「謙信の第一義」と「漱石の第一義」

 新潟県上越市上杉謙信の故郷である。そのため、謙信は上越市民にとって地元の断トツのヒーロー。その謙信が上越に残した唯一ともいえる遺品が林泉寺山門の扁額の文字で、それが「第一義」。これが「謙信の第一義」として市民に愛でられてきた。だが、その扁額の文字が正確に何を意味しているのかということになると、説明がごまんとあるにもかかわらず、曖昧模糊として、一向にわからないままなのである。

 私は既に2回にわたって第一義について述べてきたが、林泉寺扁額の「第一義」は禅の公案集にある達磨大師と梁の武帝の問答に登場し、そこでは仏法の根本原理を指している。そして、その根本原理は「万物流転、諸行無常」。だが、このような理解は上越市民が思い描く「謙信の第一義」とはまるでかけ離れている。上越市民は「謙信の第一義は諸行無常を意味する」とは決して思っていない。禅寺の林泉寺の扁額「第一義」は仏法の根本原理を指しているというのは合理的な説得性をもっていると思われるのだが。

 さて、謙信から漱石に話を移そう。第一義を「人生の大義」と解する漱石は、それを『虞美人草』で見事に描いてみせた。そこでの大義とはもっとも重要な事柄、根本的な原理、人生の基本原則のことである。このような第一義理解は漱石から始まるもので、明治以降の第一義の解釈となってきた。当然これは謙信とは無関係のことである。つまり、謙信の第一義と漱石の第一義は似て非なるもの。

 しかし、この似て非なるものを混淆して第一義を解釈することが謙信の故郷で行われてきた。私にはそのようにしか思えない。本来仏教という宗教的なコンテクストに登場した「第一義」を、義、正義、義理、大義といった倫理的な概念につなげる解釈によって広げる、変えることを漱石に倣って巧みに行ってきたのが明治以降の私たちである。となれば、謙信から離れず、謙信に寄り添う上越市民にとっては大胆に謙信を越えての漱石解釈にもっと慎重でもよかった筈なのだが、そんなへそ曲がりはいなかったようなのである。