神技擬きの微調整(fine-tuning):神のデザイン、あるいは人間原理

 宇宙がデザインされたものだという主張には沢山の証拠があります。

強い相互作用が2%弱ければ、陽子が2個以上の原子が維持できず、宇宙には水素原子しか存在しない。1%強ければ、水素原子はほとんど存在せず、鉄原子より重い原子もほとんど存在しない。弱い相互作用がわずかに強ければ、中性子はもっと速く崩壊し、ビッグバンではヘリウム原子がほとんど生成されない。弱い相互作用がわずかに弱ければ、ビッグバンで水素原子はの大半が燃え尽くす。電磁場の結合定数が違えば、原子や分子は大きく異なる。重力は電磁力よりも10の40乗倍も弱い。電子と陽子の数の比が1/10の37乗よりも違っていれば、重力よりも電磁力が勝り、恒星や銀河や惑星は形成されない、等々。」

これら言明について、以下のような説明、あるいは説明擬きが列挙できます。

不条理宇宙:たまたま、宇宙はこうなっていた。
ユニーク宇宙:深い基礎物理学の原理により必然的に宇宙がこうなっている。何らかの万物理論によって説明がつく。
マルチバース:宇宙が多数存在し、その一つの宇宙がこうなっていた。
創造論:創造主が知性の出現できる宇宙を創造した。

 創造論も結構説得力がありそうですが、「なぜ神は知性が出現できる宇宙を創造したか」について神自身は何も語っていません。インフレーション・ビッグバン理論によれば、120桁もの高精度で微調整されていると考えられている現在の真空のエネルギー(暗黒エネルギー)密度がごく僅かでもずれていたら、人間が誕生する可能性がありませんでした。もし1桁大きかったら(小さかったら)、宇宙は今より以前に膨張(収縮)してしまい、地球が誕生して生物が生まれるために必要な時間がなかったことになるからです。宇宙を支配している物理法則は、人間が生まれるために必要な厳しい条件を奇跡的に満たしているのです。
 そこから、この宇宙は創造主によって超自然的にデザインされ、人間を生み出すために微調整されている、という考えが自然に浮かんできます。でも、それでは「神ぬき」で自然を合理的に理解しようとする自然科学の原則から外れてしまいます。そこで、多宇宙論を支持する学者の間で「人間原理」と呼ばれる次のような考え方が広まりました。

「宇宙は無数に存在し、それぞれの宇宙は異なる物理法則によって支配されている。その中で、人間が誕生するような条件が整った宇宙だけが人間によって認識される。それ以外の宇宙は存在していても、人間が出現しないから認識されない。従って、人間によって認識されている宇宙は、人間を生み出す目的に沿ってデザインされているように映る。」

 つまり、宇宙が奇跡的に微調整されている理由を「創造主ではなく人間が宇宙に存在している」ことのうちに求めるのが人間原理なのです。でも、人間原理は宇宙が人間のために微調整されている理由を創造主の代わりに人間に求める形而上学であり、科学ではないと切り捨てる科学者が大勢います。さらに、人間原理は、宇宙で人間が誕生したのは、宇宙が人間の誕生に必要な条件を満たしていたからだという当たり前のことを述べているに過ぎず、また、人間原理を受け入れることは、科学的探究をやめてしまうことだと批判し、科学者は究極の理論を物理学の中で探求すべきだと主張する科学者も大勢います。
 では、宇宙の微調整を説明できる「究極の理論」に達することができるのでしょうか。現在、素粒子物理学では、素粒子物理学と重力理論を統合して、「万物の理論(theory of everything)」と呼ばれる究極の理論の追求が進んでいます。しかし、完成の見通しはまだ立っていません。万物の理論の候補として「超ひも理論」(超弦理論)といわれる理論が作られています。超ひも理論は、これまでは点のイメージで捉えられていた素粒子を、一次元の非常に小さな「ひも」と考えます。では、この超ひも理論は万物の理論になり得るのでしょうか。
 実は、超ひも理論の方程式から、なんと10の500乗、すなわち500桁にもおよぶ多宇宙の解が得られたのです。しかも、その宇宙ごとに物理法則と物理定数が異なっているのです。これでは、私たちの宇宙に存在している素粒子の起源を解明する究極の理論にはなり得ません。ところが、500桁もの宇宙があることを逆手にとって、人間原理を支持する論拠とされるようになりました。つまり、このように無限に近いほど多数の宇宙が存在すれば、その中に必ず現在の観測値と一致する真空のエネルギーを持った宇宙が存在し、そこに人間が生まれ、宇宙を認識しているのであると。人間原理によらないで宇宙の微調整を説明してくれる万物の理論の候補として期待されていた超ひも理論が、今や人間原理を支持する論拠とされているのです。
 これまでのことをまとめてみましょう。人間原理は「この宇宙が人間の誕生に必要な条件を奇跡的に満たしている、つまり、宇宙が微調整されているのは、無数に存在する宇宙の中で人間の誕生を可能にする条件が整えられた宇宙のみで人間が生まれたからである」と説明します。人間原理は、「宇宙の微調整」の原因を神という創造主の代わりに人間に求める形而上学です。人間原理によらずに「宇宙の微調整」を説明できる究極の理論の候補として「超ひも理論」が期待されたのですが、この物理学の未完の理論は逆に人間原理を支持する論拠となっているのです。ミイラ取りがミイラになってしまったのです。