異教徒にとってのキリスト教の基本的な教義

 神は同じ本質をもつ異なる三つの位格をもつ。それらは、父なる神と子なる神(キリスト)と聖霊なる神である(三位一体)。キリスト教は、正教会東方諸教会カトリック教会、聖公会プロテスタント諸派の主要教派の全てが、この教義を共有している。アダムとイヴの堕罪以降、子孫である全ての人間は生まれながらにして罪をもっている(原罪)が、(神にして人である)イエス・キリストの死はこれを贖い、イエスをキリストと信じるものは罪の赦しを得て、永遠の生命に入るという信仰がキリスト教である。
 キリスト教の正統教義を簡潔に述べているのが「信条(信経)」。ニカイア・コンスタンティノポリス信条(381年に成立)と、それとほぼ同じ内容を簡略化した使徒信条がある。教会内の異端を否定するための信条は、現在も洗礼式や礼拝で信仰告白のために用いられている。ニカイア・コンスタンティノポリス信条によるキリスト教の基本教義を以下のようである。

神は三位一体である。
天地の創造主は父である。
子なる神イエス・キリストは、万物に先立って生まれた父の独り子であり、したがって被造物ではない。子は父とともに天地を創造した。
キリストの聖母マリアからの処女生誕。地上のキリストは人類を救うため肉体をもつ人間である。
キリストは罪人として十字架上で刑死したが、三日目に復活し、昇天し、栄光の座である父の右に座している。
キリストは再臨し、死者と生者すべてを審判し、その後永遠に支配する。
聖霊も神(=位格をもった存在)である。聖霊はイエスの地上での誕生に関係し、また旧約時代には預言者を通じてその意思を伝えた。聖霊もまた被造物ではない。
教会の信仰。新約聖書によれば、教会はイエスの意思によって建てられた地上におけるイエスの身体の象徴であり、聖霊がその基盤を与えたもの。そのような理想的教会は、時間と空間を超えた統一的な存在であり(一性)、神によって聖とされ(聖性)、万人が参加することができ(普遍性)、イエスの直弟子である使徒たちにつらなるものである(使徒性ないし使徒継承性)。そして、それを実現することが信者の務めである。キリスト教信仰は、他者との歴史的また同時代的共同(交わり)の中にのみ成り立つもので、孤立した個人によって担われるものではない。
父と子と聖霊の御名による洗礼。「父と子と聖霊」の名において教会においてなされる洗礼は、時代や場所や執行者に左右されず、洗礼を受けるものが犯した罪を赦すとされる。洗礼を受けることは信者となって教会に入ることであり、またキリストの死による贖いを信じ、認めることでもある。
死者の復活と来世の生命。キリストの再臨において、すべての死者は審判を受けるべく復活させられる。信じるものには来世の生命が与えられる。伝統的にキリスト教では、この来世を、永遠、つまり時間的な持続をもたない永遠的現在と捉える。

 さらに、キリストの死(ないし犠牲)を記憶することも信者の重要な義務。これは礼拝でパンとぶどう酒を用いて行われている。プロテスタント以前に成立した教会では、パンとぶどう酒が祈りによりキリストの体(聖体)と血に変わると信じられている。カトリックでいうミサ、正教会でいう聖体礼儀はこの記憶を経験するための礼拝だった。聖体の概念を否定するプロテスタントでも、類似の儀式(聖餐)を行っている。復活祭は、この聖餐をキリストが復活したと信じられる日に行うものである。
 教義は教派ごとに若干異なる。ローマ・カトリック聖公会プロテスタントなどの西方教会は、聖霊を「父と子の両者から発し」とするが、東方は「父から」のみ発するとする。また、プロテスタントローマ・カトリック他の伝統的教会では教会についての教義に差があり、使徒の精神を共有することをもって使徒性と解するプロテスタントに対し、カトリック他では聖職者が先任者から任命されることに神聖な意義を認め、その系譜が使徒にまでさかのぼること(使徒継承性)を教会の正統性の上で重視している。
 キリスト教の「異端」は、信条に外れた教理を持つ人やグループに対して使われている。異端には「神概念を多神論的に解釈する」、「キリストの人性のみか、あるいは神性のみしか認めない」、「キリストの十字架(贖罪)と復活を認めない」、「聖霊を人格的存在(厳密には「人」ではないので、位格的存在)ではなく神の活動力とする」、「キリストを被造物とする」などといった考えがある。
 ゴシック建築キリスト教のシンボルとして、垂直に伸び、天を希求する三角錐の屋根は、「神への信仰」を表し、完全なシンメトリーは「神の完全性」を示している。明確な階層は「神・キリスト・天使・人間」と連なるヒエラルキーを、その荘重な外観、細部の装飾は「神の威厳」をそれぞれ表現している。
 キリスト教の根幹をなす「聖書」とは、一体どういう物語として要約できるのか。アダムとイヴが神との約束を破ったことにより、元々不死だった人間が死ぬことになった。それが原罪で、「死=罰」であり、その罪を贖うために、神の子であるキリストが地に使わされた。つまり、アダムとイヴの血を受け継ぐ(=原罪を受け継ぐ)人間は「不完全」であり、唯一キリストへの信仰を通じて「天国」という「完全性」へ復帰できる、とキリスト教は説く。

 キリスト教は「自然の摂理である死を超克する宗教」である。