2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

春の野原

雪が解けだし、ネコヤナギやフキノトウが目立ちだすのが3月の今頃からと言うのが私の子供の頃の風景だが、その頃は野原をしっかり見ていた訳ではないので、一体どんな植物があったのかとんと憶えていない。 今、自分の周りを見ると早春にお馴染みの草花が目…

馬酔木(アセビ、アシビ)

アセビ(馬酔木)は、日本に自生している常緑の低木。枝葉に「アセボトキシン」などの有毒成分を含んでいて、馬が食べると酔って足がなえることから「足癈(あしじひ)」と呼ばれ、次第に変化して「あしび」そして「あせび」となったとされる。また、 「馬が…

妙高市民がほとんど気づかなかった、妙高市が誇れる二つのもの

私たちが気づかないもの、知らないものが一体どれだけあるのかは皆目見当がつかない。知らないものだらけなのが私たちと私たちが住む世界。気づいていい筈なのに気づかないもの、知っているべきなのに知らないもの、それらが普通は話題になり、関心の的にな…

時間の変化(5)

<古典力学の時間とカントの認識の時間>(時空の実体論と関係論) ライプニッツとニュートンは互いに他を正しく批判していた。ニュートンによる宇宙の絶対静止点の考えは実験や観察では確かめることができなく、ニュートン的な時空を構造過多にする。一方、…

寒緋桜と蔓日日草

見上げれば、青空に下を向いて咲くカンヒザクラ(寒緋桜)が満開、足元を見れば蔓日日草(ツルニチニチソウ)が花をつけている。いよいよ春が来たようで、春定番の染井吉野(ソメイヨシノ)も一週間ほどで満開のようである。「寒緋桜」の別名が「緋寒桜」と…

時間の変化(4)

時間の形而上学[絶対的時間と関係的時間] 既に時間の向きについて話した際、容器とその内容とに分けて時間の非対称性を考えた。同じ喩えを使って別の問題を考えてみよう。容器とその内容は分離でき、それぞれ独立した別のものだろうか。普通の容器、例えば…

煙突の煙と雲、そして富士の雪肌 画像を見て、こんなに煙が出る筈もなく、雲と見分けがつきにくいだけで、単なる錯覚だということは一理ある。自然も時には粋な悪戯をするもので、これでは火力発電所が悪の巣窟であるかのようだ。これら二つの文がとても異な…

越後高田の「第一義」:流れ、淀むその意味(3)

(5)第一義、義、正義、義理人情 『雪椿』(平成21年p.37)に久島士郎氏が竹澤攻一著『新潟県立高田高等学校沿革史余話』に鈴木卓苗(たくみょう)第9代校長の訓辞が記され、「…偲ぶべき唯一の宝物林泉寺山門の大額に跡をとどむる第一義をそのまま採って以…

越後高田の「第一義」:流れ、淀むその意味(2)

道元の『正法眼蔵』の「正法」は、正しい教えという意味で、それは釈迦が説いた「仏法」そのもの。それが教典として「蔵」に納められている。その経典を正しく理解するには、経典を読み解く力、すなわち「知識、智慧」が不可欠。例えば、仏教は生き物を殺し…

クリスマスローズ

まだ寂しい早春の公園にクリスマスローズが残っている。イギリスで「ニゲル」と呼ばれていたバラに似た花がクリスマスの時期に開花するので、「クリスマスローズ」と名付けられたとのこと。画像はバレンタイングリーンだろう。本当の名前はヘレボルスで、根…

越後高田の「第一義」私見

(これまでいくつか関連するエッセイを掲載してきたので、それらも参照願いたい。) 上越は「第一義」の町である。上杉謙信が上越の傑出した英雄であり、その彼が残した自筆の寺額が「第一義」だからである。この「第一義」が高田高校の校是になってきた。上…

達磨:第一義と面壁九年

『碧巌録』第一則、『従容録』第二則の公案は大変有名で、「第一義」が出てくるものです。梁の普通元年に達磨が武帝に会見したのですが、武帝は問答で達磨の偉大さに気づけませんでした。そこで達磨は少林寺へ去り、面壁九年の坐禅をしたとされる故事です。…

越後高田の「第一義」:幕間

「第一義」を校是や標語にする学校は高田高校だけではない。その代表が成城学園で、創立者澤柳政太郎は、「所求第一義」(求むるところ第一義)を生涯の志としていた。「第一義」は本当のもの、一番大切なもの、根本にあるものを意味し、「所求第一義」は「…

ガーデンシクラメン

シクラメンと聞くと、現物の花より「シクラメンの香り」が聞こえてくるのは困ったものだが、ふと目を落とせば、小さな花のガーデンシクラメンが足元に咲いている。かつては花屋の店頭で大輪のシクラメンをよく見たものだが、地中海生まれのせいで寒さに弱く…

春の色

ピンク、黄色、赤色はいずれも春の花の色。梅や桜はピンクや白が主だが、タンポポの黄色は野の花の象徴。菜の花より濃い黄色はその生命力を示しているかのようで、野原はタンポポの独壇場。 「ギンヨウアカシア」は「ミモザ」とも呼ばれ、切花や生け花に使わ…

