沈黙する数字(和夫君と和子さんのレポート)

 日曜の日テレの朝8時からの番組に大阪府知事が登場し、厚労省の文書を自らの政治判断で公表したとし、それなりの出席者が全員厚労省のデータ隠しを非難したのだ。確かに具体的に対策を打たない場合の患者数や重篤者数が文書に書いてあったが、それは提案内容を正確に表現するためのものであって、それら数字はデータではない。データや情報は推測や推定ではない。全員がデータだと早合点し、情報隠匿とでも思ったらしく、情報公開すべしとなったのだろう。文書内容は19日の専門家会議のものと同じで、それを大阪と兵庫について詳しく数字まで使って具体的に述べ、オーバーシュートを防ぐ手立てを親切に提案したもので、専門家会議の分析・提言と何ら変わらない。どうも親切が仇となったようだ。この内容が月曜日の各局のワイドショーにも登場。誰も平時には科学者の机上のモデルによる予測値など相手にしないし、地球温暖化地震の様々な予測値に私たちは真剣に向き合っているとは到底思えない。「30年後に地球全体の温度はおよそ2度上昇する」、「今後30年の間に地震が起こる確率は30%と高い」と言われて、私たちはどのように反応するだろうか。よくわからず、戸惑うだけで、突き詰めて考えることはまずない。これと同じような数字がクラスター対策班の試算の数字なのである。果たして、ワイドショーの出演者でそれを認識していた人がどれだけいたのだろうか。同日の東京都知事の発表は数的表現ではなく、通常の形容詞を使ったもので、それなりに事態の重大さを訴えていた。

 二人の知事の発言を聞きながら、和夫君と和子さんが気づいたのは数字の魔術である。数量化することが最初の「見える化」であり、それがガレリオの自然の数学化の具体的な姿の一つだった。幾つかの例文で数字を使った表現を見直してみよう。

 

例文(1)

・今後30年の間に地震が起こる確率は70%である。

・このレースでディープインパクトが勝つ確率は90%である。

この例文の狙いは確率値と確定値の違いを示すものだと誰もがわかるのだが、「確率値」が何を表現しているか、つまり確率の解釈については今でも複数あり、確定していない。通常は頻度で解釈され、「公平なサイコロの3の目の出る確率が1/6である」は、何度もサイコロを投げると、1/6の割合で3の目が出ることである。だが、例文のどちらもこの解釈は成り立たない。では、私たちの信念の度合いなのだろうか。信念の度合いとなれば一人一人違った値をもつかも知れない。解釈が定まらないと、例文が何を主張しているかわからないことになる。つまり、数的表現による「見える化」はうまくいかないのである。それでも、数的に表現するとわかった気になってしまう。それこそ数字の魔術なのである。

 

例文(2)

・日本の人口の推移を出生率から推測できる。

新型コロナウイルスの流行を予測する。

モデルやシミュレーションでの値と実際の測定値との違いを私たちはどのように認識しているのか。「机上の計算」に対する信頼は文脈に応じてまるで異なり、信頼度を測る物差しなどないと大抵の人は考えるのではないか。情報やデータと予測や信念の違いは状況に応じて違った風に考えられ、人の思惑が様々に入り込んでくる。そうなると数値は客観的どころか、とても恣意的に利用されることになる。つまり、推測や予測の数値は「見える化」のためよりはレトリックとして政治的に利用されることになる。

 

 「いつ流行のピークが来るかわからない」と「モデルの中での試算」は両立しているのだが、「いつ流行のピークが来るかわからない」と「理論的な試算」は両立しない。というのも、理論は正しく、計算も誤っていないなら、その結果は確定的で、ピークがいつかわかるからである。この確定的な場合の数値は「見える化」に成功しているのだが、モデルの中の計算の値はあくまで推定の値であり、失敗かも知れないのである。

 このようなことから言えるのは、モデル内の数値は地震の予測と同じか、それ以上にファジーな値であり、それを合理的に解釈することは確率値の解釈以上に厄介なのである。頻度でも信念の度合いでもない値で、「目安」のような値なのである。これを正確に表現するのは至難の技である。大阪府知事が公表した次の数値は「見える化」に成功した数値ではなく、「このままだと患者数が急激に増え、重篤者数の大幅な伸びが病床数を上回る恐れがある」ことと似たような意味しか持たないのである。だから、和夫君と和子さんは、この数値をどのように読むのかさえわかららず、知事が何も説明しておらず、中途半端この上ないと感じたのである。感染者と患者の違い、「20-27日まで」が何を指すのか、二人にはよくわからなかったのだ。

19日まで    患者78(重篤5)

20-27日まで  患者586(重篤39)

28-3日まで   患者3374(重篤227) 

 数字がいつも「見える」化の道具ではなく、時に数字の魔術は恐ろしく、数字を使って人を誑かすことがこれまで何度も行われてきた。確率値として、あるいはモデルの中に登場する数値はその代表例であり、私たち自身がその数値の意味をはっきり知っていないのである。

 WHOのデータ(感染者数、死亡者数など)を正しいとみなして、私たちは考えたり、議論したりする。しかし、データをもとにモデルやシミュレーションを通じて数値で予測する、推測することはオッズをもとにどの馬券を買うかに似ている。データの評価と数値予測の評価は違うことを明確にわかった上での政治判断がどのようになるのか、実際私たちはよく知らないのである。だから、大阪府知事東京都知事の表現の違いとなり、いずれの表現が適切かについても意見が分かれることになる。