シレネ・ユニフローラの花

 シレネ・ユニフローラ(Silene uniflora)は学名、別名が「ホテイマンテマ」。シレネは西ヨーロッパ及びバルト海沿岸、マデイラ諸島を原産とする半常緑多年草で、ナデシコ科マンテマ属の観賞用の園芸種。

 シレネ・ユニフローラはヨーロッパに分布する耐寒性多年草。伸びた茎の先に釣鐘状の可憐な花を咲かせる(画像)。開花時期は晩春から初夏、花色(萼)は白色や桃色があり、個々の花は花弁が5つで風船のように膨らむ萼から開花する。

 

オオスズメバチの女王バチ?

 オオスズメバチは体長5センチ近くあり、スズメバチ類の中では世界最大。中でもその女王バチは6センチを超えます。オオスズメバチは女王蜂のみが越冬して、その他のハチは冬に死んでしまいます。春になると、女王蜂は自ら小さな巣を作り、数十匹の働き蜂を育てます。その働き蜂たちが巣を大きく作っていきます。

 今日生まれて初めてオオスズメバチの女王バチを見たと思います。100%の確信があるとは素人の私には言えないのですが、そのサイズに驚きました。捕虫して丁寧に観察する気にならないのが動物好き少年とは大いに違うところで、子供の好奇心と老人の好奇心の違いではないのかと真面目に思ったりしています。とはいえ、その女王バチは怪我をしているようで、遭遇した興奮と危惧の念が相俟って少々複雑な心境なのです。

 

知識を物語にする

(1)

 苦労して手に入れた知識をまとめ上げると、終には理論になります。知識の完成形態は形式的な理論になり、その知識は「何かについて」の理論と呼ばれます。何についての理論かとなれば、それは世界についての理論、つまり「知識=世界についての理論」ということです。この特徴を私たちは「知識は志向的(intentional)」と呼んできました。

 世界が物語的であるゆえに、世界についての理論、つまり知識は物語的であり、世界についての理論がどのような物語として解釈できるかを示すことによって、理論の内容を具体的に説明できます。知識は志向的であり、世界についての知識は理論であり、その理論を因果的に解釈することによって世界の因果的な変化が説明されると考えられてきました。

 私たちは個々の因果的な物語、出来事から理論をつくり出しています。そこで、様々な理論を思い浮かべながら、理論をどのように物語に書き換えることができるかを探ってみましょう。私たちは科学研究という(科学者集団の)因果的な文脈の中で、物語から理論を模索し、その研究物語のエッセンス、結末を理論という形でまとめ上げ、それを知識と呼んできました。ですから、ここでの探索はその逆の作業(科学者の研究作業の逆作業)、つまり、理論を因果的に解釈することによって、世界の対象や現象を物語として理解するということになります。

 

 まずは、最も物語とは縁遠いと思われている数学。数学理論の例としてユークリッド幾何学を取り上げると、そこに登場するのは点や線、面や図形といった一群の幾何学的な対象です。ヒルベルト流の形式主義(formalism)によれば数学的対象は単なる記号で構わないのですが、ギリシャ以来の古典的な見解では、点、線、面といった対象として解釈されてきました。数も点も、そして図形も、物理的ではない数学的な対象(プラトンイデアの一種)として考えられてきました。そして、「点が集まると線になる」と主張されるのですが、その線をつくり出す物理的過程は物語には登場しません。点をどのように並べると線になるのかという実際の細部にはこだわらず、「線を引く」という私たちの動作、行為を模して、「点から線が生まれる」ことが物語では前提されています。細部にこだわると、残念ながらどのように点から線をつくるかよくわからないのです。そもそも点とはどのような対象なのかさえ定かではないですし、実数で表現される点を順番に並べる方法を私たちはきちんと述べることができないのです。ですから、「点から線をつくる」物語はユークリッド幾何学という理論だけからは完成できず、ごまかしに近い補足が必要になるのです。物語ですから、点から線を引くことが納得できれば、それで一向に構いません。「点から線を引く」のは物語であって、物理的な過程にはなっていないのです。私たちの日常生活もそのほとんどは因果的な物語で、物理学的な過程として正確に表現できるかと問われれば、実際は近似しかできませんと答えることになるのです。ですから、仏教が主張する輪廻転生、因果応報、無常も物語に過ぎません。「物語」と呼んだのでは身も蓋もないので、「形而上学」、「教義」、「教説」などとも呼ばれてきました。

