生命の変化(2)

情報とDNA分子
 以下のような文を見て気づくことを挙げてみよと言われたら、何を挙げるだろうか。また、各文に現われる情報に関連した用語を使わずに、同じ内容を表現できるだろうか。

遺伝するのは親から子へ物理的に引き継がれるDNA分子である。
DNAは身体のタンパク質をつくるのに使われる情報を構造的に暗号化している。
DNA内の情報は転写と翻訳によって解読される。
突然変異のエラーはDNAの複製と修復の過程で起こる。
遺伝子はメンデル的な遺伝法則に従って遺伝する。
(最初と最後の文には情報に関する謂い回しがないが、それらの文の内容は残りの文に使われている情報に関する謂い回しがないと理解できない。)

 メンデルの遺伝法則に基づいた「情報モデル」での因果性は物理的なものの間での因果性と同じではない。だが、確かに情報の遺伝、発現は因果的に遂行される。では、情報を含む因果性とはどのような因果性なのか。情報を付随(supervene, supervenience)させている物理的なものが直接の因果の原因、結果であると考え、情報そのものはそれらに付随すると一般的に考えられている。では、情報はその場合重要ではなくなるのか。情報がなければ何が因果系列を構成しているか不明になるだろう。また、情報を意味の世界の出来事にしてしまったのでは分子遺伝学の大半が意味の世界についての研究になってしまう。入口と出口だけを、あるいは途中での重要な点だけを情報で考え、他は化学的な因果性で捉えるというのが現在の対処法である。
 「エラーとしての突然変異」という表現は規範的な規則に違反することを示している。その規則は力学的な因果的規則と違って、それを破ることができるような規則である。それゆえ、エラーが存在できる。物理的な規則とは独立した、しかしそれに抵触しない、一貫した遺伝の規則は物理的規則に比較すれば、特殊なもので、それゆえ、破ることができる。それゆえ、遺伝の規則は物理法則のような必然性をもっていない。
 メンデル理論が不変の粒子を仮定することは、力学的な粒子が不変であることに似ている。自然科学で数学が使えるためには、数学が適用される対象が何かに関して不変でなければならない。遺伝子がブレンドされて、別の遺伝子にならないことによって、メンデル遺伝学は数学的に表現できる。また、変異が集団内に保存されるためには遺伝子の不変性が必要である。
分子レベルの知見を以下のように簡単に要約するのは危険であるが、進化に係わる事柄だけをまとめておこう。

1遺伝はDNAと呼ばれる分子によって決定され、DNAの構造とその働きのメカニズムは細部まで理解が進んでいる。
2 DNA分子はタンパク質を暗号化する遺伝子と呼ばれる領域に分けられる。DNAのコードは2段階(転写と翻訳)で読まれて、タンパク質をつくる。
3 DNAは染色体上に物理的に存在する。各個体は染色体の二対の集合をもつので、すべての遺伝子の二つの集合をもつ。個体の遺伝子の組み合わせはその遺伝子型と呼ばれる。
4新しい遺伝的変異はDNAにおける突然変異によって起こる。突然変異率は直接観察から推定できる。
5ある遺伝子型をもつ二つの個体が交配すると、その子供の遺伝子型の比率はメンデルの法則から予測可能である。
6異なる遺伝子はメンデル的遺伝のもとで幾世代も保存され、それが自然選択の働きを可能にする。

3進化の事実
 既に1、2で進化が客観的な事実であり、自然変化の重要な一側面であることを強調した。重力が科学的事実であることはそれをテストする実験や観察によって確証される。それと同じように進化も他の事実によって確証されなければならない。だが、物理的事実と違って、進化の事実は認められるだけでも多くの証拠を必要とした。それら証拠を簡単に振り返っておこう。

(問)惑星の存在と恐竜の存在が事実であることを確証する場合に違いはあるだろうか。(ヒント:金星や月が望遠鏡で見えるのに対し、恐竜は直接に知覚できるだろうか。)

 進化の事実は次のような分野や事柄で多くの異なる証拠が集められている。

1生物地理学(Biogeography)
2機能的形態学(Functional morphology)
3古生物学(Paleontology)
4比較発生学(Comparative embryology)
5人為交配(Animal and plant breeding)
6分子レベルの証拠(Molecular evidences)

