右脳とか左脳とか、そして感性とか理性とか…

 大脳の右、左の区別と、私たちの感性、理性の区別の間には符合があると勘ぐりたくなるのですが、その知的誘惑には私たちの大脳についての知見とその背後の哲学の早とちりが関わっていたようです。感性や理性という用語自体、堪えられないほどの曖昧さ、いい加減さをもっているのですが、それらお化けのような用語を大脳の部位や機能を使って説明するという誘惑は偏に科学主義に起因するものでした。ブッダの右脳的な原始仏教に対して、方便として巧みに経典を駆使した大乗仏教は左脳の宗教だというような話をこれまでしてきましたが、それをもう一度見直しておきましょう。

 私たちの脳は、何億年という時間を経て、魚類から爬虫類、哺乳類、そして霊長類へと進化してきた歴史をしっかりとどめています。中心部が「爬虫類の脳」、その外側が「馬の脳」、そして一番新しい外側の部分が「人の脳」。これは進化を下敷きにした比喩的な表現ですが、中心部から脳幹、大脳辺縁系、大脳皮質に対応しています。このうち大脳皮質は、見る、聞くなどの感覚や、言葉、記憶、思考などの高度な働きを受け持っています。
 脳といえば普通は大脳のことですが、脳は大脳、小脳、脳幹の三つに分けられます。そのうち大脳が80%の重さを占め、総合司令室のような働きをしています。小脳は、大脳からの大まかな運動指令を、より細かな筋肉の動きに変換、調整して、体をスムーズに動かしています。平衡感覚と視覚の情報を複合的に処理して、姿勢を保つのも小脳の働きです。反復練習によって小脳と大脳基底核のネットワークが築かれ、私たちの身体は様々な技を覚えることができるのです。
 脳幹は、自律神経系やホルモン系の働きをつかさどり、呼吸、体温、睡眠、性機能などの中枢として、生きるための基本的な働きを担っています。
 大脳は、右脳と左脳に分けて考えられています。でも、右脳左脳の理論は大雑把過ぎて、近年の脳科学では余り当てにされていません。大脳は機能別に、前頭葉頭頂葉後頭葉、側頭葉の四つに分けるのが普通です。側頭葉は、もちろん右側と左側で機能が異なります。
 大脳(主に大脳皮質)を右脳と左脳に分ける考え方は、日本では一般常識のようになっています。私たちの脳は右半球と左半球に分かれ、その真ん中に脳梁という神経線維があります。右脳と左脳では働きが違い、脳梁は両者の連絡橋の役割を担っています。右半身の運動は左脳、左半身の運動は右脳が命令を下します。これは、大脳と身体の各部分をつなぐ神経が延髄のところで交差しているからです。
 左脳は、言語の認識と言語による推理、計算と論理的な推論などを受け持っています。読む、書く、話す、計算するなどの行為は左脳の役割なのです。そのため、左脳は言語脳、論理脳、デジタル脳などとも呼ばれています。人間の知性の源となるものが、この左脳に集まっています。
 右脳は、図形や映像の認識、空間認識、イメージの記憶、直感やひらめき、全体的な情報処理などを受け持っています。絵を描いたり、楽器を演奏したりするのは右脳の働きです。右脳は、イメージ脳、感覚脳、アナログ脳などとも呼ばれています。デザインや音楽などの芸術的な活動や、アイデアやひらめきなどを必要とする企画の仕事、学問的な研究や技術の開発などでは、右脳の働きが重要になります。学校の勉強は主に左脳を使います。大切なのは右脳と左脳のバランスです。
 右脳左脳の理論では、「言語は左脳、感覚は右脳」とされていますが、私たちの実際の脳はそう図式的にはできていません。例えば、言葉を聞いて理解するには左脳にあるウェルニッケ中枢という聴覚性の言語野を使いますが、話すときはブローカ中枢という運動性の言語野が使われます。また、文字を読むときは視覚にかかわる後頭葉、書くときは運動をつかさどる頭頂葉も同時に使います。また、文字を読む場合は、右脳も活性化することがわかっています。さらに、「読む、書く、聞く」の作業には意欲や創造にかかわる前頭葉も働きます。こうして、言語については大脳のほぼ全域が何らかの形で働いていることになります。
 「音楽は右脳」というのもほぼ定説です。ところが、最近の研究では音階を聞くだけで、左側頭葉の42野と呼ばれる聴覚野や、言葉を聴くときに使うウェルニッケ中枢の一部も活性化されることがわかってきました。当然ながら、歌詞の意味がわかる歌を聞く場合は、左脳の聴覚野がさらに活性化されます。また、音楽を聴くと、体を動かさなくても運動をつかさどる小脳が活性化することが確認されています。さらに、楽譜を見ながら楽器演奏をする場合は、後頭葉(視覚野)や頭頂葉(運動野)、前頭葉も使われるようになります。このように音楽も右脳だけでなく、脳全体を使っているのです。
 大脳は機能別に、前頭葉頭頂葉後頭葉、側頭葉に分けられます。大脳各部の大まかな機能、役割は次のとおりです。

