2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

連続性と無限

運動はどんなにギクシャクしていても、連続的で途切れることがないというのが私たちの常識です。その運動変化の連続性、平たく言えば、スムーズな運動変化、途切れることのない、流れるような運動変化とはどのような変化なのでしょうか。変化に対する、この…

二つの街道

北国街道は旧新井市の真ん中をくねくねと曲り、その両側に主な旧家や商家が並び立ち、街道を中心に新井がつくられてきたことを示しています。北国街道以外の道は脇道か新道という判断が子供にもできました。 私の生家は妙高市の小出雲にあり、その北国街道に…

ヤグルマギク

すっかり春めいた公園にはヤグルマギクが咲いている。ヤグルマギクは、一時ヤグルマソウと呼ばれたこともあったが、ユキノシタ科のヤグルマソウと混同しないように、今ではヤグルマギクに統一されている。その青紫色の美しさから、「コーンフラワーブルー(…

妙高の方言

標準語なるものをうまく操ることに支障がない程度の方言は確かに妙高地方にはあったし、今でもあるが、それは東北や関西にあるような立派な方言ではなく、単語とイントネーションの僅かな違いといった程度のものである。実際、妙高から東京に出てきた私は何…

サンカクバアカシア

最近はミモザと言えば、アカシア属の常緑樹のこと。その代表はギンヨウアカシア。今が見頃で、黄色の花が樹木全体を覆い、見事である。サンカクバアカシアは葉の形状が三角形であることが和名の由来だが、英名は三角形の辺をナイフに見立ててKnife Acaciaで…

性悪(しょうわる)が願う善人

性善説について性悪な私がどう捉え、表現したらいいのか思案した挙句、思いついたのが次のような物語。それにしても、善悪とはなんと性悪(しょうわる)なことか。 知子(さとこ)が早朝のバスに乗って最初に脳裏をかすめたのは自分が既に42歳だということだ…

ハクモクレン

ハクモクレン(白木蓮)はモクレン科モクレン属の落葉低木。モクレンは花が紫色であることから、シモクレン(紫木蓮)の別名もある。ハクモクレン(白木蓮)はモクレンの仲間で白色の花をつけ、よく「モクレン」と混同される。紫木蓮も白木蓮もモクレン科モ…

ミツマタ

今私の周りでは沈丁花の花が咲き誇り、強い香りがしている。その沈丁花の仲間がミツマタ(三椏)で、沈丁花ほどではないが、あちこちに咲いていて、その黄色い花は春を告げている。ミツマタは中国、ヒマラヤ地方が原産で、名前の通り枝が三つに分岐するのが…

自由意思の正体

「男心と秋の空」、「男の心と川の瀬は一夜に変わる」といった格言の「男」を「女」に取り換えても、同じように成り立つためか、今では「女」もよく使われ、「女心と秋の空」も立派に市民権を得ている。「わからぬは夏の日和と人心」とあるように、男心でも…

オニタビラコ(鬼田平子)

「野生の動物とペットのいずれが好きか」といった他愛もない問いは意外に人々の関心を集めるのだが、「野草と園芸植物のいずれが好きか」はピンボケの問いと思われるようで興味をもつ人は少ない。野生の植物となればその主人公は野草ではなく樹木であり、野…

ヤハズエンドウ

ヤハズエンドウは本州以南の日本各地に生育する一年生草本で、湾岸地域では今を盛りとあちこちで生繁っている。何度か繁茂を繰り返すようで、芝生の斜面などにこんもりと生茂っていて、誇らしげに咲いた紫の花が陽の光を浴びている。ヤハズエンドウの和名は…

人間による人間に対する偏見とその修正

人間は「理性的で、倫理や道徳をもって行動する動物である」と伝統的に捉えられてきました。これを言い換えるなら、「人間は信念と欲求をもち、合理的で倫理的な行動をするシステムである」というお馴染みの表現になります。そこで、人間の倫理や道徳の萌芽…

私が生きる世界(8)

9 「決める」と「決まる」 因果的な決定性は表現される内容の決定性のことであり、物理的な自然法則、例えば運動法則にしたがって物理系の状態が決まっていくように、物事が「決まる」ような仕方で見つけることができる。非因果的な決定性は表象の形式に関連…

私が生きる世界(7)

8 意味、情報、知識 因果的な物理世界と違って、意味の世界は因果的ではないと考えがちである。だが、よく考えてみると何かを解釈し、有意味なものとみなすには、意味が因果的であることが必要である。生活世界の変化が意味のある変化であることを示そうとす…

私が生きる世界(6)

7(因果的でない)確率・統計的な世界 数学者の心理世界は因果的でも数学の世界は因果的ではない。さらに、言語の世界も非因果的と考えられる。ところで、「言語の世界」とは文法の世界なのか。それとも文章が何を指示するかで決まる、指示対象の世界なのか…

