擬き

 例えば、梅擬き(ウメモドキ)の「擬き」は動詞「もど(擬)く」の連用形。主役にからんだり、滑稽なことを真似たりすることが擬きである。能の「翁」に対する「三番叟」がその一例。名詞の下に「擬き」をつけて、その名詞の指示対象に匹敵するほどのもの、また、それに似て非なるものが「…擬き」である。今風に表現するとなれば実にたくさんの語彙が流通している。コピー、偽物、捏造、パクリ、贋作等々…尽せないほどの擬き例が散乱している。
 ウメモドキは本州から九州にかけた山間の湿地に見られる落葉低木。晩秋にできる実が美しく、庭木としてもよく使われる。さて、名の由来だが、実を紅梅に見たてたという説と、葉がウメに似ているためという説がある。いずれにしろ、似ているという意味での健全な擬きである。
 ハナズオウは中国原産(1695年に渡来)で、葉が出てくる前にピンク色の小さい蝶形の花がたくさんかたまって咲く。ウメやサクラに似て、木全体が花で埋まって見事な眺めになる。ハナズオウは遠目には「紅梅擬き」と言ってもいいほどに紅梅によく似ている。
ここまでが普通の擬きだが、少し想像力にスイッチを入れてみよう。人間擬きとなれば、かつてはタヌキやキツネの独壇場で、よく人に化けたようである。幽霊も怨霊も人間擬きなら、今流行りのロボットAIも人間擬き、あるいは人間の代用品である。
 これまでの例はみな本物があり、その代用品が擬きとして捉えられている。本物の代用品であることを巧みに利用してきた絶好の例が動物の「擬態」である。擬態の多くは実に見事なもので、物真似、偽物、代用などと片づけるには惜しい自然の傑作、名品が生物界に溢れている。
 では、人間は何の代用になれるのか。人間はいつも主人であるべきというプライドの高い立場からは、他の生物の代用品にはなれない。だが、ある人間が他の人間の代用品になることはしばしばあった。AIはこれから暫くの間は人間自身も含めて、人間に関わるあらゆるものの代用品として「…擬き」の役割を演じるだろう。21世紀の最高の役者はAIだと言いても構わないのかも知れない。AIは万能の擬きになれそうである。
 最も根本的な擬きとなれば、DNAの複製による世代交代である。遺伝情報のコピーによって子孫がつくられていく過程は擬きの連続的な作成過程である。「擬くこと」が生命をもつものの自己保存の方法であり、それが現在までのところうまく推移してきた。生き物から真似る、擬くことを取り去ったなら、絶滅しか残されていない。
 正確にコピーすること、複製をつくることが不可欠なのだが、それでも時々エラーが起こる。多くの場合、エラーが起これば、子孫をつくれず、その結果絶滅しかないのだが、稀にそのエラーが有利に働く場合がある。これが「突然変異」と呼ばれて、それによって新しい情報が生き物集団に生まれ、新しい適応の可能性が出てくる。
 真似たり、コピーしたり、複製をつくったりしながら、それがうまく行かないと、時にはその失敗が後の成功につながるのである。これこそ瓢箪から駒。これが生物進化の本質の一つであることを考えると、擬きは創造性に欠ける真似事では決してなく、本当に有用な工夫なのである。
 さらに、この生物進化の仕組みに似ているのが文化進化。どこが似ているかと言えば、伝統、文化、習慣が教育によってコピーされていく点である。遺伝子ではなく、言葉を使った教育によって過去の事柄が記録され、それらが情報として伝えられていく。情報の保存と伝達の仕組みは違っても、コピーをつくるという点では生物進化擬きが文化進化なのである。
 こうして、生物、伝統、文化、習慣はいずれも擬きによって保存され、進化していくことになる。

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ウメモドキ