 

(2)

 次は物理学の物語。物理学は経験科学ですから、私たちが経験する物理的な世界が前提されます。実証的な実験や観測は因果的でなければ実現できず、それゆえ、実験や観測の手続きは因果的な物語になっています。つまり、実証的=手続き的=因果的=物語的という大雑把な等式が成立しているのです。因果応報の世界で実験や観測がなされるという訳です。さて、物理学の肝心の対象は「運動(motion)」。運動の原因や結果は、運動の一般的な記述とは別に特定の文脈、状況の中で表現される場合がほとんどです。そうでない場合、つまり特定の原因を表現する文脈がない場合は、運動法則に言及するだけで説明や予測が図式的になされ、実際の「因果連関」が持ち出されることはありません。物理学の理論は「因果性(causality)」を含んでおらず、「因果性」は私たちが物理学の理論を適用する際の解釈において導入されるのです。私たちは因果的な物語という文脈の中で物理学の知識を知り、使う訳です。ですから、因果性を用いた解釈は科学者が因果的な文脈で(因果的でない)理論を生み出した作業とは逆の(因果性復活の)作業ということになります。

 化学の物語に登場するものと言えば、ギリシャ以来の原子論的な元素。運動と並んで物質の構造の解明に人々は強い好奇心をもってきました。原子論(atomism)はギリシャ以来の優れた物質と運動についての形而上学的な理論。原子という不変の粒子の組み合わせによる物質と運動の説明は実に見事な仮説演繹的な説明でした。それが化学的な原子論仮説になるには18世紀まで待たねばなりませんでした。物質の組成や特徴が化学研究の始まりでしたが、今では量子力学がその役割を担っています。そこには「もの」や「物質」が説明される対象ではあっても、それらを使って化学現象が説明されるようにはなっていません。「もの」も「物質」も物理学の「因果性」と並んで「常識概念(folk concept)」なのです。化学はそれら概念を前提にはしていません。でも、20世紀に生み出された量子化学が何を説明するのかと尋ねられれば、それは物質の構造や特性だと答えるのが普通です。

 生物学の物語となれば、「生命(life)」という常識概念が必ず登場します。今は誰も信じていない「生気論(vitalism)」は、「生命」は他のどのようなものにも還元できない基本原理であると主張しました。20世紀には「生気論」は生物学では否定され、現在もそれが正しいということになっています。でも、私たちの多くは生命概念が日常生活で極めて需要な概念であると身をもって感じ、信じています。医療の現場、事故や戦争の現場では生命の維持がいつも問題になります。そして、日常生活では生気論が正しいかのように振る舞うことが「倫理的に善い」ことだと信じられています。

 物理学、化学、そして生物学の物語に登場する主役たちはいずれも正体不明で、謎に満ちたものです。それらは私たちの知識を生み出し、好奇心を掻き立てるもので、永遠の謎、憧れとなってきました。知識はそれら謎の原理を主役とする物語の中で生まれ、追求され、物語によって脚色され、物語によって修正、変更され、その過程そのものがまた物語になっています。物語の筋は因果的な過程の青写真です。主人公と主な登場者がどのように因果変化をするかの叙述、記述が様々な物語になっているのです。

 

(3)

 信念(belief)、そして知識、さらには感情や欲求の内容は派生的に因果的で、そこには魂や命が溢れ、それゆえ、物語の典型になっています。論理や言語は論理的、文法的な規則をもっていますが、それは表現レベルの話であり、論理や言語を使って表現される内容は因果的、歴史的、物質的、生命的なもので、やはり物語的になっています。情報内容は物語的で、物語的でない情報は暗号化された情報のようなものになっています。

