三色すみれに触発されて

 クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)はフランス人の社会人類学者、民族学者。大学で法学と哲学を学び、大学時代はマルクス主義の影響を受け、社会主義運動を行っていた。その後、民俗学、人類学を研究し、ブラジルで先住民のフィールドワークに取り組んだ。レヴィ=ストロースは、その著『野生の思考』(1962)で未開社会にも秩序や構造をもった普遍的な「(野生の)思考」が働いていることを明かにした。構造言語学の視点を取り入れ、構造主義思想ブームの火付け役になり、構造主義思想の祖と呼ばれた。構造主義思想は1960年代にフランスに広まり、60年代の終わりには日本でもブームとなる。私も大学時代には文庫クセジュの『構造主義』(ジャン・ピアジェ、1970)を演習で読まされた。

 レヴィ=ストロースは、それまでのヨーロッパ近代の見方であった、自由な個人が集まって社会をつくり、主体的に歴史を作り、進歩しているという世界観を批判し、社会の底には見えない構造があり、個人の考えはその構造によって決定されていると主張。レヴィ=ストロース構造主義は、見えない構造が人間の考えや行動を決定しているとする思想である。彼のいう「構造」は、形式的な変換を行っても、その前後において属性が同じ関係を保つもののことで、数学的には対称性のことである。

 レヴィ・ストロースが最初に取り組んだのはインセスト・タブー(近親婚の禁止)の解明。彼によれば、近親の女性との結婚の禁止は、女性の他集団への移動を促進するための「女性の交換」のシステムから導出される規則である。これによって親族間の開かれた交流を維持することができる。彼はこのような「構造」を見出し、人々を驚かせた。このように、多様な現象から普遍的な構造や本質を見出すことが構造分析。この手法は実証的な手法に過ぎなかったが、乱用されるようになり、後に「ポスト構造主義」により批判されることになる。

 レヴィ=ストロースは著書『野生の思考』において、人間は見えない構造の中で動かされているという構造主義を、サルトルの、人間が主体的に歴史を作ってゆくという実存主義に対峙させ、サルトルを批判した。サルトルは、西洋中心的な歴史観である人間の自由と主体性を重んじ、実存主義者として当時注目を浴びていたが、彼の批判によって社会的な影響力を次第に失っていく。これを契機として、実存主義にかわって構造主義が注目され始めるのである。

 このような話をすると、それがちょうど私の学生時代で、時期は異なるが同じ教室で、華奢な実存主義サルトルの講演を聞き、屈強な構造主義者ミッシェル・フーコーの講演に耳を傾けたことが学生運動の記憶と相俟ってまざまざと思い出すのである。それが私の青春であり、サルトルレヴィ=ストロースフーコーはいずれも私を強く刺激した人たちだった。