滅びの美学:『平家物語』と限界集落

 世界規模での地球温暖化格差社会、人口増大や貧困、日本での少子高齢化といった問題に直面し、自然や社会の持続可能な存続を模索するという試みや話が最近は滅法多くなっている。私自身、そんな話をよく聞き、自分で考えもする。絶滅、消滅をどのように免れ、未来の幸福な生活を確実なものにするかという課題の設定は健全で文句のつけようがないのだが、眩しすぎて、天邪鬼には向かない面があるのかも知れない。
 確かに、滅びを防ぐ手立てを考える人ばかりではなく、滅ぶことに美しさを感じ、そこに人の生きる意味を見出す人が少なからずいる。人とは不可思議なものだが、日本人の中にはそのような人に共感する人が相当数いて、彼らはその共感内容にレッテルを貼り、「滅びの美学」などと呼んで、それを日本人独特の感性だと捉える。滅びの美学の平成版となれば、その代表の一つは故郷が限界集落として朽ちていくことへの美的共感だろう。
 どうしてそんな田舎の限界集落で幸せに暮らせるのか。増える廃屋、荒れる農地、都会から帰ってこない子どもたち、老いゆく住人。このまま朽ちて、滅びるしかない集落社会。そんな希望が零のところに、どうして幸せを実現できるのか。実際にそこに暮らしてみると、馴れ合いではない人間関係、精神的に自立した生活、狭い畑を耕し収穫を喜ぶ心、そういったことが集落の人たちの幸せの要素になっていることがわかってくる。「村おこし」を諦めても、滅び行く集落で静かに淡々と暮らしている。集落で一緒に暮らしていると、人が一人亡くなるのと同じように、一つの集落がなくなることはとても自然なことだと思い、それを素直に受け入れるようになる。こんな感慨を何度か耳にした。

 これは「滅びの美学」そのもの。滅びることを受け入れることが、日々の暮らしに意味を与え、集落の存続にあくせくしないどころか、滅びることに美しさを感じてしまう。だが、集落を外から眺め、その佇まいに美しさを感じるだけでなく、集落に住む人も同じ美学を共有するとなると、昨今よく耳にする「地域のこし協力隊」の活動にとっては好ましくない美学ということになる。だから、健全な行政にとって滅びの美学は「百害あって一利なし」、悪しき美学ということになる。
 持続可能性にブレーキをかけるような「滅びの美学」の過去の代表となれば、『平家物語』がその筆頭。そのあらすじを辿ってみよう。保元・平治の乱を制した平清盛は官位を上りつめ、太政大臣となる。これを快く思わぬ後白河法皇側近の俊寛らが鹿ケ谷で平家打倒の陰謀を企てるも、それが発覚。俊寛は鬼界ヶ島(薩摩国)へ流される。後白河法皇の第二皇子以仁王も挙兵するが、宇治の平等院の激戦で討ち死。清盛が福原に遷都した頃、伊豆に流されていた源頼朝が兵を挙げ、富士川の戦いに臨む。7万余騎の平家軍は水鳥の立つ羽音を敵襲と聞き違え、一矢も射ずに退散し、源氏軍は楽勝。翌年、木曽義仲信濃で反乱を起こし、清盛は熱病で死去。後白河法皇と結んだ「朝日将軍」義仲が京へ迫ると、平家一門は脱出し、安徳天皇を奉じて四国へ落ちる。法皇に裏切られ京を出た義仲は、頼朝の命を受けた源の範頼・義経の軍勢によって宇治川、瀬田で惨敗。このころ平家は大軍を一ノ谷に結集するが、義経は山中を迂回して背後の鵯越(ひよどりごえ)から奇襲し、平家は船で逃走。平敦盛は「敵に背を見せるは卑怯でござろう」と熊谷直実に呼びとめられて引き返し、対戦する。直実は敦盛を目にして、深手を負っていた息子直家を思いつつ、泣く泣くその首をはねる。義経は四国の屋島を急襲し、平知盛率いる平家軍は長門へ逃れる。一か月後、壇ノ浦の平家に義経軍が襲いかかり、武運尽きた知盛は、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と碇をかついで入水。清盛の妻、二位尼も孫にあたる安徳天皇を抱いて入水。天皇の母、建礼門院徳子も入水、救助され、出家し大原奥の寂光院に移り住む。義経は頼朝に憎まれ、奥州平泉へ下るが、やがて討伐される。 

 滅びゆく者の悲しくも美しい叙述によって『平家物語』は「滅びの文学」と呼ばれているが、美学や文学が滅びに強く感応するのに対し、科学は興りや持続に関心をもつ傾向が強い。科学の関心が理性的であり、その結果、持続可能なことの条件やモデルを追求するのだろうか。一方、美学や文学の関心は滅ぶことのもつ美しさやその叙述にあるが、美学や文学の関心が感性的であるためなのか。死の美しさ、憧れも滅びの美学の一つ。死は恐怖であると同時に美しいものでもある。死の科学は生の科学に比べると実に貧弱だが、死の文学や美学は根強い人気をもってきた。そして、その文学や美学を支えてきたのが仏教の無常観だった。持続可能性と無常観は相容れない割には共存しているのが日本社会の不思議なところでもある。
 新しいものが発明され、活用されることへの私たちの態度と、役目を終えて消えゆくものへの態度との間には大きな違いがある。何かが興り、それが持続的に影響をもつことへの感慨はそれへの期待より小さく、それが滅び、消え去ることへの感慨はそれへの期待より大きい。それが滅びの美学の根拠になってきた。むろん、この根拠への例外は多く、戦争、貧困、差別、病気などが滅びることへの期待は大きい。これは理性的で、合理的態度そのもの。滅びの美学はこれとは微妙に異なり、感性的で、非合理な態度。善悪とは違う次元での哀悼、悲嘆への共感であり、人に共存する二つの態度と言ってよいだろう。理系と文系の区別などとは違う、人がもつ二つの能力で、滅びの仕組みやカラクリの解明への好奇心と、それへの感情移入の違いと言っていいのではないか。