<固有名詞の確定記述や因果説について議論する前に>(2)

 生物種の名前について前回二つの例を挙げたが、それと同じように今回は惑星と元素の命名について考えてみよう。

<惑星の名前>
 私たちは物質が(後で考える)原子でできていることを知っている。では、昔の人は物質は何からできていると考えていたのか。古代中国では色々な物質は木、火、土、金、水の5種類の元素からなっていると考えられていた。ギリシャ哲学でも同じような考えがあったことがすぐに思い当たるが、この中国の考えは「五行説」と呼ばれている。
 五行説によれば、私たちの一週間は五元素と太陽を表す「日」と「月」の7つの曜日からなるが、惑星にも同じように当てはまる。太陽のすぐ近くを回る水星の公転周期は約88日で、地球の365日より随分速く回わっているため、水が流れるようにということから水の星、つまり水星と名づけた。金星は、太陽、月以外では一番明るく輝いている。それゆえ、「明けの明星」、「宵の明星」という別名もあるくらいで、金のように輝いている星、つまり金星。火星の表面には酸化鉄が多くあり、酸化鉄はさびで、赤い色をしている。「赤い」のは、「火」。火のような星、つまり火星という訳である。土星の表面には白や黄色の縞があり、それが土のような色に近く、土の星、つまり土星である。木星五行説で残った木をあて、木星とした。これで命名は終わりとなる。かつては惑星がこの五つだと考えられていたからである。五行説ではこのような説明になるが、これはかつての中国や日本での話で、古代ギリシャでも五行説に似た説明があった。
 ヨーロッパのの星座が一通りの完成をみた古代ギリシャで、星座の間を動く明るい惑星に対し神々の名前がつけられた。惑星と神々の名を挙げておこう。
 水星(Mercury Hermes)、金星(Venus Aphrodite)、地球(Earth Gaia)(ヘシオドスの『神統記』によると、まず「カオス」が生まれ、次に「大地(ガイア)」が生まれた。その後「地下(タルタロス)」が生まれ、そして「愛(エロス)」が生まれた。さらにカオスからは「幽明(エレボス)」と「夜(ニュクス)」が、ニュクスからは「澄明(アイテル)」と「(昼日)ヘメレ」が生まれ、ガイアは「天(ウラノス)」、「海(ポントス)」を生んだ。そして、ガイアはウラノスと交わり、数多くの子供を産んだ。)、火星(Mars Ares)、木星(Jupiter Zeus)(全知全能の神ゼウス、またの名はジュピター。クロノスとレアの子供として生まれ、オリンポス神族の長となる。ゼウスは「明るく輝く空」を意味し、雷を武器とした。ゼウスは姉であるヘラと結婚するが、女に対し手が早く、嫉妬心の高いヘラの目を盗んでは浮気をし、子供を増やしていった。なお、木星の衛星はそのほとんどがゼウスと関係の深い女性の名がつけられている。)、土星(Saturn Kronos)。

 その後ヨーロッパで天体望遠鏡が発明され、天体望遠鏡で空を観測することによって、天王星海王星冥王星が発見される。それが日本に名前と共に伝わった。天王星は英語ではウラヌス。それはギリシャ神話の天空の神様。青緑色に見えるので、この天の神様の名前がつけられた。天の王様の星ということで、天王星海王星は英語でネプチューンネプチューンローマ神話の神様で、海の神様。海王星も美しい青色をしていて、それで海の神様から名前をもらった。今では惑星ではなくなったが、冥王星は英語ではプルート。冥界の神様で、死後の世界の王様の星、つまり冥王星と命名された。