一人占めの梅林

ウメはバラ科だが、広義のスモモ属(広義のサクラ属)とする説と狭義にアンズとウメを含むアンズ属とする説がある。開花時期は、種類によって1月下旬から4月初旬までと長い。サクラとちがって、咲き方も散り方もゆっくり。 ウメは中国原産で、正確な渡来時期…

私が生きる世界(5)

6 古典力学と生活世界 「私が生活する世界は古典力学がつくった世界だ」と言うと、きっと様々な誤解や反発を生むことだろう。この命題は「生活世界は力学の世界とはまるで異なる」と考える人には端的に誤った命題である。また、いまどき古典力学を信じる人な…

私が生きる世界(4)

5 幾何学の大いなる野望:点 ユークリッド幾何学の野望は「点」に秘められ、「点」に込められている。[1]大袈裟に言えば、点がその後の私たちの生活世界を運命づける最も重要な鍵を握っていたのである。点を使って世界の様々なものを表示することができる故…

私が生きる世界(3)

4 私が表象し、行為する生活世界 私の生活する世界は私が表象し、意識し、記述・説明する世界である。私は学校で習った古典力学を使って物理現象を表象し、記述し、そしてそのような現象の集まりとして世界を理解する。実を言えば、私自身が古典力学を使うの…

私が生きる世界(2)

3 ターレス、パルメニデス、ゼノン 論証や証明がもつ俯瞰的な観点を最初に導入したターレスは一流の幾何学者となり、幾何学によって因果的な世界から独立した数学的世界の存在を示すことに成功した。[1]彼に始まる幾何学は、その後ユークリッドによってギリ…

私が生きる世界(1)

私はどんな世界に生き、暮らしているのか。人が生活する世界とは、そこで生まれ育ち、楽しみ、苦しみを経験し、家族や友だちをもつ環境であり、宗教、科学、哲学が探求してきた自然、社会、精神を含んだ世界である。その生活世界はどのようにつくられ、変え…

知識の三つの側面を垣間見る

知識論(theory of knowledge)と認識論(epistemology)は同義語でもあるし、異義語でもある。様々な場面で、同じように、そして異なるように使われてきた。それ以前の主役は存在論(ontology)で、もっぱら外の世界の事物を対象としていた。その長い歴史の…

ヘレボレス アーグチフォリウス

舌をかみそうな名前だが、原種はクリスマスローズ。ヘレボラス アウグチフォリウスはキンボウゲ科クリスマスローズ属で、原産地はフランス・コルシカ島、旧学名は「コルシクス」。ヘレボルス・アーグチフォリウスは、有茎種(立ち上がった茎に葉をつけ、頂部…

神の智慧、人の知識など…

『般若心経』の実物となれば、空海が書き写したと伝えられている奈良の海龍王寺(隅寺)に残るお経が有名です。実際は弘法大師より古く、1200年以上も前の奈良時代のもので、今でも写経の定番となっています。 ところで、『般若心経』で主張されているのは仏…

白いクロッカス

クロッカス(Crocus)はアヤメ科クロッカス属の総称で、最も古くから栽培されてきたのがサフラン(Crocus sativus)。昔はサフランが高級食材で、パエリアには欠かせないものだった。ということで、クロッカスは紀元前から薬用・料理用に利用されてきた。原…

本能の学習

「本能の学習」と言えば、「丸い三角形」と言うのと同じように論理的に矛盾した表現だというのが常識。筋金入りの経験主義者は「生得性」を否定し、生まれたときは誰もtabula rasaの状態で、すべては学習することによって経験的に獲得されるものだと主張する…

春の黄色の存在

早春の自然には黄色が目立つ。既にマンサクやサンシュユの黄色を見ていただいたが、もっと目立つ黄色となれば何だろうか。そんな気持ちになって周りを見渡すと、目線の上にはミモザ(ギンヨウアカシア)、下にはスイセンや菜の花(アブラナ)が咲き乱れ、い…

「煩悩が本能ならば、本能の何が煩悩なのか」と問われて…

知識より知恵の方が高尚なのだとよく言われてきました。例えば、英語でも知識(knowledge)と知恵(wisdom)は別物と受け取られてきました。科学が知識を追求するものだとすれば、仏教は知恵をもって人々を導くものと分けて理解されてきました。ですから、科…

ネコヤナギ、そしてユキヤナギ

子供の頃の雪解けは春休み期間と重なっていて、3月の下旬だった。川辺から雪解けが進み、地肌が次第に見えてくるのだが、その川辺に多かったのがネコヤナギ(猫柳)。ネコヤナギはヤナギ科ヤナギ属の落葉低木。早春の川辺でネコヤナギの花穂が揺れる姿は美し…

「過去と未来、存在と認識」のまとめ

過去の歴史は決まっていて変えられない。私たちが変えることができるのが未来である。これら言明は疑うことができないような真理の典型例の一つと考えられています。でも、何がどのように決まっているのかはけっして明らかではなく、むしろわからない場合の…