 ダーウィンは孤島の有機体が孤島に最も近い大陸の有機体によく似ていることを観察している。(これは1の証拠。)また、ガラパゴス諸島の各島には僅かに異なったフィンチの種類が棲んでいるが、いずれも南アメリカ大陸の一つの種に近い。(これも1の証拠。)ヒトには痕跡器官として耳を動かす筋肉がある。(これは2の証拠。) ウマやクジラにも下図のような痕跡器官がある。(これも2の証拠。)
 比較発生学からの証拠としてよく出されるのが、異なる有機体の初期胚は互いによく似ていることである。(「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケル(Ernst Haeckel, 1834-1919)の生物発生原則はこの事実に基づいていた。)
 人為交配の証拠は私たちが家畜や飼料として利用する動植物を見れば明らかだが、ダーウィンも人為選択によって変化する家畜から大きな示唆を受け、『種の起源』を人為選択の説明から始めている。分子レベルの証拠は近年莫大なものとなっており、分子レベルでの系統関係が次第に明らかにされてきた。例えば、コウモリの生化学はトリよりクジラのそれに近い。そこから系統関係に関してコウモリとクジラがコウモリとトリより近い共通の祖先をもつことが予測できる。
 ダーウィンの理論には二つの大きな考えが含まれている。いずれも彼の発案ではないが、それらの組み合わせと適用は彼の発案である。まずは、生命の樹(tree of life)という考えである。生命の樹の存在を時間的、歴史的に考えると、それは進化の存在を含意する。共通の祖先の存在は、それから子孫への系統的な変化を意味しているからである。そこから、現存する、異なる生物種は共通の祖先をもつということになる。この考えの強い形は、すべての生物種は一本の樹を構成するというダーウィンの主張である。(『種の起源』に掲載された唯一の図版は生命の樹(=系統樹)である。)この主張によれば、どのように異なろうとその祖先を辿っていくと最後にはただ一つの最初の生物種に到達することになる。(単系統説)生命の樹の弱い主張は複数の樹を認める主張である。(多系統説)それゆえ、生命の樹という考えはダーウィンが考えた進化以外の進化の考えも許容する。その例として、ラマルクの進化の考えを見てみよう。彼は、生物はそれ自身の内に複雑になるという傾向性を遺伝的にもっており、それによって単純な生命が次第に複雑になっていくと考えた。また、単純な生命は無生物から発生したとも考えた(自然発生説)。ラマルクによれば、人間は最も古い生物である。というのも、人間は生き物の中で最も複雑だからである。ところが、現在のミミズは単純なので人間よりはるかに新しい生物ということになる。だが、現在の人間は大昔のミミズの子孫であるという考えはこのラマルクの理論と矛盾していない。ダーウィンは生物種全体が単一の生命の樹を構成すると考えたが、ラマルクの考えは複数の生命の樹である。いずれでも進化、つまり変更を伴う由来を含意するが、その祖先と子孫の関係のパターンは異なっている。
 このように見てくると、進化は直接知覚できる変化ではなく、観察や実験に基づいて、幾つかの仮説から構成される歴史的事実の系列であることがわかるだろう。現在の進化論は単系統の考えをとり、どのようなパターンをもって生物種が別の種から由来したか、いつ新しい種が現われ、古い種が絶滅したかといった歴史的問題が考察されている。

(問)知覚される事実と進化の事実の違いを説明し、それらを確証する場合に違いがあるかどうか述べよ。

 もし歴史的事実の確定という問題が解けるならば、次に問題になるのは「なぜ」に対する答えである。どのようにして変更が生じたのかを明らかにしなければならない。そのためには進化の過程に関する知識が必要となる。これがダーウィンの二番目の考えである。
 進化の過程の話に進む前に歴史的特殊(historical particular)と一般法則について触れておこう。ある科学者は一般法則に関心をもち、別の科学者は歴史の個別的な出来事を明らかにしようとする。物理学でも天文学者は特別の星の特別な事柄に関心をもっている。一方、原子核物理学者はどこ、いつに係わらない一般的な衝突の結果を追求している。一般法則は「すべての何々は、かくかくである」という形式をもっている。それに対して特別な星の特別な事柄はこのような形式をもっていない。それらは歴史的特殊を表現しており、法則を述べてはいない。だが、一般的な法則を追求する科学と歴史的事例を追求する科学は、互いに背反する関係にあるわけではない。原子核物理学者が個別的な事例を使わない、天文学者が一般法則を使わないということではない。天文学者は一般法則を手段にして特定の星を研究するが、原子核物理学者は特定粒子の観測結果という事例を使って一般法則を追求する。これと同じ分業が進化論にも見られる。
 では、進化論に一般法則はあるのだろうか。科学哲学者の中には一般法則はないと言う者もいるが、いくつか興味深い一般命題が進化論にはある。生物学ではそれらの一般命題は法則と呼ばれず、モデルと呼ばれる場合が多い。モデルは一般法則と同じように一般命題を表現している。モデルは、システム内である条件が満たされるなら、そのシステムに何が生じるかを述べている。モデルはいつ、どこで、どの位これらの条件が満たされるかは述べていない。フィッシャーの性比に関するモデルを例に考えてみよう。彼はある集団の性比が1:1に進化し、そのままその比に止まることを帰結する一組の仮定について述べている。交配は任意で、両親はオスとメスの子供を産むことができる。この仮定のもとに、彼は少ない性の子供を産むほうに自然選択は味方することを示すことができた。例えば、子孫がメスよりオスが多ければ、すべてメスの子供を産んだほうがよい。性比が異なっていれば、そのバイアスを無くすように選択が働く。その結果がオスとメスの同じ性比である。
 フィッシャーの方法は3世代を考える。もし子孫の数を最大にしたいとすれば、どのようなオスとメスの比率で子供を産んだらよいのか。もし孫の世代にN個体が存在し、子供の世代がmのオスとfのメスを含んでいれば、平均的なオスはN/mの子供を、平均的なメスはN/fの子供をもつことになる。だから、子供の世代の個体で、平均して少数の性に属していれば、その個体はより多くの子供を残すことになる。したがって、母親にとっての最適の戦略は少数派の性の子供を産むことである。他方、子供の世代の性比が1:1の場合、母親は他の母親に比べて優れた戦略を取ることはできない。1:1の性比は安定した均衡となる。彼のモデルは数学的に正しい。別の星の生物でも彼の最初の仮定が満たされている限りは、1:1の性比に進化しなければならない。それはニュートンの重力法則と同じように普遍性をもっている。(重力法則と性比1:1は同じ普遍性をもつだろうか。)

(問)個別的な事実と一般法則の関係はどのようなものか説明せよ。