不条理から条理の回復へ

 トチノキの白い花が眩しい。そのトチノキの仲間がマロニエで、パリの街路樹として有名。東京でもマロニエの紅色の花が咲いている。ところで、『嘔吐』(La Nausée)はサルトルの1938年の小説。カフカの影響を受け、絶望した研究者が事物や境遇によって彼自身の能力や精神的な自由が侵されていると確信し、吐き気をもつ様子が描かれている。存在に対する嫌悪感は「吐き気」として表され、単にそこにある存在は、嫌悪すべきもの、不条理なものだった。彼はそれを公園のマロニエの根を見ながら自覚する。

 『ペスト』(La Peste)は、カミュが書いた1947年の不条理小説で、翻訳がよく売れているらしい。やはりカフカの影響を受けている。 カフカの『変身』やサルトルの『嘔吐』は不条理が個人や個人の意識を襲ったことを描いているが、カミュの『ペスト』は不条理が人々の集団を襲ったことを描く。『ペスト』の不条理はペストの流行。カミュは、ペストを不条理が人間を襲う例と捉え、自らの故郷アルジェリアのオラン市を襲うペストを描いている。ペストは正に災害。

 カフカサルトルカミュらによれば、新型コロナウイルスは不条理の象徴であり、嘔吐すべきもの。とはいえ、不条理を描くだけでは何も解決せず、条理を回復するには知識と連帯が必要なことを今の私たちはわかっている。現場の医療従事者(保健所、病院だけでなく、関連する多くの仕事)の日常の大変な仕事のもたらす不条理と、感染症に対する対策を考える研究者や政策決定者たちの不条理とは大抵は大きく異なっている。現場の兵士と指揮官の違いと言ってもいいだろう。対策チームは検査を増やし、隔離病棟を拡大する必要があると考えるが、現場では限られた人員で検査も病棟も増やすのは医療崩壊になると考える。二つの条理がぶつかり、全体として複合的な不条理になっている。

 検査を積極的に行い、陽性者を確実に隔離することを医療崩壊を起こすことなく実現することが、出口戦略の前に準備されていなければならない。出口戦略とは第3波への準備の戦略のことでもある。不条理の状態から条理を回復するには、大胆なアイデアとそれを受容できる現場の実現の二つが必要なのである。