形式論理学と述語論理学の間

 カントの「直観」は「表象」のことであり、「構成」はその直観を使って、一般概念を「例化」(存在量化記号を外すこと、存在例化)することです。例えば、ノートの三角形を表象することが直観であり、固有名詞aをその三角形の表象を指すために用意し、例化によって、「表象された三角形を(暫定的に)aとする」ことが構成です。これが直観と構成の最も基本的な仕組みです。
 カントによれば、概念を分析するだけなのが哲学者の認識であり、数学者が行うのは概念を直観し、構成を使って定理を証明することです。中世以来の論理学は三段論法を中心としたアリストテレスの論理学で、その規則は暗記するだけのもので、役立つというより自明のものに過ぎないと見做されていました。ですから、それに頼る哲学は概念を知るだけで、直観を使いません。例えば、哲学者に三角形の概念を与えても、その概念を分析するだけですが、数学者は実際に三角形を作図し(構成し)、その図形の直観を使って諸々の性質を証明できます。概念分析しか行わない理由は哲学者だからではなく、形式論理学しか使わないからです。その形式論理学に満足せず、創造的に補ったのが数学者という訳です。カントはそこに着目し、幾何学の定理を形式論理を使っただけでは証明できず、図形の助けを借りて証明していたことから、形式論理以外の直観と構成の助けを借りてでき上るのが幾何学理論だと考えたのです。そして、ラッセルが気づいたのは、直観と構成が形式論理学の不備を補うために必要とされたということです。そして、その形式論理学が述語論理学に変わり、カントの数学観は時代遅れになったとラッセルは考えました。
 こうして、カントの直観や構成というアイデアは、形式論理学の欠点を補うために生まれたことがわかります。代数的な演算だけからなるのが形式論理であり、その代数的演算に量化(汎化と例化)操作が加わったのが述語論理です。前回私はカントが数学を総合的だというために直観と構成を使ったことを述べました。
 そこで、量化操作を復習してみましょう。論理規則は本当に分析的だけで、総合的ではないのかも確認できます。普遍量化記号∀について、例化と汎化をそれぞれ考えてみましょう。「すべて」について成り立てば、特定のaについても成り立つのは自明です。でも、任意のものについて成り立てば、すべてのものについても成り立つかどうかは余程の条件が満たされない限りわかりません。真に任意であることの保証は簡単ではありません。その保証がある限りでの汎化です。通常は保証できず、そのため現実の世界では帰納法や確率が使われるのです。では、存在量化はどうでしょうか。こちらは存在汎化、存在例化のいずれについても広い範囲で成り立ちます。ですから、カントは存在例化に着目した訳です。「aがあるから、存在する」、「存在するから、それをaと名づける」は共に極めて広い範囲で成り立ち、後者は分析的ではなく、総合的なプロセスだとカントは捉えたのではないでしょうか。
 文法の主語(名詞は個体と概念の両方を含む)ではなく、論理的な主語は個体だけを指すので、変項や定項は個体です。この個体について汎化や例化することが形式論理学にはなく、それを加えてできたのが述語論理学だと考えることができます。この加えられたものをカントは直観や構成と表現して、数学が単なる分析的知識でなく総合的なのだと捉えたのです。カント流の述語論理の認識版だと考えられなくもありません。徹底して平明にカントの数学についての考えを理解しようとすれば、「形式論理学+直観と構成」がカントの枠組みで、それは述語論理学と基本的に同等だと考えることになります。これでほぼOKなのですが、これですべて世はことも無しとなるかというと、そう簡単にはいかないのが真相です。

 時間や空間が何かは、17世紀にニュートンライプニッツの間で有名な論争がありました。ニュートンは人間とは独立に客観的で、絶対的な時間と空間が実在すると考えました。一方、ライプニッツは時間と空間は関係概念で、物があって初めて存在する相対的なもので、世界がなければ、時間や空間も存在しないと考えました。このような時間と空間に関する論争をカントは当然知っていました。その上で、『純粋理性批判』の感性論で、時間と空間を直観されたものの、つまり、感覚されたものの「形式」と述べました。「直観する、感じる、感覚する、知覚する、表象する、イメージする、想起する、想像する、知る、わかる、悟る」といった語彙の使い分けはとても微妙な事柄だということに注意しておきましょう。
 では、上記の「形式」に対する「内容」とは何かと言えば、感覚によって受容された外的な対象や事象のことです。対象や事象も何を指すかは要注意の語彙です。カントは「形式なき内容は混沌、内容なき形式は空疎である」と言っていますが、両者が共にあることによって認識できるようになる、と考えました。彼は時間や空間と対象や事象を区別していました。変化したり、流れたり、運動するのは、対象や事象の方であり、時間や空間は変化したり、流れたり、運動したりすることはない、と(これはニュートン的な理解です)。
 私たちの心が、空間的には外的直観(対象や事象)を与え、時間的には内的直観(記憶、思考)を与えると、カントは考えました。すべての数学の知識は、直観の純粋な形式についての知識であると彼は主張するのですが、それに由来するのが数理哲学におけ直観主義です。そこで採用される直観主義論理は、直観主義によって数学を実行するための論理システムです。ハイティングやブラウアー、最近ではダメットにより研究されてきた論理学で、その特徴は排中律の否定にあります。