後頭葉:頭の後ろの部分で、視覚中枢があります。
頭頂葉:頭のてっぺんの部分で、痛み、温度、圧力などの感覚をつかさどっています。
側頭葉:頭の側面、こめかみのあたりで、聴覚、嗅覚、情緒、感情などをつかさどっています。また、言語、記憶に関わりがあります。側頭葉に問題が起こると、記憶障害などを引き起こします。
前頭葉:頭の前半分、側頭葉の上前部にある領域で、前頭前野と運動野、運動前野に分けられます。運動野は頭頂葉に接する部分、その前方に運動前野があります。どちらも運動の遂行や準備に関わっています。

 前頭前野は、思考や創造性を担う脳の最高中枢と考えられ、生きていくための意欲や、情動に基づく記憶、実行機能などを担っています。前頭前野は、脳全体の司令塔、あるいはオーケストラの指揮者のようなものです。
 ロボトミー手術は1950年代からの十数年間に世界中で盛んに行われた、前頭葉の削除手術のことです。向精神薬がなかった時代、精神病の治療法として十数年間になんと5万人もの患者がこのロボトミー手術を受けました。そもそもこの手術は、「チンパンジーの前頭葉を取り去ったらおとなしくなった」という動物実験から考えられたもので、当初は「精神病患者の症状が改善された」と報告されました。ところが、ロボトミー手術は重大な問題を引き起こしました。手術を受けた人たちが、感情や行動の面でさまざまなトラブルを引き起こしたのです。それは人間らしく生きていく上での致命的なダメージで、次のようなものでした。外界に対して無関心、無頓着になった、注意力がなくなり、反応が乏しくなった、状況を理解したり、推理したりすることが困難になった、我慢ができなくなり、己の感情のままに行動するようになった等。ロボトミー手術を受けた患者のこのようなダメージから、前頭葉の果たす役割がわかってきたのです。これと似たことですが、戦争で脳に損傷を受けた人の研究も、さまざまな部位での脳の機能の解明に貢献しました。
 前頭葉に最も特徴的な働きは、意欲、創造、実行です。大脳全体から得た情報を元に現状を認識し、未来に向けて行動をする司令塔の役割を果たしているのです。そのプロセスは、次のように5つに分けることができます。

