補足:ヘーゲルとマルクス

 ヘーゲル以前の哲学が理想ばかり追求したのに対して、ヘーゲルは現実を直視しました。ヘーゲルが見たのは理性的でない伝統や慣習の現実世界でした。そして、ヘーゲルは今この現実世界の状態はまだ途上なのだと考えました。そこで彼が導入したのが、時間の経過と共に変化していく「歴史」概念です。また、人間の本質は「精神」の自由であると考え、他者から阻害されずに独立できることを強調しました。
 そこで、彼は「歴史」と「自由」をドッキングさせ、「歴史とは精神が自由を達成していく過程」だとしたのです。人は自由を求めるという欲望によって、「自然」に働きかけて自由の領域を拡張しようとします。自然を人がコントロールできる領域にすることが労働だとヘーゲルは定義しました。
 ヘーゲルが自由を達成していく歴史の過程に「労働」を位置付けたのに対して、マルクスは「労働の疎外」を強調しました。ヘーゲルでは労働の主体が「精神」であったのに対して、マルクスの労働主体は「肉体を持つ人間」です。資本主義社会を生きる人間は、事物やサービスを生産することによって、経済的に生計を立てようとします。経済的な構造や政治的な構造が生まれ、人々の意識もこのような構造によって決められます。
 マルクスは、ヘーゲルが労働を人間の本質としてとらえていることを評価しつつ、彼が労働の否定的な側面を無視したことを批判します。ヘーゲルは労働を人間を陶冶する手段としてとらえたり、あるいは労働を承認獲得のための契機としてとらえます。これが労働の肯定的側面です。否定的側面は、労働が資本制生産様式のもとで「疎外」され「搾取」されるということです。これが、マルクスが資本主義経済を批判した最大のポイント。
 マルクスヘーゲルを批判しているもう一つのポイント。それは、ヘーゲルの労働が非常に抽象的で精神的であるということ。これは、マルクスの有名な観念論批判=唯物史観に関わります。ヘーゲルの『精神現象学』は人間の自己意識が展開して、最終的に絶対知へと至る過程を描いたものでした。精神的、観念的なものに沿って体系的な思想を構築したヘーゲルに対し、マルクスはそこに物質的、現実的な基盤が欠けていると批判しました。その結果として生まれたのが唯物論唯物史観)です。
 こうして、マルクスの思想はヘーゲル哲学の批判的な発展であることがわかります。