 科学理論とその解釈、さらには物語や文脈の違いといった話は屁理屈に聞こえるかも知れませんが、そうではありません。私たちは集団で一緒に日常生活を続け、そこでは多くのものを共有しています。その一つが「常識(common sense)」概念です。「運動」、「因果性」、「物質」、「生命」、そして「心」は常識概念の主たるものです。これら概念によって考えられ、語られてきた世界の変化をより正確にわかろうとして科学理論が生まれ、その理論による説明が実行されてきました。そこで、その一例を眺めてみましょう。

 私たちの常識的な物語の中では集団についての物語は19世紀までは希薄でした。その理由は私的な経験が知覚的であり、確率・統計的な経験ではないからでしょう。日常の経験とその解釈とを確率・統計的な概念に和解させることは簡単そうに見えますが、未だに十分とは言えません。様相概念(例えば、必然、偶然)を確率論によって解釈すること、気体粒子の変化についての確率論的、統計学的な記述は成功例なのですが、その成功の意味は思った以上に複雑です。「確率(probability)」とは何かがわかっていれば、その成功は自明な確率概念を使っての話ということになり、何ら問題はありません。でも、その「確率」概念が一筋縄ではいかないのです。確率概念が多様で、文脈的なために、整合的で無矛盾な解釈になっていても、完全でも十分でもないという結果になってしまいます。その端的な例が次のものです。

 ある集団の人が病気になる確率が30%だということがわかっても、その集団の各メンバーについて何を述べているかよくわからず、私たちはいつももどかしい思いをします。私たちの常識は確定的な知識や信念からなっていて、そのため統計的なデータに対してどのように対処したらよいか戸惑ってしまうのです。と言うのも、私たちの常識の中には確率や統計が入っていなかったからなのです。

 日常生活の経験は知覚経験が主になっています。その知覚経験の内容は、ものと動きの知覚とその意識、そしてそれらの言語表現からなっています。動き、形、色、音と言った知覚経験に思考、感情、欲求が加わっています。「何を経験しているか」という経験の志向的内容についての問いへの答えは主に科学理論です。物理学の理論の特徴はレベルや集団に関する文脈性にあります。古典力学相対性理論量子力学がそれぞれの文脈(それぞれ中間レベル、マクロレベル、ミクロレベル)で成り立ち、横断的に統計力学が多粒子の文脈で成り立っています。

 多世界(many worlds)、可能世界(possible worlds)は、一つの世界では解釈できない場合に多くの世界を文脈として持ち出して、説明しようとする試みです。でも、私的な私の世界では、互いに矛盾する理論(例えば、相対性理論量子力学)を信じることになり、自分が棲む世界は一つだと思いながら、それが誤りで無数にあるのだと言い聞かせるようなことになっています。

 未知の事柄を問題に仕立て、それを解決するのが現場の仕事であり、それは科学も人生も同じことです。現場とは文脈の定まった、未知の問題が仕立て上げられる場であり、未知の事柄がスポットライトを与えられている場です。問題を立てることから、それを解くまでの因果的な経緯が発見の道筋で、それだけで発見物語をつくることができます。解けたかどうかは因果的にではなく、前提から帰結に至る論理的な経緯から判定されます。

クコ(枸杞)の実

 クコは日本を含む東アジア原産のナス科の落葉低木。クコは荒れ地や海岸の砂地のパイオニア植物で、高さ1~1.5mの落葉または半常緑低木。夏から秋にかけて薄紫色の花が咲き、秋に赤い果実をつける(残念ながら、ナスの花に似た、小さな薄紫色の花は見ることができなかった)。果実は液果で、秋に結実し、長径1~2.5 cmほどの楕円形で、橙紅色に熟す。クコの実は熟しても、自然に落ちることが少なく、長い間、木の上に残る(翌年の花期に熟すため、花と実が一緒にできるように見える)。

 葉は長さ2~4センチで、短い柄に数枚が集まって生じる。質感は柔らかで両面ともに毛は生じない。主だった幹はなく、細い幹が株元から多数生じる。枝は灰白色で縦に筋が通り、弓なりになって垂れ下がる。

