「村格」、「都市格」に触発されて

 大抵の人は「人格」が何かと問われると、それが茫洋としていても、個別の性格や性質とは違うことに気づくのではないでしょうか。そして、人権や人間性といった語彙と共通すると感じる筈です。「品格」と「性格」は明らかに異なり、英語ならcharacter(性格)とdignity(品格)と訳し分けるでしょう。一方、人格はpersonやpersonalityと訳されるのですが、個人の性格、性質がpersonalityをつくるとしても、それはpersonとは違うと多くの人が直感するのではないでしょうか。

 ところで、その人格の類推として村格(柳田國男)、都市格(中川望)、さらには国の品格等々、「格」があちこちで使われてきたことがわかります。大阪商工会議所の会頭を務めた大西政文の著書『都市格について 大阪を考える』のタイトルにある都市格は、広く政財界や都市問題研究者の関心を呼びました。「都市格」とは都市を一人の人間に喩えたときの「人格」に相当するもので、大阪府知事だった中川望は「都市格と云ふのは恰も個人における人格を指す」と述べています。中川によれば、大阪は明治以来、日本の商工業の中心地として成功を収めてきたが、それを個人に喩えるならば、「成功者」ということになります。しかし、 事業に成功して一大財産を築いても、人から尊敬を受けるかどうかとなると、それは別の話。彼は「人格」との類比による「都市格」の向上が、経済的な成功を収めた大阪市に必要だと力説しました。では、「都市格」はどのようにして向上させることができるのでしょうか。中川は、都市や自治体を個人とみなし、「人格」がどのようにつくられるかを考えれば、自ずから明らかになるだろう、と述べています。ここで使われた「人格」はパーソナリティのことで、性格、気質、能力の複合を指しているようです。いずれも学習によって形成、変形できる心理的な性質です。

 榛村純一は、そうした都市格を表すための指標について様々に論じています。都市の評価指標について、10種類の分類を考え、それぞれを五段階で評価し、自分の町の姿を確認します。「評価指標」によって、都市を差別、区別、等級化し、それによって都市格を定めようというのです。でも、学習によるパーソナリティ形成が等級化できそうに見えるのに対し、人格概念の歴史は等級化に馴染まないものでした。

 類推の出発点にある人格は実は彼らが考えた以上に厄介な代物。「人格(person, personality)」という語は、具体的には生身の人物(person)を指します。ペルソナ(仮面)をつけることは「本当の私」を隠して仮の顔を他人に見せることと思われがちですが、ペルソナが「本当の私」を覆い隠す仮面を意味するだけなら、それが後に「パーソナリティ」、「役割」、「性格」といった意味をもつようになることはなかったはずです。社会の中の私たちは、他人との関係の中で「役割」を演じ、「性格」を表現します。社会的相互作用の様々な場面ごとに表現されるペルソナのなかに「自我」のあり方が表現されるのです。

 人格の直接の語源は、キリスト教神学によって「ペルソナ」の抽象概念として新造された中世ラテン語 personalitas(位格性)で、三位一体論の用語です。トマス・アクィナスによれば、人格性は本質や本性とは別であって、神のうちには父と子と聖霊という三つの人格性があります。人格という概念は、神が単一の実体でありながらも「父・子・霊」という三つの異なる「位格(persona)」をもつ、というキリスト教神学の三位一体(trinity)論において、中枢的な役割を演じていました。

 人格概念のこうした機能的性格は、近代以降も一貫しています。ジョン・ロックは、人格とは「自分自身を自分だと考えることのできる知性あるもの」と特徴づけ、『人間知性論』で「人格の同一性」を問い、それを自己意識に求めました。私は自己意識によって過去の諸行為の当事者となり、その責任を引き受けることになります。

