郷土の力士たち

 かつて力士は郷土の誉れ、誇りであり、子供たちの憧れでした。私も子供の頃はよく相撲に興じました。栃若から始まり、多くのヒーローが私の記憶の中を駆け抜けて行きました。そんな私の心の中に強い印象を残した郷土の力士は三人。まずは羽黒山。彼は1914年生まれ、出身は西蒲原郡松永村(現新潟市西蒲区)、身長179㎝、体重130㎏、第36代横綱です。最初から出身地に因んだ「羽黒山」の四股名で、1934年に初土俵を踏みます。それ以降、双葉山の胸を借りながら力をつけ、初土俵から所要7場所という速さで、1937年5月場所に新入幕を果たします。1941年5月場所で初の幕内最高優勝を果たし、横綱に昇進しました。残念ながら私の記憶の中に羽黒山が取り組んでいる姿はありません。では、なぜ彼が私の記憶に強く残るかというと、祖父が大ファンでいつも羽黒山のことを話していたからです。祖父の羽黒山への想いが、共に相撲中継に熱中した私に以心伝心で残ったのだと思います。

 妙高出身の力士といえば霜鳥霜鳥典雄(四股名=本名)は1978年生まれ。旧新井市出身で、188㎝、142㎏の堂々とした体格の力士でした。高田農業から東京農大に進学、相撲部で活躍し、時津風部屋に入門しました。2001年5月場所に新十両、2002年3月場所に新入幕。同年の7月場所では、初挑戦で横綱武蔵丸を破っています。2011年の八百長事件では、それに関与したことを認め、引退勧告処分を受けました。4月5日、引退届を提出し受理され、現在は福岡で養鶏業を手伝っているとのこと。残念ながら、霜鳥は私の心に残る三人ではなく、それに次ぐ四人目の力士。

 二人目の黒姫山秀男(本名田中秀男)は1948年生まれの団塊世代です。西頸城の青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋所属。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名は出身地旧青海町黒姫山に由来します。金星が6個。私と1歳違いなので、同じ団塊世代として応援していました。寡黙で力持ち、押しと突きに徹していました。

 三人目は初代の豊山。本名は内田勝男。最高位は東大関。現役時代の体格は189cm、137kg。母子家庭に育ち、苦学しながら東京農大に進学し、相撲部に入部。相撲の経験は無かったのですが、4年生で学生横綱となり、時津風部屋に入門。1962年1月場所に新入幕を果たし、この場所では12勝を挙げ、これが初土俵から初の幕内2ケタ勝利を果たすまでの最速記録(当時)となりました。1963年3月場所には大学卒の力士として初めて大関に昇進したのです。