契機としてのRosebud(バラのつぼみ)

 寒空の中、バラの花とバラのつぼみが見える。大抵の花はつぼみ自体が注目されることはまずないのだが、バラはつぼみも主役になり得る。だから、「バラのつぼみ」という語彙には色んな意味が込められている筈だと誰もが想像するのだが、そんな一つが映画『市民ケーンCitizen Kane)』で、新聞王ケーンが「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して亡くなるシーンで始まる。探偵役のジャーナリストがこの言葉の謎を解明すべく、ケーンと共に生きた人々の回想を綴りながら推理する。その結果、偉大な新聞王と呼ぶには程遠い孤独な独裁者の姿が浮かび上がってくる。
 『市民ケーン』はオーソン・ウェルズの歴史的傑作と評されるが、若干25歳のウェルズは映画史上の栄誉と共に、そのモデルとなった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの逆鱗も買うことになった。映画会社はやがてウェルズを敬遠し始め、遂にはハリウッドで映画が作れなくなる。

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 父が安値で買った鉱山からたまたま銀が採掘され、一夜にして大富豪となったハーストは、権力欲旺盛な男だった。政界進出に失敗したハーストは全米のメディアを買い漁った。ハーストは自らの新聞王国を通じて、アメリカの道徳や政治、ひいては世界情勢までも操ろうとした。また、彼のコレクションは、絵画、彫刻、家具、宝石、ミイラに至るまで様々。こうした浪費が災いして、ハーストはやがて破産に追い込まれるのだが、その前に彼は生涯で最も高価な買い物をする。それが女優マリオン・デイヴィス

 1941年ハーストを激怒させたのがオーソン・ウェルズ。彼は十代半ばから故郷アイルランドを放浪、ダブリンの劇場で「ブロードウェイの人気者」と偽り、堂々と主演、これが評判となり渡米。やがて、ラジオの演出を手懸け、1938年火星人襲来のラジオ放送で全米をパニックに陥れる。この事件によってハリウッドに招かれたウェルズがつくったのが『市民ケーン』。映画を観たハーストは、明らかに自分がモデルで、しかもこの映画の冒頭で「バラのつぼみ」と呟きながら死んでいくのに驚愕したろう。
 さて、肝心の映画であるが、ニュース映画の記者トンプソンは、ケーンの最後の言葉「バラのつぼみ」の謎を追って、かつての親友リーランドや、2番目の妻スーザンなどからケーンのことを取材していく。だが、結局「バラのつぼみ」の謎は解けなかった。ケーンについて多くのことを知ったトンプソンは、「バラのつぼみ」という言葉にのみこだわることには意味がないという結論に達する。「バラのつぼみ」はジグソーパズルの一片に過ぎない、とトンプソンは結論する。「バラのつぼみ」の謎はケーン以外が知ることなく終わるが、映画の観客は、ガラクタとして焼却炉に投げ入れられるソリを見る。かつて、雪の中を遊ぶ時に使っていたソリ。そこに書かれていた模様と言葉が「バラのつぼみ」だった。だが、失った母の愛情の象徴、それが「バラのつぼみ」という言葉に凝縮されていたというのでは何かつまらない。

 「バラのつぼみ」は文学史から見れば、女性器のことを指し、スーザンのまだつぼみの女性器のことだと解釈することができる。それはウェルズのいたずら心を十分に表現しているのだが、その両方の意味を含めて、「バラのつぼみ」を契機にしてケーンの一生を振り返り、生と性、母と女性が絡まり合う一生をウェルズは描き出したかったのではないのか。どんなきっかけを選んで物語を始めるか、物語の性格を決めるかにはウェルズ独特の眼力が働いていた。人々を驚かせ、手玉に取るのが得意な彼が選んだ契機が「バラのつぼみ」だった。複数の異なる意味を与えられた「バラのつぼみ」は物語を多重化する契機としてこの上ない語彙だった。

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