かつて言語は一つだったのか:バベルの塔の物語と自然言語の発生メカニズム

「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」 – 『創世記』11章1-9節

 

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(Joos de Momper II/Frans Francken II: La tour de Babel, Royal Museums of Fine Arts of Belgium)

 『創世記』によれば、大洪水を生き延びたノアの子孫たちは別々の土地、国に住みながらも、みな同じ一つの言語を使っていた。ある時、彼らは人々がいつまでも一つの地にいられるように、居住区を東方のシナルに移し、天まで届くような巨大な塔を建て始めた。だが、それを知った神は言葉をいくつにも分け、人々を世界中に散り散りにしてしまった。そのため、塔も町も未完成のまま放棄され、町は「バベル」と呼ばれるようになった。この荒唐無稽な話が真実かどうかなど既に誰も問わない。
 だが、かつて人類の言語は本当に一つだったのかも知れない。近年の研究によって、異種間同士でもサルの言葉が通じていることがわかった。イギリス王立協会の論文によるとキャンベルモンキーは「Krak」、「Hok」、「Wak」などの多種類の危険や障害を報せる言葉をもっているが、その音声を近くに棲む他種のサルに聞かせたところ、サルたちは言葉を聞き分け、それぞれの言葉に対応した危険回避の行動を示した、とのこと。ヒトとサルは、進化の途上で分岐し、異なる道を歩んだ親戚のような存在。サルが同じ言葉をもっているなら、人もかつて同じ言葉をもっていたと考えても不自然ではない。そうならば、バベルの塔の伝説は本当だったのかも知れない。
 だが、『創世記』に従うなら、サルは人の親戚ではない。『創世記』では人は他の動物と違い、神に似せてつくられた。これが創造論(creationism)と呼ばれるもので、今日の科学的な見解、つまり、ヒトとサルは進化の途中で分岐したという進化論(=進化生物学)とは対立する。創造論を基盤にした物語を進化論を用いて強化、確証する、というのはとんでもない話で、ナンセンスの極み。創造論によってサルの共通言語の説明をすることはできないので、進化論的に彼らの行動を解釈する必要がある。
 進化論的に考えた一例を挙げてみよう。近年「世界のすべての言語は石器時代のアフリカ言語に由来する」という研究結果が発表され、世界を驚かせている。発表したのはオークランド大学のクエンティン・アトキンソンで、彼は世界の504の言語を分析し、世界の言語はアフリカから離れれば離れるほど、音素(言語を構成する最小単位の音)の数が減っていくということを発見した。これが強力な証拠となり、世界のすべての言語はアフリカ言語に起源をもつという説が現在多くの研究者たちに支持されている。
 56もの国から構成され、全世界人口の7分の1を有するアフリカで使用されている言語の数は確認されているだけでも2000以上ある。これに対して、全人口の8分の1が集まるヨーロッパには約300の言語しか存在しない。なぜアフリカではヨーロッパの6倍以上もの言語が話されているのか。
 ヒトの身体は多数の細胞からできており、その各細胞に染色体と遺伝子が存在する。遺伝子はDNAからなり、その個体の全ての細胞は同一の遺伝子をもっている。クローンでない限り同じDNAを持つ個体は存在せず、地球上のヒト全てが異なるDNAを持っている。たくさんの個体や集団の遺伝子を調べたときに、遺伝子の種類が豊富であれば、その遺伝子の多様性が高くなる。この遺伝的な違いが「遺伝的多様性」と呼ばれていて、アフリカの言語の数に大きく関係しているのではないかと推測される。アフリカとアフリカ以外の地域の遺伝的多様性を比較する研究が多く行われてきたが、全ての研究でアフリカの方が遺伝的多様性が顕著であるという結果が出ている。
 自然人類学にはヒトはアフリカで誕生したとするアフリカ単一起源説がある。アフリカ単一起源説とアフリカの遺伝的多様性をドッキングすると、ヒトが誕生してから現在までアフリカでは言語や文化の多様性が維持されており、アフリカの言語の多様性と遺伝的多様性の間には何らかの関係があると推測できるのではないだろうか。

 こうして、次の二つの事柄が極めて重要であることがわかる。
(1)ヒトの個体群の存続には他の群と異なる言葉をもつ方が種内では有利。「性選択」は種内では有利だが、他の種との生存闘争には不利なものが多い。それと同じように、異なる言葉が複数存在することは種内での戦いには有利だが、他の種との闘争では不利になる。それゆえ、複数の互いにコミュニケーションができない言語の存在は性選択と同じような「種内」の選択であると考えることができる。これが異なる言語が共存することの進化論的な存在証明のスキームである。

(2)最初に一つの言語があったという仮説は、サルの場合に成程と思わせる程度の証拠が挙がった。複数の言語があったという仮説は上述のように進化論のモデルとして最もなものである。それゆえ、今のところ私たちにはヒトの言語が最初から複数あったのか、それとも一つだったのか確たることは言えないが、複数の言語が現在あり、相互の意思疎通が簡単ではないことが進化上のメリットをもっていた、ということを肝に銘じておくべきだろう。