神々と人々の絆(9)

住吉明神や中国の神々

 既述のように、三人の男神と一人の女神が合体したのが住吉大神でした。神々の合体の過程はよくわかりませんが、合体によって守護の威力が増大することは確かです。

 ヒンズー教の三神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが同一の神であり、これらの神は同等の力をもち、それらは単一の神聖な存在から顕現する機能を異にする三つの様相に過ぎません。つまり、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神は、それぞれ宇宙の創造、維持、破壊という三つの機能が三人組という形で神格化されたものでした。

 海の神であるソコツツノオ命(底筒之男命)、ナカツツノオ命(中筒之男命)、ウワツツノオ命(表筒之男命)の三神の総称が住吉の神。イザナギイザナミを死者の国(黄泉の国)へと追いかけて行き、死体となったイザナミを見て逃げ帰り、地上で死者の国の穢れを海水で洗い流した際に産まれたのが三神です。住吉三神は大坂の住江(住之江)の豪族の氏神でしたが、朝鮮や中国との貿易が盛んになると、この地域は貿易港として栄えます。それによって大和朝廷にとりたてられ、天皇家の航海の守護神として祀られました。仲哀天皇が九州の反乱を治めていたとき、神から神託がありました。「西に金銀財宝の豊かな国がある。そこを服属させて与えよう」と神託をしたのが住吉三神。神の子を宿した神功皇后住吉三神の導きのままに朝鮮半島に向かいます。朝鮮半島の王たちは神功皇后の力に驚き、貢物をする約束をしたのです。

 住吉大神は現実に姿を顕す「現人神」としても、信仰されています。長い白ひげを生やした老翁の姿で顕れ、既述のように和歌や俳句を嗜んだと言われています。和歌を用いて御神託を行ったことが、住吉大社の記録や『伊勢物語』などに記されていて、歌の神としても親しまれるようになりました。和歌だけではなく、『源氏物語』では明石の君にゆかりの深い地として、住吉が登場するシーンが描かれています。おとぎ話の「一寸法師」では、子供のいなかった老夫婦が住吉大神に祈願し、それによって一寸法師を授かることになります。能の「白楽天」での住吉明神の文学的な才能は既に述べました。

 最後に中国の神々に触れておきましょう。中国にも神という概念はあったのですが、歴史時代の前に神話時代があったとは考えられていません。 むしろ、人と神と仙人とが混然と交わってきました。儒教では最初はカオスの世界で、やがて清んだ陽気が天となり、濁った陰気が地となりました。ここに盤古という巨大な神が生まれ、吐息から風、涙から雨、またその遺体から山岳や草木等が生まれました。盤古の死と共に世界の創造は終わり、「三皇五帝」という神あるいは君主が世界を治めることになります。

 まずは三神です。伏羲は蛇身人首の神で、家畜の飼育や漁撈などを教えます。女媧は蛇身人首の神で、伏羲の妹とされ、人類を泥から作りました(あるいは産みました)。神農は人身牛首の神で、伏羲の子孫で農耕や医薬などの発明者とされます。でも、伏羲や神農が陳の街に都をおいて王に即位したり、後述の黄帝と戦った伝承があったりで、人間の王との区別が曖昧です。次に現れた五帝は、最初の王とも呼ばれる黄帝や善政の代名詞とされる堯舜など、もはやほぼ完全に人間の王になってしまいます。司馬遷によれば、黄帝は中国文化と文明の源泉の象徴です。黄帝は数多くの戦いに勝ちますが、侵略には何の喜びも見出さない偉大な英雄とされました。堯もまた理想的な帝でしたが、その子には帝としての器量が足りないことを危惧し、冷酷な継母に対しよく孝行していたことで評判の高い舜を登用しました。舜は堯の命を受けて教育を任されると、世に孝行を広め、官庁を任されれば綱紀を正し、遂に認められて帝となりました。

 これらの物語は儒教成立以前から伝えられてきたもので、『楚辞』、『淮南子』等にまとめられています。また、神と人との区別の曖昧さについては、当時の神話を文字に書き記した人々、すなわち孔子を始めとした春秋時代諸子百家の思想家たちの合理主義に原因があるという意見もあります。彼らは自説を例証する材料として、神秘的な神話を人間たちの歴史的故事に書き換えたというのです。儒教の神話は皇帝の祭祀権独占を保証する神話であり、民間には祖先祭祀ぐらいしか残らなかったのです。

 次が道教の成立と神話復興。公式の神話が皇帝の権利に集約されたのに対し、民衆の間に別の神話体系が生まれつつありました。これは三国志の時代です。この時代に活動した黄巾賊(太平道)と五斗米道はいわゆる草創期の道教教団です。太平道は黄巾賊の乱と呼ばれる反乱を起こし、後漢王朝によって滅ぼされてしまいます。でも、五斗米道の教団は存続しました。このような五斗米道に始まるのが、民衆から生まれた神話体系である道教とその神話です。道教の神話は皇帝を始めとした栄枯盛衰の激しい社会の上層にも影響を与えるようになります。創始者は人なのか、神なのか。道教創始者とされるのは、儒教孔子とほぼ同時代の人物である老子です。老子五斗米道によって天の最高神に祭り上げられました。人から最高神への大出世です。道教の教義上の至上倫理は「道」ですが、これを神格化したのが太上道君です。 

 関帝聖君も人気の高い神です。彼は三国志の英雄関羽のことです。歴代の王朝から武人の鏡として崇拝され、武神になりました。さらに、彼は算盤の発明者とされ、商売の神ともなります。関羽も人から神になった訳です。この頃中国に仏教が伝来します。道教と仏教は一応は別の教団ですが、時として混じり合います。その典型例が『西遊記』です。『西遊記』は釈迦の命で旅立つ仏教の説話ですが、そこには多くの道教の神々が登場し、道教神話にもなっています。主人公の孫悟空道教の神「斉天大聖」でもあります。

 死後の世界について儒教道教とでは神話がやや異なりますが、共通する大きな特徴の一つは、死後の世界がないことです。儒教では祖先霊として子孫を守ることになりますが、孔子の「怪力乱神を語らず」とあるように死後の世界の実態は曖昧なままです。また、道教の目的は、長命を得て仙人となり、自らが神となることです。それは上述の神話に人から仙人、仙人から神への出世があることからもわかります。でも、死後の幸福を求める神話や信仰はほとんどありません。歴代の道教を保護した皇帝は、仙薬を飲んで自ら不老不死の仙人になろうとしました。キリスト教をはじめとして死後の世界での幸福を信仰の中心とする宗教が多いのですが、以上のように、中国神話の世界では、信仰の中心はむしろ長命であり、不死の仙人となることです。そして、神とは人が仙人の修行の果てになる存在という側面が強いのです。かくして、神、人、仙人が入り混じった共同体という中国神話が存在することになります。