2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

コムラサキ(小紫)とシロミノコムラサキ(白実の小紫)

秋に入り、コムラサキの紫色の実をあちこちで見ることができる。それが画像のように実が多いと少々興ざめの感がある。コムラサキやムラサキシキブ(紫式部)は花も薄紫だが、シロミノコムラサキやシロシキブ(白式部)は花も実も白色である。「白実の小紫」…

量子の世界の不思議

相対性理論の中の時間や空間の概念は私たちの常識からかなりかけ離れているが、よくよく考えれば十分納得でき、合点がいくものである。だが、20 世紀物理学の根幹にある量子力学の世界の不思議さは人間の理解を遥かに超えている。毎日それを使い、慣れ親しん…

モミジアオイの花

今年も初秋のモミジアオイの花を見ることができた。モミジアオイは明治初期に渡来した北アメリカ原産アオイ科フヨウ属の宿根草。7月から9月頃までの夏の季節にハイビスカスによく似た大輪の赤い花を咲かせる。花がハイビスカスに似るていて、間違えやすいが…

揺らぐ対象、揺らぐ概念

近視の私に見える風景は曖昧でぼんやりしている。知覚像が揺らぐのも何度も経験済みである。曖昧で、揺らぐ知覚像はわかるのだが、概念や対象はどうだろうか?概念は曖昧で、揺らぐのか?それとも、曖昧で、揺らぐのは対象なのか?あるいは、概念も対象もと…

デュランタ(タイワンレンギョウ、台湾連翹)

デュランタは藤色や白の小花が集まって房状に垂れ下がって咲く熱帯花木。観葉植物としても一般に出回っていて、沖縄などでは生け垣としてよく植えられている。丈夫で開花期間が長く、暖地では庭木として植えることができる。樹高30~600cmに生長し、ギザギザ…

13日の菊

9月9日は奇数(陽数)9が重なる「重陽の節句」。五節句の一つで、菊を用いて不老長寿を願うことから「菊の節句」とも呼ばれてきた。1月7日の七草粥、3月3日の桃の節句/雛祭り、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句が五節句として江…

深山含笑の実

子供の頃だけでなく、大人になっても見たことがなかったのがミヤマガンショウ。中国原産のモクレン科オガタマノキ属の常緑高木。2~3月頃にハクモクレンに似た一重から二重の白色で芳香をもつ花を開花させる(画像)。ハクモクレンより開花が早いのがミケリ…

無痛と痛みのクオリア

アイオワ州に住むアイザック・ブラウン君の疾患は、痛みを感じない「先天性無痛無汗症」。痛みを感じることの大切さと痛みを感じないことの大変さをアイザック君は教えてくれる。「先天性無痛無汗症」は、遺伝的要因により神経障害を含む先天的な疾患群。現…

オシロイバナ(白粉花、白粧花)

オシロイバナは南アメリカ原産で、江戸時代初期に渡来。花が美しいため観賞用に栽培されるが、広く野生化していて、湾岸地域でもあちこちで見ることができる。オシロイバナは、黒い果実(種子)を割ると、白い粉質のもの(胚乳にあたる部分)があり、それが…

原子と生物の存在の仕方

どうして原子には子供を産む、世代交代をする、生まれ死ぬ、つくられ壊れる、といったことが起こらないのでしょうか。原子と違って、生物には生死があり、世代交代があり、時には絶滅が起こります。原子と生物は存在の仕方がまるで異なっています。 原子は普…

セイヨウニンジンボクの花と実

シソ科ハマゴウ属のセイヨウニンジンボク(チェストツリー)は唇形をした淡い紫色の小さな花を夏から秋にかけて穂状に咲かせる(画像)。花の色が白のものもある。日本には明治時代に渡来し、葉がチョウセンニンジンに似ていることから「セイヨウニンジンボ…

新しい自然哲学へ:スケッチ

インペトス理論について昨日述べました。そこで、科学革命(scientific revolution)の前後を垣間見てみましょう。中世ヨーロッパの大学で教えられていた自然哲学(natural philosophy)は、アリストテレスの自然学。アリストテレス自然学では性質(形相)を…

ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡)の花と果実

既に何度も紹介してきたヨウシュヤマゴボウが歩道の植え込みを占領し、見事に自己主張している。ヨウシュヤマゴボウはヤマゴボウ科ヤマゴボウ属の多年草で、昨年も同じ場所で見事に実をつけていたのを思い出す。アメリカ原産で、そのため別名はアメリカヤマ…

運動についてのインペトス理論

「運動しているどんなものも何かによって動かされなければならない(『自然学』VII.1)」と考えたアリストテレスは、運動を続けさせるには力を与え続けなければならず、どんな対象の自然状態も力が働いていない「静止」であると信じていました。アリストテレ…

アオツヅラフジ(青葛藤)

歩道の植え込みに蔓延っていたアオツヅラフジを見たのがほぼ1年前。そのアオツヅラフジが今年も花と実をつけたと報告した。最初はヘクソカズラ(屁糞葛)と思っていたのだが、近づいてよく見れば花が違い、実までついていた。そのアオツヅラフジが駆除されず…