自分の環境や状況を認識する→行動の選択肢を発見する→計画を立てて決定する→計画を実行する→結果を評価する

 認知症になると記憶力が減退することが知られていますが、それとともに前頭葉の機能も低下します。その結果、意欲が低下し、計画を立てて実行するといった行為が困難になってきます。知識や情報はあっても判断ができない、といった状況に直面します。前頭葉前頭前野皮質)の全皮質に占める割合は、人間が29%と特別多く、チンパンジーが17%、犬7%、猫3.5%となっています。こうして、人間を人間たらしめているのは、まさに前頭葉だということがわかります。
 さて、「腹側被蓋野」は大抵の人には初耳の筈です。でも、別名の「A10神経核」という用語なら、脳に興味のある方は見たことがあるでしょう。このA10神経核という領域は、脳の中心部にある脳幹の中にあり、神経伝達物質ドーパミンを分泌することで知られています。ドーパミンは「脳内麻薬」などと呼ばれ、やる気を起こす物質。ただし、このドーパミンが過剰に分泌されると、幻覚や妄想などを引き起こし、やっかいなことになります。A10神経核からは神経細胞の軸索が延び、前頭葉と海馬につながっています。前頭葉は一般的には前頭前野の意味で使われることが多いのですが、運動野や運動連合野前頭葉に含まれ、隣り合った場所にあります。運動野には筋肉運動を起こす働きがあり、運動連合野は筋肉運動を調節して器用に動かす働きをしています。
 つまり、脳の司令塔ともいうべき前頭前野と記憶を司る海馬、及び筋肉運動を司る運動野、運動連合野は、A10神経核とつながっているのです。運動野を鍛えればA10神経核の働きがよくなり、前頭前野にも影響するという仕組みです。
 足を使わないとボケやすいと言われています。実際、病気で寝たきりになった人、腰痛や膝痛などであまり動けなくなった人、あるいは初老性のうつ病で引きこもりになった人などは、ボケるのが早いようです。人類がある時期、急速に脳を発達させた最大の要因が持久走にあるとすれば、やはり真っ先に考える「脳トレ」はジョギング。大脳生理学の実験でも、週2、3回のジョギングを続けただけで、簡単な脳のテストでの成績が大幅に上がったという成果が発表されています。それも、単純な一桁の足し算をするというようなテストではなく、パソコンを使ったワーキングメモリーを必要とするテストです。
 記憶の仕組みが科学的に研究されたのは比較的新しく、そのはるか前に忘却についての研究が先行しました。「人間の脳は忘れるようにできている」ことを「発見」したのは、19世紀のドイツの実験心理学エビングハウスです。彼は無意味なアルファベットの配列3文字を被験者にたくさん記憶させ、それが忘れられていく時間と量の相関を調べました。彼の実験によれば、人は記憶したことを20分後には4割以上忘れ、1日後には7割以上を忘れてしまいます。つまり、放っておけばその日のうちに大半の記憶が消滅するのです。
 では、なぜ人の脳は忘れるようにできているのでしょうか。それは脳が、生存にかかわる重要な情報を優先して記憶するためです。エビングハウスの実験のような無意味な文字の配列や、友人たちとのたわいのない馬鹿話のすべて、道行くたくさんの見知らぬ人の顔、壁の複雑なしみの形など、見聞きした経験すべてが忘れられなくなり、日夜、洪水のように頭にあふれ出したら…忘却の役割はおのずと明らかです。忘却が宿命だとすれば、記憶は「覚えること」ではなく、「思い出すこと」なのです。
 心理学では記憶を、短期記憶と長期記憶に分けるのが普通です。短期記憶は、文章を見て書き写したり、電話番号を聞いて番号をプッシュしたりするときのように、きわめて短い間の記憶のことをいいます。せいぜい20秒から長くても数分程度しか持続しないのが短期記憶です。眼や耳などの感覚器官から入ったほとんどの情報は、覚えようと強く意識しない限り、数秒以内に忘却の彼方へ消えていきます。
 数分以上の長い記憶は長期記憶。同じ長期記憶でも、20分後には忘れてしまうものから何年間も覚えているものまであります。また、一時的に忘れていても、何かのきっかけで思い出すこともあります。いずれにしても、私たちが記憶力を問題にするときは、この長期記憶のことを指し、必要なときに思い出せることが必要なのです。
