神話、物語、そして歴史

 物語は私たちの心を魅了し、麻痺させる。神話や物語に私たちは本能的に反応する。私たちの好奇心を満たしながら、疑問や異議を巧みに封じ込めてしまう。物語や神話は私たちに快楽を提供し、それを通じて私たちを麻痺させることができる。魅力的な話の展開は私たちの批判的な探求を妨げ、受け身の気楽さを容易に与えてくれる。人はそれぞれ自らの物語のストックをもつが、それらを利用しながら、以下の項目について考えてほしい。
1物語の面白さ:その幾つかの理由
 言葉で書かれたものであれ、絵画や映像であれ、物語は私たちを惹きつける。物語が作り物であることがわかっていながら、面白い筋の展開はそれを忘れさせ、あたかも本物であるかのように錯覚させることができる。私たちは眼前の変化を追うのと同じように、物語の展開を追うことに熱中する。そして、それには変化や展開の批判的分析や分析に必要な努力が必要ないのである。
2物語の特徴:個別性、展開の妙
 では、何故物語が面白いかと言えば、個別的なストーリー、登場人物、事件や背景、それらが劇的に展開する(物語の因果的内容)からである。私たちは全てを忘れて物語の展開に引きずり込まれ、登場人物に憧れる。さらに、物語はわかりやすく、理解するための努力は必要なく、読めば、見ればそのままわかってしまう。
3生き様の叙述:解釈された人生
 物語の主題は人生についての貴重な具体例になる場合が多い。人生の指針だけでなく、法律、倫理に関する内容もしばしば主題となる。刺激的な主題がスリリングに表現され、それがそのまま人生の縮図となっている。例えば、人生が眼前でわかりやすく展開される映画は苦も無く別の人生の可能性を描いてくれる。
4プラグマティックな知識の典型:わかる物語
 物語とは解釈された知識であり、わかりやすい説明の最たるものである。それは、従って、使える、役に立つ知識の典型である。わかるための努力は必要なく、即わかるのである。その意味で物語はプラグマティックな知識の典型であり、すぐに使うことのできる知識なのである。
5物語と理論:知るための二つの方法、映像は第3の方法
 私たちが世界について知る、わかる方法は二つあった。理論と物語がそれら二つである。理論(哲学、科学)が一般的、普遍的な知識であるのと好対照に、物語は個別的で、特殊的である。理論が説明するのに対し、物語は叙述する。記述的な描写によって何がどのように起こるかが苦も無くわかるのが物語の特徴である。そして、第三の方法が映像であり、それは実際の経験のように知ることができる方法である。
(結論)
 物語はそれが素晴らしい作品であればある程、私たちの判断を麻痺させ、私たちの心を掴み、麻痺させる。理論は正しくても私たちから理解されない場合があるが、物語には誤っていても私たちにそれを信じ込ませる力がある。真偽が理論の命だとすれば、物語は死んでなくても一向に構わないし、偽だとわかっている場合も許容する。物語がわかりやすい、理解しやすいために、それを楽しみながら信じることになる。
 歴史や進化は物語的である。因果連関はそれをつくるのが厄介でも、展開される連関を受け入れることは実に楽にできてしまう。歴史や進化の物語は数学の定理の証明とは違い、誰にもわかりやすい。

(問)
 それぞれ最も関心のある神話、物語、歴史事件を想起し、どこに関心をもつか述べてみよう。なぜ私たちは神話や物語に惹きつけられるのか。なぜそれらに興味を示すのか。なぜ私たちは世界に歴史があり、自分にも歴史があると信じるのか。
 「神話、物語は歴史的事実ではない」とはどのような意味だろうか。神話、物語、歴史に共通する登場人物、状況、因果的関係の特徴を何か。

特定の登場人物、特定の状況設定、特定の事件、特定の結末と、神話や物語は個別的な事柄から成立している。歴史もすべて個別の出来事の集まりである。すべてトークン(token)からなっているのが神話、物語、そして歴史である。そして、それら特定の事柄が因果的に生起し、登場人物が因果的に行動する。
 特定の対象、特定の出来事、個々の対象や出来事の特定の関連、特定の時間・空間の中での対象の特定の変化と出来事の特定の生起、つまりトークンを一貫して理解するための形式が物語であり、それは起承転結のシナリオ、プロットをもち、生活世界の特定の現象的変化を表現している。トークンとしての対象、出来事、因果的な連関をまとめ上げるには物語という形式しかないのではないか。個々の物語はトークンであり、その中のエッセンスだけがタイプ(type)として取り出される。理論が典型的にタイプであるのに対し、物語はトークンである。「一般的物語」などどこにもない。そして、そのトークン性は私たちの知覚経験と同じ次元にある。私たちの日常の経験はトークンそのもの、一回限りのものであり、それゆえ、生き生きとした「クオリア」を日々新たに体験できるのである(クオリアはタイプなのかトークンなのか)。