2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

イヌリンゴ

子供の頃はヒメリンゴと呼んで、そのヒメリンゴの木によく登っていた。だが、木になったヒメリンゴの実は食べなかった。正式名はイヌリンゴ(犬林檎)で、バラ科リンゴ属の落葉高木。近くの学校のグランドの周りに10本近く並んでいて、一斉に花をつけ始めた…

もぐさ

もぐさ(0) もぐさはお灸に欠かせないが、お灸をすえるために本当のお灸を何度かすえられ、火傷の跡が私には残っている。むろん、それを恨んでいるわけではない。小出雲坂ではなく、小出雲の坂を上り、右に回って暫く行くともぐさ工場と呼ばれていた亀谷左…

シロバナマンサク(白花万作)

今人目を引くのはシロバナマンサクの花。アメリカ南東部のアレゲーニー山脈が原産で、森林地帯や沼地に生え、高さは2~3mになる。葉は対生し、表面は濃い緑色で裏面は青灰色。秋に黄色や橙色、そして赤紫色に紅葉する。4月に芽吹きの前に花を咲かせます。白…

二つの「うまい」経験

私が海を知ったのは5歳の頃で、かつての妙高は海と疎遠だった。その私が4年生の夏休みに一人で祖父の妹が住む糸魚川の寺で過ごすことになった。周りには水田が広がり、小出雲と似たり寄ったりの田舎。私がそこで一番驚いたのは寺の生活ではなく、魚の味だっ…

キクモモ

キクモモ(菊桃)はバラ科サクラ属の落葉小高木。ハナモモの一品種。名前は、花弁が細長くキクに似ていることに由来する。別名はゲンジグルマ(源氏車)。濃い紅色の八重咲き。花期は3月下旬から1か月ほど。既に、ハナモモの品種として「照手桃」、「源平枝…

よい子、つよい子、できる子

このような謂い回しが、私の通っていた小学校の教育目標になっていて、今も変わっていません。とても懐かしい謂い回しなのですが、これが運動場などに掲げられていて、児童は直ぐに眺めることができたのです。どのような経緯でこの謂い回しが学校の教育目標…

越後の良寛

越後には詩人が多い。会津八一も相馬御風も、そして西脇順三郎も越後生まれの詩人。越後出身でも、その文学が越後的、越後風などと言うことはない。彼らが求めた詩や歌の精神は人間の生存や自然の姿に根ざした普遍的なもの。越後は彼らの文学の契機の一つに…

ハクサンボク

白い小さな花の集まりが印象的で、その名前もオヤッと思ってしまう。ハクサンボクは主に西日本の海岸沿いや林地、伊豆、小笠原を原産とする常緑低木。石川県の白山が原産地だと誤認されたのが「ハクサンボク」の由来。少々がっかりというところか。関西地方…

アキグミ

子供の頃、裏庭のアキグミを何度か食べたのだが、美味しいと思ったことは一度もなかった。そんなアキグミ(秋茱萸)はグミ科グミ属の落葉低木。果実は食用となり、果実酒などに使われる。春に花が咲き、果実は秋に熟す。 アキグミは北海道南部から九州に分布…

妙高の生い立ちを垣間見ると…(2)

歳をとると生まれ故郷が気になるのが人の常だが、故郷に大した想い出をもたない私でもそれなりに故郷が気になり出す。死と生は意外に近いのである。自分の故郷は知っているようで知らないことばかりなのだが、知っていることは子供の頃に経験した事柄ばかり…

妙高の生い立ちを垣間見ると…(1)

歳をとると生まれ故郷が気になるのが人の常だが、故郷に大した想い出をもたない私でもそれなりに故郷が気になり出す。死と生は意外に近いのである。自分の故郷は知っているようで知らないことばかりなのだが、知っていることは子供の頃に経験した事柄ばかり…

「ヤマブキの記憶」雑感

八重のヤマブキ ヤマブキ(山吹)が気になり出したのは1年ほど前からで、子供の頃の記憶の中のヤマブキンに大異変が生じたのである。子供の私にはヤマブキの黄色の花はどれも八重だった。だから、私は八重のヤマブキを真正のヤマブキとして記憶し、それをそ…

二つの自然:樹々の種類を通じて

妙高に住んでいた頃に見慣れていた樹々がそのまま今の東京でも見られるかというと、これはまず不可能で、特別な植物園にでも行かないと駄目なのである。「街中で桐や柿の木を見るか」と問われれば、Noと答えるしかない筈である。私が妙高を離れてまだ半世紀…

ジューンベリー=アメリカザイフリボク

ジューンベリー(和名アメリカザイフリボク)はバラ科ザイフリボク属の落葉小木。樹高は0.5-8mほど。今ちょうど5弁の白い花を咲かせている。果実は直径7-10mm、6月頃に黒紫に熟す。果実が6月(June)に収穫できるので、ジューンベリー(Juneberry)と呼ばれ…

しらせが帰港

天気がよく、富士山を見ようと顔を向けると、オレンジ色の船体が見える。確かあれは「しらせ」と思い、確認すると5003とはっきり読める。Webで調べると、第60次の航海が終わり、4月9日8:30に晴海に着岸とあり、正に予定通りである。偶然に感謝しながらしらせ…