 長期記憶は、手続き記憶、意味記憶エピソード記憶、プライミング記憶の四つに分類されます。このうち通常、記憶が問題になるのは意味記憶エピソード記憶です。まず意味記憶ですが、これは言葉を覚えたり、試験勉強をしたり、本や講演などで知識を吸収したりする記憶のことをいいます。一般に記憶力の良し悪しを語る場合は、この意味記憶を指します。意味記憶は抽象的な記憶であり、何かを聞かれることによって意識する記憶のことです。
 一方、エピソード記憶は知識ではなく、直接体験することによって記憶されることをいいます。幼少期から現在までのさまざまな思い出(たとえば運動会、遠足、初恋、アルバイトなど)や、育った家の周り・最寄の駅・学校などの道順と風景、友人のイメージなどがエピソード記憶エピソード記憶は3、4歳頃に獲得される能力です。なお、手続き記憶はスポーツや手芸、工作、楽器など、体で覚える記憶のこと、プライミング記憶は入れ知恵記憶とも呼ばれ、先入観が影響する記憶のことです。
 海馬は脳の中では小さな器官で、神経細胞の数は1000億個。脳全体の1万分の1に過ぎません。海馬は小さな器官ながら、大脳に入った情報を取捨選択し、記憶全体をつかさどるという重要な役割を果たしています。。かつての脳科学の本には、「脳細胞は毎日おびただしい数が死滅しており、決して増えることはない」と述べられていましたが、少なくともこの海馬だけは細胞分裂を繰り返して増えることがわかっています。海馬は、パソコンでいえば一時的なメモリーの役割を果たします。そして必要があれば、パソコンを終了する前にデータを保存するのと同じように、海馬もデータを大脳皮質に送って長期記憶として保存します。大脳皮質に長期記憶されたメモリーを呼び出すことが「思い出す」ということです。
 海馬がどのようにして長期記憶を決定しているのかは、よくわかっていません。しかし、近年の脳科学の研究で、扁桃体(へんとうたい)という直径1cm位の丸い形をした器官が海馬と影響し合っていることがわかっています。扁桃体は大脳皮質の内側にある大脳辺縁系の下のほうに位置しており、快不快を判断するのが主な役割です。私たちが見たり、聞いたり、臭いをかいだり、触ったりしたときに得た感覚情報は、大脳皮質から扁桃体に伝わり、好き嫌いが判断されます。異性が好きになるのも、車や寿司が好きになるのも、この扁桃体の仕業だったのです。扁桃体は海馬の隣にあり、好き嫌いや快不快の感情を海馬に伝えます。そのため、心を大きく揺さぶるような出来事は、いつまでも記憶にとどめられるのです。こうして、記憶は情緒や感情に影響されていることが、脳の働きの面からも説明できるようになりました。
 大好きな科目や、気に入った先生の科目の成績がよくなるのも、扁桃体が海馬に影響しているためです。逆に、嫌いな先生の科目や興味が持てない科目は、そのままでは成績が悪くなります。また、扁桃体は情動に深くかかわるだけでなく、社会性にも関係が深いことがわかってきました。社会性とは、人の顔を区別したり、表情を読み取るなどの認知能力のことです。扁桃体が傷つくと孤立するなど、社会生活がうまくいかなくなることが動物実験で確認されています。それにしても、好き嫌いなどの情動の働きと社会的な適応能力が、同じ脳の器官でつかさどられているというのは興味深いことです。

 脳が何をしているかは身体の一部が何をしているかとは違って、それを研究している私たちが脳を使って研究している点です。脳が何かを研究するのは脳なのです。その研究の方法はこれまで様々あって、そのどれも興味深いものなのですが、最善のものが未だにありません。「脳が脳についてどのような解答を出すか」という表現に驚く必要などなく、それはこけおどしに過ぎないのです。「私たちは自らの脳を使って脳がどのようなものか解答を出す」とでも言えば、誰も驚かないでしょう。彫刻家が自らの手を使って見事な手の彫刻をつくることは当たり前のことで、私たちはその作品に驚くべきなのです。