 クコは漢方の要薬として知られ、三世紀の中国最古の医学書『神農本草経』に登場する有用な薬用植物。葉は「枸杞葉」、実は「枸杞子」、根の皮は「地骨皮(ちこっぴ)」と呼ばれ、滋養強壮や消炎、利尿、高血圧に利用されてきた。また、実は薬用酒や枸杞飯などの薬膳料理に利用されている。

 

ストックの花たち

 今花壇に登場し出したのがパンジーとストック。二つが一緒に植えられている場合がほとんどである。ストックの花色は紫、ピンク、白、ブルー、クリームと色々で、花には甘い香りがある。

 ストックの仲間は南ヨーロッパ北アフリカ西アジアに約50種が分布するアブラナ科アラセイトウ属の植物。ストックは秋から春にかけて花を咲かせ、花壇や鉢物に広く利用されている。原種の花は小さく紫色の一重咲きで、南ヨーロッパから北アフリカに広く自生している。古代ギリシャやローマでは薬草として扱われていた。16世紀の書物には既に八重咲きが記録され、16世紀末にはイギリスで広く栽培されていた。

 日本には江戸時代初期に渡来し、大正時代末期には千葉県安房地域で、日本最初の切り花生産が開始された。和名は紫羅欄花(アラセイトウ)という奇妙な名前。葉が厚くて毛に覆われていて、ラセイタという布(ポルトガル語で羅紗に似た地の厚い毛織物)に似ていることから転訛したようである。

 

小春日和の中の昆虫

 ツマグロヒョウモンは暖かい地域を好むチョウですが、温暖化のためか、11月に入っても見ることができます。湾岸地域だけでなく、あちこちでツマグロヒョウモンが生息域を拡大しているようです。今日のように暖かい日はアクティブです。オスの翅の表側はヒョウモンチョウ類に典型的な豹柄ですが、メスの翅は前翅表面の先半分が紫黒色で、その中に大きな白紋があり、メスの飛んでいる姿はなかなか見応えがあります

 緑色の迷彩模様のステルス戦闘機によく似たウンモンスズメ(雲紋雀)の幼虫は、同じ緑色のイモムシ。ウンモンスズメは卵のときから美しい緑色で、ケヤキなどの葉を食べ、蛹で土の中で越冬します。6月から10月が幼虫の季節なのですが、画像はたまたま遭遇した(遅咲きの?)幼虫です。

*最初はメスの画像、次は恐らくオスの画像、最後の画像はウンモンスズメの幼虫

 

赤い実:ヤマボウシ (山法師)

 湾岸地域にはハナミズキヤマボウシがとても多い。共にミズキ科ヤマボウシ属の落葉高木で、よく似た花をつけるが、花期はハナミズキの方が1か月ほど早い。ヤマボウシは日本原産で、「山法師」という名はその特徴のある花を「山伏」の頭巾に見立てたもの。一方、「ハナミズキ」は北アメリカ原産で、1912年にアメリカに贈ったソメイヨシノの返礼として日本に贈られた。

 両種はよく似た大きな花序をもっている。4枚の大きな花びらのように見えるのは総苞片で、その中心に本来の「花」が集まっている。ハナミズキの花はまだ新葉が出る前から咲き始める。ヤマボウシハナミズキよりも遅く、葉が出た後に上向きに花がつく(画像)。

 さて、果実にも大きな違いがある。ハナミズキの果実は「単果型」、ヤマボウシの果実は「複合果型」で、食べることができる。二つの違いは画像で確認してほしい。果実は種子を、つまり、子孫を残すためのしくみ。果実のタイプの違いは植物の「生き残り戦略」の違いを表している。ヤマボウシ属の植物はハナミズキのように単果型だった。種子散布の戦略を「鳥」に託し、鳥に食べられることによって種子を散布していたのだ。だが、東アジアではサルに食べられる方がより有利に進化でき、そのため複合果に変わったらしい。

ヤマボウシ

ハナミズキ

ハナミズキ

ヤマボウシ

ヤマボウシ