限界集落と『平家物語』:滅びの美学

 地球温暖化や世界規模での格差増大、人口増加や貧困といった問題に直面し、自然や社会の持続可能な存続を模索するという試みや話が最近は滅法多い。絶滅をどのように免れ、未来の幸福な生活を確実にするかという課題の設定は健全で文句のつけようがないのだが、眩し過ぎてす、天邪鬼には向かない面もある。
 人とは不可思議なものだが、そのような天邪鬼の人に共感する人が相当数いて、彼らはその共感内容にレッテルを貼り、「滅びの美学」などと呼んで、それを日本人独特の感性だと捉えてきた。滅びの美学の21世紀版となれば、その代表は故郷が限界集落として朽ち果てていくことへの美的共感ではないか。
 どうしてそんな限界集落で幸せに暮らせるのか。増える廃屋、荒れる農地、都会から帰ってこない子どもたち、老いゆく住人。このまま朽ちて、滅びるしかない集落。人々は「村おこし」を諦め、滅び行く集落で静かに淡々と暮らす。これは「滅びの美学」そのもの。滅びを受け入れることが、日々の暮らしに意味を与え、滅びることに美しささえ感じてしまう。だが、その美学は昨今よく耳にする「地域のこし協力隊」の活動にとっては好ましくなく、健全な行政にとって滅びの美学は「百害あって一利なし」。
 持続可能性に逆らう「滅びの美学」の過去の代表となれば、諸行無常を描く『平家物語』。保元・平治の乱を制した平清盛は官位を上りつめ、太政大臣となる。後白河法皇側近の俊寛らが鹿ケ谷で平家打倒の陰謀を企てるも、それが発覚、俊寛は鬼界ヶ島(薩摩国)へ流される。清盛が福原に遷都した頃、伊豆に流されていた源頼朝が兵を挙げ、富士川の戦いに臨む。7万余騎の平家軍は水鳥の立つ羽音を敵襲と聞き違え、一矢も射ずに退散し、源氏軍は楽勝。後白河法皇と結んだ「朝日将軍」義仲が京へ迫ると、平家一門は脱出し、安徳天皇を奉じて四国へ落ちる。平家は大軍を一ノ谷に結集するが、義経は山中を迂回して背後の鵯越(ひよどりごえ)から奇襲し、平家は船で逃走。義経は四国の屋島を急襲し、平知盛率いる平家軍は長門へ逃れる。一か月後、壇ノ浦の平家に義経軍が襲いかかり、武運尽きた知盛、清盛の妻の二位尼も孫にあたる安徳天皇を抱いて入水。義経は頼朝に憎まれ、奥州平泉へ下るが、やがて討伐される。

 滅びゆく者の悲しくも美しい叙述によって『平家物語』は「滅びの文学」と呼ばれているが、美学や文学が滅びに強く感応するのに対し、科学は興りや持続に関心をもつ。科学の関心が理性的であり、その結果、持続可能なことの条件やモデルを追求するのだろうか。一方、美学や文学、そして宗教の関心は滅ぶことのもつ美しさや意義にあるが、美学や文学の関心が感性的であるためなのか。死は恐怖であると同時に美しいもの。死の科学は生の科学に比べると貧弱だが、死の文学や美学、そして仏教は人々を惹きつけてきた。
 新しいものが活用されることへの私たちの態度と、役目を終えて消えゆくものへの態度との間には大きな違いがある。何かが興り、それが持続的に影響をもつことへの感慨はそれへの期待より小さく、それが滅び、消え去ることへの感慨はそれへの期待より大きい。それが滅びの美学の根拠になってきた。むろん、戦争、貧困、差別、病気などが滅びることへの期待は大きい。これは理性的で、合理的態度そのもの。滅びの美学はこれとは異なり、善悪とは違う次元での哀悼、悲嘆への美的共感である。