 カントは『人倫の形而上学の基礎』で、人格が理性的存在者として「尊厳」であり、「目的それ自体」として実存すると考えました。カントは、物件と対比して人格を特徴づけ、人格は「尊厳の担い手」として手段にされてはならないものと考えました。『実践理性批判』では、「人格」はみずからの人格性に服従するものとして、叡智界と感性界の二つの世界にまたがり、自然から独立した自由な自己立法者です。『人倫の形而上学』では、「人格」が「自分の行為に責任をもてる主体」と定義されています。

 人格がまず機能的な概念であり、かつ尊厳・権利という規範的な概念が帰属するものということから、人格の「定義」と、その外延の決定は、整合性によるしかなく、常に改訂可能ということになります。人格が機能的な概念であることは、人格が状況依存的で、文脈に応じて可変的な概念であることも意味しています。これは人格の概念が別の概念を使って定義できるものではなく、論理的に原初的であることに由来します。

 とはいえ、あるものが人格であるためには、単一性、持続性という条件をみたしていなければなりません。つまり、人格は個体的同一性をもっていなければなりません。次に、単に自発的な能動性だけではなく、自分のことを一人称で描写して考えることができなくてはなりません。つまり、自己に対して再帰的に関係しうる主体でなければなりません。結局、人格をもつものは自己意識をもつ生身の個人であり、具体的な人物ということになります。

 このような人格についての特徴づけから、人格のアナロジーとしての都市格は、少なくとも上記の使い方を見る限りは、心理学的なパーソナリティ概念のアナロジーに基づくもので、本来の人格とは少々異なったものです。ですから、都市格は人格の一部の類推であることになります。これをフルの類推にしようとすれば、都市とは何かについても人格から類推しなければなりません。多分、そんなことをする人はいないでしょう。というのも、都市は原初的で、定義できない概念ではないからです。

 とはいえ、最初の柳田の「村格」は大いに気になる点です。柳田とは日本民俗学の父、『遠野物語』の著者柳田國男(1875-1962)です。その柳田が初めて対象として研究したのが、農業でした。柳田は農商務省に入省した法学士第一号です。それまでの農村研究は僅かしかなく、そのために民間に残る伝承や習慣を集めることによって研究を始めたのが柳田で、これが日本の民俗学のスタートです。明治の農政思想には大農論と小農論があり、井上馨らはアメリカのような大規模農場を育成すべきであると主張しました。これに対し、農業の現状を維持しようとするのが小農主義で、勢力的には小農主義が圧倒的多数でした。柳田が農商務省に在籍したのは2~3年でしたが、彼は大農でも小農でもない中農養成策を提案し、小農保護論に異を唱え、企業として経営できる規模をもつ2ha以上の農業者の育成を考えたのです。農業基本法に規定されている『自立経営』に似た考えが、既に柳田はもっていたのです。農業だけで生活できる規模の農家経営を目指した「中農」は柳田民俗学の「常民」の概念につながっていきます。柳田は日本が零細農業構造により世界から立ち遅れてしまうことを懸念し、農業構造の改善のためには農村から都市へ労働力が流出するのを規制すべきではなく、農家戸数の減少により農業の規模拡大を図るべきであると論じています。柳田は幼少期に目にした農村の惨状を思い、「なぜ農民は貧なりや」と自問し、地主のもとで狭隘な田畑を耕す小作人制度に病弊を診てとり、自前の土地を持つ中農の創設こそ急務と訴えました。

 このような柳田の主張を考慮すると、地主と小作からなる農村が農地解放によって自作農の村に変わることがそれまでの村格(=農村格)がなくなることであり、自作農が自立した常民(folk, Volk)として農業経営ができるという新しい村格が新しい農村の成立には不可欠である、と考えたのではないかというのが私の推測です。そして、私にはこの村格は人格の類推として適切だと思われるのです。というのも、農村概念そのものが小作中心から自作中心の村へと変わり、それが村格の変更と捉えられているからです。そして、良い村、駄目な村といった評価は次の段階の事柄なのです。