ディアレクティックの流行

(知識の不易流行)

 研究に流行があるのは言わずもがなのことだが、私が大学に入ったころは学生運動が盛んだった。大学の中では共産主義思想が流行し、マルクス主義経済学が講義されていた。だが、その流行はいつの間にか消え、マル経と近経の区別などいつの間にかなくなってしまった。これは哲学でも同様で、「弁証法唯物論」は今では歴史的な遺物の如くに扱われている。そんな流行が終わった後の私たちは「論理学」や「弁証法」に対して、どのように付き合ったらいいのだろうか。この問いは、流行には遅れないようにしなければならないが、流行の終わったものにはどう対処すればいいのかの一例になるだろう。

 アリストテレスが世界の進化より、眼前の現象変化にもっぱら関心を払ったのに対し、天変地異が疾風怒濤の如くに起こり、万物流転の中の創造や終末の物語に関心をもったのがヘーゲルだった。そして、「ディアレクティック」という言葉が哲学のキーワードとして日常の中でさえ使われることになった。ソクラテスの「問答法(産婆術)」、カントの「弁証論」、ヘーゲルの「弁証法」といった具合に、言葉のレベルでも千差万別に表現されてきた。となれば、時代や人によって変わる、信頼できない、怪しい概念が弁証法だということになる。実際、弁証法が論理(学)だという主張がかつてはまことしやかに議論され、ロマンティックな世界認識を支えてきたのだが、それが今では嘘のように変わってしまった。

 アリストテレスの『分析論』や自由学芸(リベラルアーツ)の一科目としての論理学にくらべれば、ヘーゲル弁証法は人の理性的活動に遥かに役立つという印象を与えるように見えた。では、それによって数学理論の証明や人工知能に寄与したのかとなれば、カントの認識論が参考になったのに比べ、まるで役に立たない無用の長物だった。

 今では思想史という分野で、ヘーゲルが近代的な法、人権、社会といった概念をどのように生み出したかを知るために研究されている。ヘーゲルの場合、ディアレクティックはソクラテスのように討論のためのテクニックではなく、人の認識活動のあり方そのものだった。一方、認識される対象もやはりディアレクティックだとヘーゲルは主張する。彼にとって生死を含む生命的な変化は弁証法の規則に従う理性の自己展開だった。

 流行は私が大学生の頃から繰り返されてきた。共産主義実存主義構造主義言語哲学等々、哲学の中だけでも色んな流行が繰り返される中で「不易流行」は一体何かとなるのだが、それは文字通りの論理システム(第1階述語論理)と、実証的なデータとそれらを説明する基本的な知識ということになるのだろう。

 「量が質に変わる」という表現は「死ぬと天国に行く」と同じような表現だというのが今の通り相場。だが、この表現に心を躍らせた人は多い。誰もアリストテレスの三段論法やフレーゲの述語論理に恋をすることはないが、ヘーゲルの主張に知識がロマンティックだと魅力を感じる人が必ずやいるのである。