。仮定が真ならば、結論は必然的に真になるように作文されており、誰もが反論できない仕方で説明する形になっている。
 まずは、タレスの定理を見てみよう。タレスの定理は「直径に対する円周角は直角である、つまり、A, B, C が円周上の相異なる 3 点で、線分 AC が直径であるとき、∠ABC が直角である」と主張している。まず円を書く。直径を引いて、円周上に一点をとり、直径の端からその点に線を引いて三角形を作る。すると、それは必ず直角三角形になる。この定理を知った人は、何故そうなるのか知りたくなる。そのための方法が証明なのだ。証明の仕方は極めて簡単。最初にとった円周上の一点、つまり三角形の頂角から一本の線を円の中心に引いてみよう。そうすると、半径を一辺とする二等辺三角形が二つできる。二等辺三角形は二つの辺が等しい三角形だが、同時にその底角も等しくなっている。そこから簡単な算術で直角であることがわかる。これで証明は終わりである。
 タレスは、日食を予言したりして当時の人を驚かしている。当時の人は、自然界におきる出来事は神様がやったこと、全てのものは神様が作ったもの、と考えていた。ところが、タレスは万物のアルケーが水であると始めて主張した。タレスの偉いのは、それまで神様を持ち出して説明していたのを、自然をよく見て、そこから元のものを探っていくことにより、いろいろな現象を自ら説明しようとした点にある。これが原子論の出発点になり、科学の始まりになるのである。
 タレスは、数学の神様と呼ばれている。彼はエジプトから学んだが、単に真似しただけではない。彼の新機軸は数学の証明である。証明という概念はギリシャで生れたのである。数学は文明の発達と共に生れたから世界中に見られるのだが、証明はギリシャにしかなく、ギリシャ人が発明したものである。例えば、中国の数学を本を見てみよう。内容を見ると、まず問題が書いてある。そして、次にやり方と答が書いてある。そして、それだけ。そこには、何故そうなるのかの説明はない。ところが、ギリシャ人たちはその説明を証明として書き残している。その集大成がユークリッド幾何学の『原論』である。
 タレスギリシャ人を説得、納得させようとして使った説明方法が「論証、証明」と呼ばれるものだった。それは「説明、解説」の特別なものであり、反論の余地がない仕方で相手を納得させるものだった。より一般的には「叙述、記述」という言語の表現能力の一つなのだが、言葉と論理、そして数学的知識が見事に組み合わされたのがタレスに始まる証明だった。
 言葉の力は何かを表現し、それによって情報や知識を伝達し、人に判断を促し、行為に駆り立てることにある。誰もが理解でき、反論ができない仕方で説明する方法が論証や証明である。仮定に対して論理的な規則を適用して、文を組み合わせ、分離し、変形することによって結論を導き出すことが論証、証明である。
 相手を説得、納得させるために超能力、権威、迷信などを使うことが多い中で、タレスの方法は論理的な必然性だけに頼るものだった。論証、証明は反論できない仕方での説明であり、物語と論証が決定的に異なるのは「ならば」という接続詞の意味の違いである。物語に登場する「ならば」には因果的な意味と論理的な意味の両方があるが、論証の「ならば」はすべて論理的で、因果的な「ならば」はどこにもない。
*何度も二つの「ならば」の違いを説明してきたが、それを思い出してほしい。原因と結果は接続詞「ならば」で結ばれて、「AならばB」となるが、前提や仮定と結論も同じ接続詞「ならば」で結ばれて、「AならばB」となる。紛らわしいのは私たちの言葉遣いだけで、私たちは二つの「ならば」の意味の違いを心得ている。
 この論証、証明を使って数学的な説明を実行したのがタレス。その具体例が上述のタレスの定理である。そしてこの証明という方法を獲得したおかげで数学は発展していくことになる。ところで、タレスが何故証明を始めたのか考えてみよう。理由の一つは、既に説明した、物事の元になる物をあくまで追求する心があったこと。二つ目は、民主主義ではないか。王がいて、その権威によって押しつけるのがエジプト。それに対して、ギリシャは、民主主義の国。エジプトは一人の王が命令し、他の者はそれに従うだけ。だから、意見の対立でもめない。ところが、ギリシャはみんなが自由に自分の意見を言う。
 そして、この勝手な意見表明から哲学や科学の芽が生れる。民主主義はみんなが違ったことを言うのを許し、なかなかまとまらないから、相手を説得して意見をまとめる術が必要になる。誰の主張が正しいのかを知るには証明が不可欠なのである。相手を説得し、納得させることが論証や証明を生み出したといってもよい。
 タレス以前、ギリシャ以外の地では物事の説明は神話や物語の伝承によって行われていた。それに対して、タレスが生み出したのは論証、証明という説明方法だった。人間らしい説明方法がいずれかと問われると答えに窮する。いずれの方法も人間的であり、人間の本性の二つの側面を炙り出している。権威に頼り、物語を使って説得する方法の代表が宗教だとすれば、理性的に論証を使って証明する方法を主張したのがタレスで、それが哲学、さらには科学の方法に繋がっていくのである。

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