貴乃花親方からのメッセージ

貴乃花親方からのメッセージ
 日本相撲協会の報道が世間を賑わしてきました。貴乃花親方は無言を貫き、そのために推測だけの話が横行してきました。さすがにそろそろ飽きてきたのですが、そんな折、貴乃花部屋のホームページに貴乃花親方からのメッセージ(1月17日)が掲載されました。貴乃花親方の文書には以前にも「国体」と言う語彙が使われていたり、場所後の打ち上げパーティでの挨拶にも貴乃花親方の考えが垣間見えたりで、今回のメッセージにも似たような語彙が使われ、類似の思想が垣間見えます。そこで今回のメッセージの一部を引用してみます。
「力士は体力、知力、気力のぶつかり合いに堪えうる肉体を宿さなければなりません。そのためには、日ごろの鍛錬が求められます。
己を克服する気持ちが、厳しく過酷な土俵の上では常に必要とされ、技を競うものであります。また、技の前には心の充実を図り、精進すべきものです。精進とは神事の世界観であり、力士である以上、生涯をそれにかける気持ちのことです。」
 このメッセージは親方の口の堅さとは違って、素直に心情を吐露する雰囲気が伝わり、親方の考えを容易に理解でき、筆は軽いことがわかります。また、引用の文章は誰かの添削が入ったお仕着せのものではないことも窺えます。老人の癖であえてメッセージに踏み込んでみましょう。
 「肉体を宿す」は初めて見る表現で、普通は肉体や身体に精神やその働きである意志や感情を宿すのです。親方が言いたいのは「強く逞しい肉体をもつ」ということでしょう。「神事の世界観」は神道思想を指しているようで、恐らく精進を説明し、それを支える思想は神道であるということで、それを心して相撲道に励むべきだと主張したいのだと思います。ですが、これらの表現はおやっと疑問を抱かせるものです。
 そこで、疑問のない、日本語としてわかりやすい表現に直してみたのが次の文章です。お節介この上ないのですが、比較してみて下さい。
「体力、知力、気力をもって力士はぶつかり合いますから、それに耐えうる精神と肉体を持たなければなりません。その実現のためには日頃の厳しい稽古しかありません。
 己を律する心が土俵上では常に求められます。力士には身体の鍛錬だけでなく、充実した心と日頃の精進が不可欠です。そして、どの力士も心技体を整え、自らの人生をかけて土俵上で正々堂々と競い合うのです。」
 二つの文章を見比べると、背後にある違いが気になる人が結構いると思います。興行としての大相撲を支える力士たちに社会の中で地位や身分を与えるのは何なのか。神事としての相撲の歴史は大切にしながらも、多くのプロスポーツがそれぞれ切磋琢磨して選手の地位や身分について考えていますから、それらを参考にしながら、大相撲に関しても広く議論が盛り上がることを期待したいものです。
*「大日本大相撲勇力関取鏡」

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 江戸初期から幕末にかけて活躍した力士97名の名前や所属藩、104人の人物の似顔絵が描かれた6枚続きの錦絵。作者は2代目歌川国輝で、慶応3(1867)年作。この作品には力士名だけでなく、神話に登場する神や人々の名前が挙げられている。『古事記』には、建御雷(たけみかづち)神と建御名方(たけみなかた)神の力くらべにより国ゆずりが行われたという記述が、『日本書紀』には垂仁(すいにん)天皇の時代に当麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が対戦したという伝説が記載され、この二つの物語が相撲の起源とされ、この絵には「本朝相撲之始メ」の欄に、これらの神様の名前が載せられている。相撲のすべてがわかる浮世絵。