自分についての知識と他人についての知識(4)

デカルト的方法:他人の心の知識
 心の知識に関する行動主義の見解はデカルト的な仕組みを逆にしたもので、心の私的性格を公的な性格で置き換える。それは他人の心についての公共的知識を基礎にして、それを自己知識にまで拡大するという説明上の戦略を採用する。そこでは他人の心の知識は他人の行動、行動的な傾向性についての知識と解釈されている。
[他人の心の知識についての行動主義的モデル]
 他人の心とその状態の存在、これら両方の知識をもつための基礎は何か。それを調べる時に利用できるのは他人の行動である。この点では行動主義者もデカルト主義者も変わりはない。行動と心の間の関係をどのように考えるかという点で二つは根本的に異なっている。行動主義は行動と心のギャップを消去しようとする。心を行動に還元することを主張する行動主義のテーゼは、心的用語を含む文を行動的な用語しか含まない文に翻訳できるというものだった。それは哲学的な行動主義のテーゼとして次のように表現できる(論理的行動主義の主張)。

心の状態を述べる文は行動を述べる文と意味において同じである。

これを他人の心を知る場合に適用すると、他人の心を知ることは他人の行動を知ることと意味において同じであるという主張になる。デカルト主義と行動主義が如何に異なるかを他人の心に関する次の文で比較してみよう。次の三つの文を花子が述べたとしてみる。

「太郎は自民党の経済政策では日本の将来はよくならないと信じている。」
「次郎は激しい痛みを感じている。」
「私の心以外に他人の心が存在する。」

デカルト主義で考えるなら、花子は他人の意識のなかで進行している事柄について主張している。したがって、彼女の言うことが正しいためには、彼女の主張することが実際にそれぞれの意識のなかで起こっていなければならない。文の真理条件(truth condition)を使ってデカルト主義者のこの主張を述べ直すと次のようになる。

最初の主張が真である ↔ 花子が自民党の経済政策では日本の将来はよくならないと信じていたら、その花子の意識の中にあることに完全に類似したことが太郎の意識の中にもある
二番目の主張が真である ↔ 花子が彼女自身の意識の中で直接にわかる、彼女が「激しい痛み」と呼ぶものに類似したものが次郎の意識の中にある
三番目の主張が真である ↔ 何かが起こっている(花子の意識以外の)意識が存在する

一方、行動主義的な見解では花子は他人の行動について上のような主張をしている。したがって、行動主義的にそれら主張の真理条件を考えると次のようになるだろう。

最初の主張が真である ↔ 太郎の行動は自民党の経済政策に否定的に反応する行動性向として解釈できるような行動である
二番目の主張が真である ↔ 次郎が激しい痛みの典型的な行動を示す
三番目の主張が真である ↔ 心をもった人に典型的に認められるような行動がある

以上のことから、他人の心の知識についてのデカルト主義と行動主義の違いは明らかであろう。実際の私たちはいずれかの見解に基づいて首尾一貫した見方をしているわけではない。両方の見方を適当に使い分けている。

(問)日常生活で他人の心に対するデカルト主義と行動主義の使い分けの具体例を考えよ。

[自己知識への行動主義的見解]
 他人の心の知識は他人の行動性向の知識であるというのが行動主義である。これを自分自身の場合に適用すると、自己知識は自分自身の行動性向についての知識ということになる。このように考えることによって、自己知識のさまざまな特徴、特に一人称の特権性を説明できるのだろうか。
 デカルト主義での自己知識の特権性は自らの意識の中で演じられることを直接に経験できることに基づいて考えられていた。もし自己知識が自身の行動性向の知識に過ぎないのであれば、他人である方がその人自身の行動性向をその人よりはうまく知ることができる場合がしばしばあることになる。これが示唆しているのは、一人称の特権性も、その人自身の心を知ることと他人の心を知ることの間にある違いも行動主義的用語ではうまく説明できないのではないかということである。だが、自分自身の知識と他人の心についての知識の違いは次の一般化が大抵の人にとって大抵の場合に成立することから行動主義的にも説明できる。

他人の行動の証人になる場合よりその人自身が自分の行動の証人になる場合が多い。

むろん、この命題が誤っている場合はある。しかし、大抵の場合、自分の行動はいやおうなしに眼に入ってくる。この命題には心の形而上学的性質は述べられていないが、それを使うことによって、一人称の特権性は説明できる。そこではデカルト主義で考えられた自己知識の直接性や特権性という特徴をあえて想定する必要はない。実際、このことは行動主義の利点と考えることができる。

(問)君自身は君の心について、そして君の最も大切な人の心について、それぞれどのように考えるか?