煙突の煙と雲、そして富士の雪肌
 画像を見て、こんなに煙が出る筈もなく、雲と見分けがつきにくいだけで、単なる錯覚だということは一理ある。自然も時には粋な悪戯をするもので、これでは火力発電所が悪の巣窟であるかのようだ。これら二つの文がとても異なるスタンスから述べられていることに気づいても、相反することを主張しているとは誰も受け取らないだろう。
 前者は知覚レベルの話で、私たちがどのように知覚し、風景として認識するかの一コマで、錯覚という特別の場合に言及している。後者は見えている風景を事実として受け止め、その風景の意味を述べている。
 人の判断には幅がある。まず、雲の如き煙は地球温暖化に直結し、火力発電所は悪の根源だと二つの文をまとめることができる。次に、これでは火力発電所が温暖化の張本人のようだが、実際は雲を煙と錯覚したからに過ぎない。多くの人はこのような判断の幅を当たり前のこととして無意識に認め、その幅を巧みに利用している。
 雪の富士が浴びているのが朝日なのか夕日なのかも、単純なことに見えて、実は上の話と似ている。朝と晩では大違いと思う人と、いずれも陽の光を浴びてピンク色に染まっていると思う人では随分と違うのである。
 煙突の煙と雲、富士のピンクの雪肌の間に共通するのは、私たちの風景の幅が知覚と事実の配合から生まれていることだろう。

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