<元素の名前>
 「万物は、その根源をなす不可欠な究極的要素からなる」(広辞苑)という考えは古代からの原子論的な自然観であり、その究極的要素の探究が科学を生み出した。そして、この「究極的要素」が元素で、「それ以上分けることができない物質(アトム)」として定義されたのは18世紀に入ってのこと。19世紀になると「物質を構成する最小の粒子」を原子とする考えが広まり、元素の物質的正体は原子で、元素は「原子の化学的性質を表す概念」、あるいは「同じ陽子数を持つ原子の総称」となる。現在では、原子よりさらに小さい素粒子が「物質を構成する最小の粒子」である。
 1869年、ロシアのメンデレーエフが提唱した「元素周期表」は鉛(Pb 原子番号 82)まで、1871年に発表した第二周期表には既に天然で最も重いウラン(U 原子番号92)があったが、まだまだ空欄が残っていた。その空欄全てを埋めるには1930年代の加速器の登場が必要だった。そして、加速器の登場によってウランより重い元素(超ウラン元素)が人工的に作り出されていった。1940年に米国のエドウィン・マクミランらによってネプツニウム(Np 原子番号 93)が作られると、次々と超ウラン元素が作り出されることになる。1958年にアメリカでノーベリウム(No 原子番号102)が作られ、その後はロシア、ドイツ、そして日本がこの競争に参入、最近ではロシアと米国の共同研究グループが発見した114番、116番元素に、それぞれフレロビウム(Fl)、リバモリウム(Lv)という名前がついた。
 1908年、小川正孝は原子量が約100の43番元素を精製・分離したと主張し、「ニッポニウム」として発表した。しかし、他の誰も結果を再現できず、その信頼性は揺らいでいく。それから29年後の1937年、エミリオ・セグレが米国の加速器を使って43番元素を作り出した。ニッポニウムは幻となり、43番元素は1947年にテクネチウム(Tc)と命名された。このテクネチウムは小川の方法では見つかるはずがなかったことから、小川は間違っていたと考えられた。小川の死後、研究資料を詳しく調べると、レニウム(Re 原子番号75、1925年に独のワルター・ノダックらが発見)であることが判明した。何と小川が1908年に発見したのはこのレニウムだった。
 さて、元素の名前はどのように決まるのか。まずは研究グループが新元素発見を主張する論文を発表。その後、「国際純正・応用化学連合IUPAC:International Union of Pure and Applied Chemistry)」と「国際純粋・応用物理学連合(IUPAP:International Union of Pure and Applied Physics)」が推薦する有識者で構成された合同作業部会「JWP:Joint Working Party」 がその論文の実験結果の信頼性を調べる。JWPはその調査内容を記した報告書(論文)をIUPACに提出、報告書に問題がないと判断されると、IUPACが新元素を発見した研究グループを認定するとともに、新元素の命名権を同グループに与える。これが命名までの手順である。
 2015年末、理化学研究所チームが合成した113番元素がIUAPCの認可を受け、命名権が同グループに与えられた。113番元素はミリ秒レベルの寿命しか持たず、これまでたった3原子しか合成されていない。化学的性質などがわかるには,まだ時間が必要である。
 既述の小川の新元素発見のことを想い出そう。ロンドン大学に留学していた小川は、スリランカ産の鉱物トリアナイトから、それまで知られていなかった新元素を分離する。彼はこの新元素の原子量を約100と推定,周期表の空き場所である43番に当てはまる元素と考えた。1908年,小川は師であるW. Ramsayの勧めに従い、この元素を「ニッポニウム」(元素記号Np)と名づけて報告した。
 だが、この発見は他の研究者による確認ができず、小川の弟子たちでも単離に成功したものはなかった。こうして新元素ニッポニウムは,周期表に正当な居場所を得ることなく、幻と消えてしまったのだ。このように、一度提案されながら、消えてしまった「幻の元素」の名前は、新しく発見された元素には使えないという規定がある。このため、新たに作り出された113番元素に最もふさわしいと思われる「ニッポニウム」の名は,残念ながら使用できないのである。
 科学の世界における命名の基本は自由である。しかし、元素名に関しては,いくつかの規定があるため、勝手に名前をつけることはできない。まず、金属元素と推定される元素については、語尾を「-ium」とすることになっている。また、語幹についても国名などの地名、科学者の名、その元素の性質、神話にちなむ名前などから選ばれるのが慣例。アメリシウムフランシウムゲルマニウムなど国名にちなむ元素が多いから、113番元素も「日本」にちなむ命名が有力視された。だが、前述のように「ニッポニウム」は使用不可。
 113番元素の名称は「ジャポニウム」が最有力とみられていたが、2016年6月には研究所のチームがIUPACに提出した名称案は「ニホニウム」(元素記号:Nh)で、11月に正式決定された。

 今回の例は、とても昔の惑星の命名の話と、つい最近の新元素の命名の話だった。