不安との単純な付き合い方

既に確定していて、新たに何かを望むことができなくなっている未来は、新たな望みの絶たれた文字通りの「絶望の未来」である。だが、一方でそれは極めて安定した、迷う必要のない「安心の未来」である。悪意に満ちた望みを絶つこと、それは確かに安心に繋が…

生活世界のハスとスイレン

上越市の高田城址公園の外堀のハスはつとに有名だが、近年は妙高市のいもり池のスイレンの悪名が高い。ハスとスイレンの外観はよく似ているが、どうもそれは見かけだけに過ぎないようである。いもり池の水面はスイレンに占領されてしまい、池に映る「逆さ妙…

ヘクソカズラ(屁糞葛)の花と実と

9月に入り、天候は不順でもヘクソカズラはヤブガラシやカラスウリと並んで至って元気である。ヘクソカズラはアカネ科ヘクソカズラ属の雑草。葉や茎に悪臭があることから屁糞葛の名がある。植えるのではなく、どこからか種が飛んできて、勝手に生え、生育は非…

糀と麹、そして麴の違い

もち米を蒸してついたのが餅、うるち米を蒸して発酵させたのが糀。私の家はその糀を原料にした味噌をつくっていた。高校を卒業するまで私もつくっていたので、今でもその工程は憶えていて、道具や材料が揃えばそれほど難しいものではない。 ところで、「こう…

クスノキ(樟)の実

湾岸地域の街路樹としてよく見るのが常緑高木のクスノキ。私の大木像はケヤキとクスノキ。トトロが住む巨樹はクスノキで、男性的なケヤキに対して、クスノキはどこか女性的である。クスノキは高さ20m以上、直径2mにもなる。樹皮は帯黄褐色で、葉は互生。古…

「知る」と「信じる」へのラディカルな見方

アングロサクソンの知識論の基本的主張となれば、「正当化された真なる信念(justified true belief)が知識である」ということに尽きる。知るための条件の一つが信念であることから、信じることがないと知ることが成立しないという構図になっている。さらに…

それぞれの秋の始まり

コロナ禍の中、猛暑が続き、台風が到来し、災難続きの秋の始まりだが、それでも季節は変わり始め、周りの自然に秋の兆しを感じることができる。湾岸地域では珍しい柿の実もほんのりと頬が染まり出している。時々お目にかかることができるコムラサキの実も緑…

Common Sense:論理と信念

(論理) 「論理、Logic」という言葉は日常よく使われます。それらが使われると、何かとても硬派の感じがして、難しい理屈の話だという印象を与えるようです。実は、その日常的な使い方のほとんどは論理学を知っている人にはとても奇妙で、苦言を呈したくな…

ハツユキソウとネグンドカエデの葉

葉の色が緑色でなかったり、斑入りだったりする植物は意外に多く、観葉植物として好まれてきた。そんな植物の代表がハツユキソウ、そしてネグンドカエデである。 昨年も9月の上旬にハツユキソウのことを書いた。「初雪草」とは何とも大正ロマン主義風で、竹…

アブダクションを使った宗教教義の比較

新しい考えやアイデアを発見するための方法がアブダクション(abduction)。それを使って宗教教義を捉えてみるとどうなるだろうか。異なる宗教教義の比較など客観的にできる筈がないという立場を頑なに唱えるより、まずは考えてみようという訳である。 古代…

アベリアの花

湾岸地域では公園や道路沿いに数多く植栽されていて、勝手ながら少々食傷気味の植物がアベリアです。花が美しいのはもちろん、斑入り(画像)など、葉の観賞価値の高い園芸品種と見做されていて、正に園芸品種の優等生といったところです。 アベリアは、19世…

キバナコスモスとコスモス

コスモスは「秋桜」と書き、別名がオオハルシャギク(大春車菊、大波斯菊)。コスモスに似た「ハルシャギク」の由来は波斯(ペルシャ)の菊。ペルシャとは全く関係ない謎のネーミングだが、大春車菊のネーミングも謎。私たちが通常「コスモス」と呼ぶのは、…

にいがた文化の記憶館企画展「江戸のリアリズム 森蘭斎」:森蘭斎と岡倉天心

タイトルの二人はともに新潟県妙高市に深く結びついていて、二人とも美術に関わっていました。蘭斎は新井に生まれ、天心は赤倉に移住しました。では、妙高市民は蘭斎と天心についてどのように考えるのがいいのでしょうか。特別の区別など必要ないのですから…

矮性サルスベリの花々

沿岸地域の歩道にオリンピックに向けて増えたのがサルスベリの並木。樹のサイズ、花の色も様々で、今花盛りである。そんな中でもう一つ、目につくのがサルスベリの矮性品種。通常のサルスベリと違って、この矮性サルスベリは大きくなっても1m前後のコンパク…

青色の染め方

昨日は青の顔料について述べました。今日は染料の話です。4,5歳の頃の私は着物をよく着ていて、それが紺絣だったのを憶えています。かすり(絣)は所々かすったように文様を織り出した織物、または染文様のこと。当時は私だけでなく、多くの人が普段着にし…