「ふるさとに戻る、帰る」

春休みが終わって新学期が始まりました。子供にとって長い休みとなれば夏休みですが、「夏休みが終わって学校に戻る」とは日本語ではあまり使われない表現です。でも、英語ではありきたりの表現で、Back to schoolは普通に散見される表現です。学校と同じよ…

オオアラセイトウ

オオアラセイトウ(大紫羅欄花)は、アブラナ科オオアラセイトウ属の越年草。別名はショカツサイ(諸葛菜)、ムラサキハナナ(紫花菜)。植物学者の牧野富太郎が命名者である。別名のショカツサイは、智謀に富み、優れた軍師だった諸葛亮が、先々の戦場で軍…

デカルトの精神と物体

(「疑う」という心的働きを方法として使って確証を手に入れるという)方法的懐疑によって、人間の感覚知覚、思考の中のすべてを、一旦棚上げして、考え直したのがデカルト。そうすることによって「思考する私」、つまり「精神としての私」を抽出し、確立し…

白妙

白妙(しろたえ)は八重のサクラ。まるで小輪のバラのように見え、私の記憶の中にある先日の正体不明の白い花に重なる。いずれもバラのもつ棘はない。「白妙」という名前のサクラは江戸時代に栽培されていたが、現在のものと同じかどうか不明。荒川堤で栽培…

チューリップ集団

台場、有明、青海では3月中旬から4月中旬にかけて、シンボルプロムナード公園内の三か所に20万球のチューリップが咲き誇る。シンボルプロムナードを走るランナーや観光客にはサクラと並んで春の風物詩となっている。 富山県砺波市産のチューリップで色んな色…

私が生きる世界

私はどんな世界に生き、暮らしているのか。人が生活する世界とは、そこで生まれ育ち、楽しみ、苦しみを経験し、家族や友だちがいる環境であり、宗教、科学、哲学が探求してきた自然、社会、精神を含んだ世界である。その生活世界はどのようにつくられ、変え…

カジイチゴ

歩道とマンション敷地の間に白い花が見える。緑の大きな葉とのコントラストに惹かれ、つい見入ってしまった。それがカジイチゴ(構苺、梶苺)で、バラ科キイチゴ属の落葉低木。茎は若草色、あるいは赤褐色で、太くなると木質化する。イチゴだが、棘をもたな…

まず「空間」、次に「時間」瞥見

<空間> 物理空間はこれまで四通りの仕方で研究されてきた。それらを手短にまとめてみよう。 A. 形而上学(Metaphysics):空間とは何か、どのようなものか? 空間は物理的な対象からは独立して存在する実体である。物理世界から物理的な対象をすべて取り除…

モクレン

今年の湾岸地域はサクラとほぼ同じ時期にモクレンが咲いていて、今が見頃である。既にシデコブシとサラサモクレン(更紗木蓮)について記した。サラサモクレン、ハクモクレン、コブシなどに次いで、モクレンも花をつけている。花弁の数や形状の違い、樹高の…

人間による人間自身に対する偏見(改訂版)

人間は「理性的で、倫理や道徳をもって行動する動物である」と伝統的に捉えられてきました。これを言い換えるなら、「人間は信念と欲求をもち、合理的で倫理的な行動をするシステムである」というお馴染みの表現になります。そこで、人間の倫理や道徳の萌芽…

岡倉天心を巡って

妙高市の赤倉は岡倉天心の終焉の地です。赤倉には六角堂があり、天心と妙高市との深いつながりが窺えます。2013年には天心が書いたオペラ「白狐」が上演されています。そこで、岡倉天心という人物について今一度確認してみようというのが、以下の話です。怪…

トキワイカリソウ

花姿が船の錨にそっくりなので、イカリソウという名前は成程と納得できる。「トキワ」の名がついた植物は、冬でも葉が落ちずに残っている常緑の植物。メギ科イカリソウ属のトキワイカリソウの分布は北陸、山陰の日本海側に多く、ほとんどが透明感のある白花…

些細な幾つかの問いと哲学

以下の各問は何とも雑な問いだという印象を与えるのだが、風狂老人には哲学の問いはこのような問いの蓄積だと思っている。問いに貴賤はなく、問いはどれも一考に値するものだと思っている。その意味で、禅問答も問いであることに変わりはなく、差別するつも…

鶏が先か、その卵が先か(風狂老人日記のきっかけ)

まず、「ニワトリが先かタマゴが先か」と問われた時の次のような解答を読んでいただきたい。 A hen is only an egg's way of making another egg, or a chicken is just an egg's way of making another egg. 「鶏は卵が別の卵をつくるための方法、手段、道…

ハナカイドウとハナズオウ

ハナカイドウは「カイドウ」とも呼ばれて、日本中で栽培されている。リンゴと同属の落葉果樹で、原産地の中国でも古くから栽培され、その花の美しさは、中国の唐の玄宗皇帝が酔って眠る楊貴妃を花海棠に喩えたように、昔から美人の代名詞として使われてきた…