越後高田の「第一義」:流れ、淀むその意味(1)

(要約) 高田高校の校是「第一義」の意味を探る旅は、「校是は第一義である」は言葉の誤用であることからスタートする。まず、なぜそのようなミスが生じたか、本当にミスなのかを見定めるために、『景徳傳燈録』と『碧巌録』に立ち戻る。そこでの「第一義」…

上杉の「義」

「第一義」、「義」、「義理」はよく似ていて、意図的に混同される場合がよくあります。意図的ならいいのですが、無意識に混同されている場合も相当にあります。この無意識の混同は習慣として継承されてきたもので、それゆえその矯正は意外に厄介です。 習慣…

ハナズオウとモクレン

ハナズオウ(花蘇芳)は中国原産で、春に葉が出る前に紅色から赤紫の花をつけます。遠目には紅梅のように見え、よく栽培されています。花には花柄がなく、枝から直接に花がついています。 モクレン(木蓮、木蘭)も中国原産で、やはり葉が出る前に花をつけま…

時間の変化(4)

マクタガート 時間的な存在と空間的な存在とを同じように考えることには問題があると見抜いたのが、マクタガート(1866-1925)である。そこから彼が到達した結論は、「時間は実在しない」というものだった。この結論に至る彼の時間に関する分析を見てみよう…

とても中国的な沈丁花(ジンチョウゲ)

子供の頃から沈丁花はとても中国的な花だという印象が強かった。理由は定かでないのだが、その印象が今でも残っている。沈丁花は確かに中国の原産で、既に室町時代には栽培されていたようである。何とも言えない優しい香りがするが、原産地の中国では「瑞香…

老人と「第一義」

歳をとると、それまで見えなかったものが見えてきたり、気にもならなかったことが気になり出したりする。老いの症状だと見過ごせばいいのだが、人の心はなかなかこだわりを吹っ切れない。その一つが自分の出身高校の校是「第一義」だった。私の高校の体育館…

梅三昧、春爛漫

急に春らしくなった。三月に入り、一挙に季節が春にスイッチした感がある。あちこちに咲いていた梅が梅林でもほぼ満開。梅が桜と違うのはその香り。とりわけ、梅林の中では梅の香りに包まれ、春の陽の中でずっと梅林の中にいたいと思うのは私だけではないだ…

魚群

昭和の時代なら大異変だが、東電堀に魚が群れている。10-15㎝ほどの魚の大群が運河で泳ぎ回っている。釣り人はコノシロと言うが、ニシン科のサッパなのか、コハダ、あるいはコノシロなのか、私にはさっぱりわからない。とはいえ、釣って確かめるほどの熱意…

時間の変化(3)

アウグスティヌス(354-430AD) 時間の哲学的な分析では必ずアウグスティヌスの考えが取り上げられる。彼の時間についての発想・理解が現代の私たちにも通じているからである。アウグスティヌスが時間について現代的な考えをもっていたことは、次の二つのよ…

有明の満月

3月に入り、いきなりの春大一番かと思いきや、昨日は見事な有明の満月だった。夜明け前は未明だが、夜明け方は東雲で、東の空が白む頃。明け方は曙(あけぼの)、暁(あかつき)。有り明け(在り明け)は空に月が残ったままでの夜明け頃。こんな風に言葉を連…

時間の変化(2)

時空の哲学的議論-これまでの要約 日常生活での時空概念は多くの常識からなっている。時間や空間の常識には次のようなものが挙げられる。 空間は実は何もなく、ものが占めている部分しかない(void, pneuma)。時間は流れる(flow)。過去、現在、未来があ…

異論「第一義」

謙信の座右の銘が「第一義」であり、その意味は「人として宝とすべきは、物ではなく物を超えた心、すなわち人を思いやる慈悲の心である」と恣意的に解釈され、校是や社是として使われてきた。何とも古臭い校是で、生徒や社員の歓心を買うとは到底思えない。…

時間の変化

[時間に関する三つの問題] これから暫く「時間」(とそれに関連する空間)について考えてみよう。時間(と空間)は世界の(因果的な)変化を考える上で欠かせないものである。そのためギリシャ時代以来哲学の格好の研究対象となってきた。物理学での変化は…

春の春

3月は正真正銘の春であり、昨日は春一番が吹き荒れたとはいえ、街には春の花が咲き始めている。3月の春と4月の春は随分と違う。3月に入り春が始まり、いわば春の春であるが、これが4月下旬ともなれば晩春である。 春に似合うのは雪解けだが、これは東京では…

水を切る:繰り言

「水切り」には色んな意味があります。水面にに向かって石を投げて、水面で石を跳ねさせる遊びを子供なら最初に思い起こすでしょう。主婦なら、食べ物や食器についた水分を落とすことだと言う筈です。また、切花が長持ちするように植物の茎や根を水中で切る…