和夫君の新型コロナウイルス感染症

 3月17日に「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き・第1版」が、19日に「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」が出されたとニュースで聞いた和夫君は休校の退屈まぎれに厚労省のホームページで探してみた。中学2年の和夫君にはその手引きが医療従事者用のマニュアルで、細かく詳しいが、しっかり読めば勤勉な中学生でも理解できそうだと気づいた。だが、どうも退屈で、自分向きではないと諦め、仕方なくもう一方の方を読み始めてみた。ところが、こちらは常識的な概念が多いわりに、学校で習っていない事柄ばかりで、そのためか、そのわかりにくさに逆に好奇心をもってしまったのだ。そのことが彼に個別の医療と公衆衛生の違いをしっかり体験させることになり、部屋に閉じこもりがちだった和夫君はそれまで知らなかった世界を垣間見たのだ。

 和夫君が関心をもった分析・提言の主な内容は、日本国内の感染状況について、引き続き持ちこたえているが、一部の地域では感染拡大が見られ、今後感染源の分からない患者数が継続的に増加すると、爆発的な感染拡大を伴う大規模流行につながりかねないと懸念を表明し、感染拡大防止の効果を最大限にするため、これまでの方針を続けていく必要があり、「クラスター(集団)の早期発見・早期対応」、「患者の早期診断・重症者への集中治療の充実と医療提供体制の確保」、「市民の行動変容」という三本柱の基本戦略を維持し、必要に応じて強化すべきと主張している。むろん、和夫君はこんな要約には無関心で、彼のもった興味は感染伝播の時空的な変化現象だった。

 和夫君は毎日放送される新型コロナウイルスに関する感染者数の増加とその対策について耳に入ってくる事柄を考えながら、つまるところ今の自分たちにできることは二つしかないと思った。一つは現状への対応、もう一つは治療手段の開発で、前者は現場での戦術が、後者は研究の戦略が求められ、そこには政治や経済の政策と科学の知識の葛藤があることを自分なりに見つけたのだった。そして、現状への日本の対応を彼なりに理解したのだが、それは実に単純明解なアイデアだった。

 和夫君が面白いと思ったのは、感染した人が別の人にうつすのは、集団内で人が人を生む、細胞が分裂する、ウイルスが増殖するのと同じことなのだということだった。これはこれまで「基本再生産数(basic reproduction number)」と呼ばれてきた。これは R0(アールノート)という記号で表現され、ウイルスや細菌などに感受性をもつ集団内で感染が発生したとき、一人の感染者が自分が感染して相手にうつす可能性がある期間に再生産する二次感染者の期待数である。これは人口学でいえば「純再生産率」のことで、私たちが「出生率」と呼ぶものの一つである。純再生産率は、女性が生涯に生む期待数だから、ちょうど女性が一人だけ産むときには人口は単純再生産であって、一人より多く産めば拡大再生産となる。それと同じで、「R0は感染者が平均して何人にうつすか」ということである。和夫君がワクワクしたのは人口の話と感染の話が実は同じ仕組みをもったもので、人口の増減と同じように感染症患者の人口動態を考えることができることだった。それに気づいた和夫君の好奇心はさらに強まるのだった。

 初期の感染者が、二次感染、三次感染等々、を世代的に次々と再生産していくプロセスを考えると、この R0 というのは世代を通じて見た感染者のサイズの公比に相当していて、等比級数的に個体数が変化するのだ。ネズミが短期間の間に世代交代を繰り返し、その数を増やすことがこれまでも例としてよく使われてきて、「ネズミ算」という名前まである。だから、感染人口の各世代のサイズは R0 倍して子孫がふえていくことになる。すると、R0 が1より大きかったら、正の成長率でウイルスや細菌が侵入してくることが直感的にわかる。感染者は人口で、人口は世代の和だから、R0が1より大きいと世代のサイズが拡大再生産していく。そのときには感染者人口の成長率が正になって流行が拡大していき、逆にR0が1より小さかったら、流行は自然に消滅する。R0 が1より大きければ流行が起きるが、1より小さければ流行は起きず、ウイルスは消滅することになる。

 人口を減らすには出生率を下げればよいのと同じで、感染者数を減らすにはR0が1より小さければいい訳である。R0<1になれば、流行は終息に向かう。ワクチン、薬、手洗いや人込みを避けるなどの努力によってR0を引き下げることができる。人口の割合eがワクチンによって免疫化されると、部分的に免疫化された集団の再生産数(実効再生産数)は (1-e)R0と減る。(1-e)R0が実効再生産数Rで、現在国の専門家会議が呼び掛けている感染症対策はR<1を目指すものである。

 ワクチンや薬によってウイルスを遮断できないと、物理的に人と人の接触を遮断し、隔離することしか手はなくなる。これが今の私たちの現状。兎に角、医学的な遮断、物理的な遮断のいずれも感染症対策の基本である。100%ワクチンが接種されれば、実効再生産数R(=(1-e)R0)は0になり、R<1。人が孤立し、隔離できるなら、それはワクチンで免疫化されたのと同じ効果で、e=1となって、やはりR<1。eは医学的には免疫化の、物理的には孤立化の指標で、共に同じ効果を発揮する。社会的な規制や自粛は部分的な孤立化で、経済と医療のバランスによって孤立化の強度を(私たち自身で政策として)決定しなければならない。ここで、医療と社会や経済とが結びついているのである。医学的な知識によってRを下げるか、隔離や遮断の政策によって行動変容を起こしてRを下げるか、二つの方法の中で今は後者しか使えないのである。和夫君はこれに気づいて益々驚いたのである。

 私たちが何もせずに指をくわえているだけなら、R0=R。ワクチンや薬の存在はeの値を上げることである。eの値が医学的遮断、物理的遮断の二つがあると和夫君は気づいたのだが、新型コロナウイルスの場合は今のところ物理的遮断しかない。ワクチンや薬は科学的に得られた知識であり、それによって敵を攻撃できる武器である。だが、物理的遮断は敵から身を守る消極的な手段に過ぎない。ウイルスを攻撃するのではなく、ウイルスの感染、侵入を防ぐのである。今のところウイルス感染の治療は対症療法しかなく、物理的遮断に大きな役割を担わすことになる。これには大きな負担が伴う。人の交流を遮断する経済的なダメージはとても大きく、グローバル化した経済には重い負担となる。マスコミが好きなPCR検査さえ行動変容の一つなのである。

 これは大きな社会実験であり、21世紀の壮大な実験だと和夫君は思った。私たちの社会と生活の今のあり方を見直す機会が提供されていると考え、正面から取り組むべきなのだ。これが和夫君の結論だった。ペストの何回かの流行が社会を変えたように、新型コロナウイルスも21世紀の新しい社会を生み出す筈である。和夫君は日本の具体的な戦略がどのようなものか気にも留めなかったが、eに私たちが積極的にコミットできることから、どうも今はモグラ叩きで感染者とクラスターを潰してeの値を大きくしているのだと直感し、自分の推理と辻褄の合っていることに安堵したのだ。