人格、そして、村格、都市格

 タイトルの人格を基本にして、その類推として村格(柳田國男)、都市格、さらには国の品格等々、「格」があちこちで使われてきた。

 大阪商工会議所の会頭を務めた大西政文の著書『都市格について 大阪を考える』(1995)の刊行によって、広く政財界や都市問題研究者の関心を呼んだのがタイトルにある「都市格」。「都市格」とは都市を一人の人間に喩えたときの「人格」に相当するもの。大阪府知事だった中川望は「市格と云ふのは恰も個人における人格を指す」と述べている。中川によれば、大阪は明治以来、日本の商工業の中心地として成功を収めてきたが、個人に喩えるならば、「成功者」ということになる。しかし、 事業に成功して一大財産を築いたとしても、人から尊敬を受けるかどうかとなると、それは別の話。「人格」との類比において語られる「都市格」の向上が、経済的な成功を収めた大阪市に求められることを力説している。ところで、「都市格」はどのようにして向上させることがきるのか。中川はこの点について、都市や自治体を個人とみなすことが可能ならば、「人格」がどのように定まるものかを考えれば、自ずから明らかになるだろう、と述べている。

 だが、出発点の人格は実は中川や大西が考えた以上に厄介な代物。「人格(person, personality)」という語は、具体的には生身の人物(person)を指す。だが、人格とは、すぐれて機能的な概念であって、特定の本質をもつ対象を指していない。ペルソナとは、もともと舞台で使う仮面のこと。ペルソナをつけることは「本当の私」を隠して仮の顔、偽りの顔を他者に見せることと思われがちだが、ペルソナが「本当の私」を覆い隠す仮面を意味するだけなら、それが後に「パーソナリティ」、「役割」、「性格」といった意味をもつようになることはなかったはず。社会の中の私たちは、他者との関係のなかで「役割」を演じ、「性格」を表現する。社会的相互作用の様々な場面ごとに表現されるペルソナのなかに「自我」としての私のあり方が立ち現れてくる。

 人格の直接の語源は、キリスト教神学によって「ペルソナ」の抽象概念として新造された中世ラテン語 personalitas(位格性)で、三位一体論の用語。トマス・アクィナスによれば、人格性は本質や本性とは別であって、神のうちには父と子と聖霊という三つの人格性がある。近代以前には、人格という概念は、神が単一の実体でありながらも「父・子・霊」という三つの異なる「位格(persona)」をもつ、というキリスト教神学の三位一体(trinity)論において、中枢的な役割を演じてきた。

 人格概念のこうした機能的性格は、近代以降も一貫している。ジョン・ロックは、人格とは「自分自身を自分だと考えることのできる知性あるもの」と特徴づけ、『人間知性論』(1690)で「人格の同一性」を問い、それを自己意識に求めた。私は自己意識によって過去の諸行為の当事者となり、その責任を引き受けることになる。

 カントは『人倫の形而上学の基礎』(1785)で、人格が理性的存在者として「尊厳」であり、「目的それ自体」として実存すると考えた。単に相対的価値しかもたない「物件」と違って、人格が絶対的価値をもつという考えは、それまでの哲学史になかったことである。カントは、物件と対比して人格を特徴づけ、人格は「尊厳の担い手」として手段にされてはならないものとした。『実践理性批判』(1788)では、「人格」はみずからの人格性に服従するものとして、叡智界と感性界の二つの世界にまたがり、自然から独立した自由な自己立法者である。『人倫の形而上学』(1797)では、「人格」が「自分の行為に責任をもてる主体」と定義された。

 人格がまず機能的な概念であり、かつ尊厳・権利という規範的な概念が帰属するものということから、人格の「定義」と、その外延の決定は、整合性によるしかなく、常に改訂可能ということになる。人格が機能的な概念であることは、人格が状況依存的で、文脈に応じて可変的な概念であることも意味している。これは人格の概念が別の概念を使って定義できるものではなく、論理的に原初的であることに由来する。

 とはいえ、あるものが人格でありうるためには、一定の条件をみたしていなければならない。まず、そのものは、単一性、持続性という条件をみたしていなければならない。つまり、人格は個体的同一性をもっていなければならない。次に、単に自発的な能動性だけではなく、自分のことを一人称で描写して考えることができなくてはならない。すなわち、自己に対して再帰的に関係しうる主体でなければならない。結局、人格をもつものは自己意識をもつ生身の個人であり、具体的な人物ということになる。

 このような人格についての特徴づけから、人格のアナロジーとしての村格、都市格は慎重に、そして抑制的に使うべきことがわかるだろう。